コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

イザベル・ド・ヴァロワ (ブルボン公妃)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イザベル・ド・ヴァロワ
Isabelle de Valois

出生 1313年
死去 1383年7月26日
フランス王国パリ
埋葬 フランス王国パリ
配偶者 ブルボン公ピエール1世
子女 一覧参照
家名 ヴァロワ家
父親 ヴァロワ伯シャルル
母親 マオー・ド・シャティヨン
宗教 キリスト教カトリック
テンプレートを表示
後年のイザベル・ド・ヴァロワ

イザベル・ド・ヴァロワ(フランス語:Isabelle de Valois, 1313年 - 1383年7月26日)は、ヴァロワ伯シャルルとその3番目の妃マオー・ド・シャティヨンの娘で[1]ブルボン公ピエール1世の妃[2]

生涯

[編集]

1336年1月25日、イザベルはブルボン公ピエール1世と結婚した[1]。ピエール1世とイザベルとの間には唯一の息子ルイ2世と7人の娘が生まれた。夫ピエール1世は1356年ポワティエの戦いで戦死したが[3]、イザベルはその後再婚はしなかった。ピエール1世の死後、息子ルイ2世がブルボン公位を継承した。

イザベルは騎士でトゥリー=シュール=アブロン領主、王の顧問官で侍従およびサン=ピエール=ル=ムイエのバイイ(代官)であったジャン・ソルニエを自らの執事としていた[4]

夫の死後、イザベルは修道院に入り、1383年7月26日に死去した。

子女

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f Joni M. Hand, Women, Manuscripts and Identity in Northern Europe, 1350-1550, (Ashgate Publishing, 2013), p. 217.
  2. ^ a b c Jean de Venette, The Chronicle of Jean de Venette, translator Jean Birdsall, editor Richard A. Newhall, (Columbia University Press, 1953), p. 312.
  3. ^ David Nicolle, Poitiers 1356: The Capture of a King, (Osprey, 2004), p. 24.
  4. ^ Abbé Jacques-François Baudiau, Le Morvand, Nevers, 1865, 3e éd. Guénégaud, Paris, 1965, 3 vol., t.II, p. 152.