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アングロ・サクソン人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イギリス系から転送)
考古学的および遺伝学的証拠により、イングランドへ移住していたアングロ・サクソン人は、デンマーク・オランダ・ドイツ西北部から来たことを分かる。

アングロ・サクソン人(アングロ・サクソンじん、Anglo-Saxons)は、5世紀頃、現在のドイツ北岸からグレートブリテン島南部に侵入してきたアングル人ジュート人サクソン人ゲルマン系の3つの部族の総称である[1]

この中でアングル人が、イングランド人としてイングランドの基礎を築いたため、現在も英米などの英語白人をアングロ・サクソン人と呼ぶ[2]。このようにドイツ起源の民族であるが、現在のドイツ圏の国民をアングロ・サクソン人と呼ぶことは原則的にない。ただし、ザクセン王国は20世紀初頭までドイツ帝国内に存続しており、現在も「ザクセン州」「ニーダーザクセン州」が残っているため、ドイツの地域住民としてのザクセン人(サクソン人)という名称は今も用いられている。

歴史

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409年ローマ帝国ブリタニアを放棄した後、現在のデンマーク、北部ドイツ周辺にいたゲルマン人が、グレートブリテン島に渡ってきた。彼らは先住のケルト系ブリトン人を支配し、ケルト文化を駆逐した。これが英国における最初のアングロ・サクソン人である。彼らの言葉が英語の基礎となった。

彼らはイングランドの各地に小王国を築いていった。7世紀頃には、イングランドは7つの王国(七王国)にまとまっていったが、9世紀初めには、ウェセックスエグバートのもとで、サクソン人のウェセックス王国が強大となって、イングランド全域を支配した。それ以降、一時期はデーン人に支配され、デンマーク王の下にあった。

アングロ・サクソン人はその後また、イングランドを支配した。これは1066年、ギヨーム2世(=ウィリアム1世)によるノルマン・コンクエストまで続いた。

名前の由来

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アングロ・サクソンとは、「アングリアのサクソン人」という意味である[3]アングリア(現デンマークの南部)は、元々は「アングル人の土地」という意味であったが、カトリック教会がこの地域を表す言葉として使用したため、後にサクソン人もこれを自称するようになり、地域名として定着した。

アングロ・サクソン諸国

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西暦400年代のユトランド半島からブリテン諸島への移住。
Jutes: ジュート人
Angles:アングル人
Saxons: サクソン人

英語国語公用語とする白人主流派の先進国であるイギリスアメリカオーストラリアAUKUS諸国)、カナダニュージーランドなどをアングロ・サクソン諸国と呼ぶ[4][5]。しかし言語がアングロ・サクソン人に由来しているだけで、歴史的なアングロ・サクソン人と現代のアングロ・サクソン諸国には血統的な関係が薄い(フランク人フランス人の違いと同じ)。アングロ・サクソン人の故地と見なされるイングランドでさえ、ユトランド半島スカンディナビア半島などのバルト海沿岸地域にルーツを持つデーン人ノルマン人グレートブリテン島の原住民であるブリトン人ケルト人)などの多様な民族が入り混じって形成された国家である。当のアングロ・サクソン諸国では一般にあまり用いられておらず、自分たちがアングロ・サクソン人であるという意識も乏しい。彼らは自らの伝統文化のルーツはノルマン人だと認識している。なお、イングランドに先立つ故地であるドイツでは、アングル人という呼び方は現在殆ど行われておらず、サクソン人(ザクセン人)という呼び方は残っているものの、少なくともアングロ・サクソンと繋げて呼んだ場合、ドイツ人とは別個の集団と考えるのが通常であり、ほぼ語源発祥の地というにとどまる。

用法

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主に大陸ヨーロッパ日本で用いられることが多い。アングロ・サクソン諸国は独特の経済社会を形成しており、古くから研究の対象となってきた(プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神等)。また、グローバル資本主義の進展とそれに対する反発により、アングロ・サクソン諸国を「特殊」な国々と規定するために、様々な比較考証が行われてきた。以下はその代表的なものである。

  1. 体系におけるコモン・ロー
  2. 政党制における二大政党制
  3. アーレンド・レイプハルトの研究による多数決民主主義
  4. レギュラシオン学派における市場ベース型資本主義
  5. 福祉レジーム論における自由主義福祉国家論
  6. イギリス経験論とそれを元にしたプラグマティズム
  7. エマニュエル・トッドの家族類型においては、典型的な絶対核家族
  8. イギリス君主制における女王・女系王の存在(サリカ法の否定)
  9. 国親思想(子供は親ではなく公権力によって守られるべきとする法理[6]
  10. リムランド理論によれば典型的なシーパワーである故の、ランドパワー諸国(特に中国ロシア)との深刻な対立
  11. 「自由と民主主義を守るため」と称した、権威主義国家に対する侵略戦争(ベトナムイラクアフガンなど)

脚注

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関連項目

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