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アンリ=アルフレッド・ダルジュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンリ=アルフレッド・ダルジュー
Henri-Alfred Darjou
ナダールによる撮影[注 1]
生誕 (1832-10-13) 1832年10月13日
フランスの旗 フランス王国パリ
死没 1874年11月22日(1874-11-22)(42歳没)
フランスの旗 フランス共和国・パリ7区
国籍 フランスの旗 フランス
著名な実績 イラスト版画絵画
代表作 『連邦の壁の処刑』
『シャリヴァリの移動』
影響を受けた
芸術家
ヴィクトル・ダルジュー
レオン・コニエ

アンリ=アルフレッド・ダルジュー (Henri-Alfred Darjou1832年10月13日 - 1874年11月22日) はフランスイラストレーター風刺画家版画家

第二帝政末期には政治風刺新聞「ル・シャリヴァリフランス語版」をはじめとする定期刊行物に多くのイラストを描いた。とくに1871年5月28日に、コミューンの兵士147名と19名の将校たちが、ペール・ラシェーズ墓地連邦の壁フランス語版で処刑された事件を描いた『連邦の壁の処刑』などの、パリ・コミューンを題材とした作品が知られる。

経歴

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アルフレッド・ダルジューは1832年にパリで生まれた[1]。父親のヴィクトル・ダルジューも画家であり、ダルジューは父親とレオン・コニエから絵画を習い、1853年に初めてサロン・ド・パリに出品し、その後も出品をつづけるかたわら、「イリュストラシオン」、「ル・モンド・イリュストレ」などの定期刊行物にイラストを提供した。とくに第二帝政末期には風刺新聞「ル・シャリヴァリ」の主要な寄稿者として多くのカリカチュアを発表した。

一方、画家としてはイラストレーターとしての活動ほどには大成しなかったが、1865年にナポレオン3世の2度目のアルジェリア訪問を描いた作品が特筆された。

書籍の仕事も残しており、1867年にはフランスの中国学者、エルヴェイ・ド・サン=ドニフランス語版侯爵がみずから見た夢を記して匿名で発表した著書 Les Reves et les Moyens de les Diriger: Observations Pratiques(夢とそれを導く手段:実践的観察)の表紙をデザインしている[注 2][画 1]

また、ナポレオン生誕100周年である1869年には、ナポレオン3世の妃であるウジェニー皇后と、当時13歳のルイ皇太子コルシカ島訪問旅行を取材した。

彼は1874年にパリ7区[5]で死去した。ダルジューの作品はブルターニュ県立美術館フランス語版カルナヴァレ博物館ナショナル・ギャラリー (ワシントン)フィラデルフィア美術館などに収蔵されている。

作品

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脚注

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注釈

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  1. ^ この肖像写真は、2019年にウィキペディア・コモンズ価値ある画像に認定された。
  2. ^ a b この本は、のちにジークムント・フロイトや、アンドレ・ブルトンなどにも影響を与えている[2][3][4]
  3. ^ (解説文の日本語訳)「風刺日刊紙、ル・シャリヴァリ(フランスの公開儀礼としてのシャリヴァリに通じる)が新しい社屋に到着し、スタッフ、コラムニスト、イラストレーター、会計士などがワゴンに乗せられたり引っ張られたり、さまざまな立場を示すラベルや紙を手にしたり、両端に筆ペンを持っている人もいます。1867年頃 手彩色リトグラフ」つづいて、ワゴンに乗っている人物について、上段左から下へと順番に名前を記す。外国語版リンクはフランス語、日本語記事がある人物は太字で示す。ピエール・ベロンシャルル・バタイユ、一人おいて、ルイ・ルロワ、一人おいて、アドリアン・ユア (Adrien Huart)、ガブリエル・ギヨモシャルル・ジョリエ、下段に移り、ロベール・イエン (Robert Hyenne)、アジェノール・アルタロシュサルバドール・ザボンジュール・モワノー、ポール・ジラール(Paul Girard、別名Adolphe Perreau、アドルフ・ペロー)、最下段に移り、一人おいて、アンリ=アルフレッド・ダルジューオノレ・ドーミエアメデ・ド・ノエストップ・モレル=レポール・アドルシャルル・ヴェルニエ。馬車の最後尾にぶらさがった、顔が半分隠れている人物はエドモン・ヴィリエ (Edmond Villiers)。
  4. ^ ジュール・フェラ画、メゾン・ボナパルト博物館フランス語版蔵。上から順に左から右へと画像キャプションの日本語訳を記す。「ナポレオン1世の生誕100周年記念のために皇后がコルシカ島を訪問 - 1869年8月29日、皇后と皇太子がアジャクシオに上陸」「アジャクシオ港でフェラッカに乗るコルシカ島の農民のグループ」「バスティア - 皇后の一団を待つコルシカ島の農民たち」「シャンベリに到着 - 駅の出迎え」「バスティア - コルシカ島の少年大隊キャンプ - コルシカ島の少年兵駐屯地」「アジャクシオの祭りのために山から下りてきたコルシカ島民たちのキャンプ」
  5. ^ a b この作品でダルジューは最初のスケッチを描いた。
  6. ^ ギュスターヴ・ジャネ画。

参照

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  1. ^ a b テキストの一部

出典

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  1. ^ Archives de Paris, état-civil reconstitué.
  2. ^ Sigmund Freud, L'Interprétation des rêves, PUF, p. 92
  3. ^ André Breton cité par Georges Sebbag, Philosophie surréaliste du rêve, conférence du 8 octobre 2013, Musée Thyssen-Bornemisza de Madrid, congrès El Surrealismo y el sueño, publié en ligne on line
  4. ^ André Breton,Les Vases communicants, Gallimard
  5. ^ Archives de Paris, état-civil numérisé du 7e arrondissement, acte de décès No1740 de l'année 1874. L'artiste meurt célibataire à son domicile situé 9 passage Sainte-Marie.

外部リンク

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