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ウェストミンスター・システム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イギリス議会の議場であるウェストミンスター宮殿

ウェストミンスター・システム英語: Westminster system)とは、イギリスにおける制度を範とする議院内閣制のモデルである。

概説

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イギリスで形成された多数決主義的な議会制民主主義を指す概念である。その定義は一つに定まってはいないが[1]、1688年の名誉革命から第二次世界大戦後までの、イギリスの長い議会政治の伝統の中で培われてきた制度や慣行の特徴を指すものと理解することができる。

ディビット・リチャーズとマーティン・スミスは、ウェストミンスター・システムの主要な性格として、議会主権、自由で公正な選挙を通じた説明責任、多数党による行政府のコントロール、強い内閣、大臣責任制、官僚の無党派性、の6点を挙げた[1]

また、議論の文脈や比較対象によって、特定の側面に着目したいくつかの定義に分かれる。

ウェストミンスター・システム(一元主義型議院内閣制)
国家元首(国王・大統領)は実質的な統治権を持たず、首相率いる内閣が行政権の実権を持つ(一元主義型議院内閣制)。国家元首が首相・内閣を罷免、議会の解散権を持つ半大統領制に対比する。
ウェストミンスター・システム(多数決型民主主義)
議会で過半数の議席を持つ政党の党首が首相として内閣を組織する(多数決型民主主義)。過半数をもつ政党が存在せず、複数の政党により内閣が運営されるコンセンサス・システム(多極共存型民主主義)に対比する。

歴史

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ウェストミンスター・システムは現在まで一貫して採用され続けている議院内閣制モデルとしては最古のものである。イギリスの議会政治の中で発展し、カナダオーストラリア帝国植民地(独立後のイギリス連邦加盟国)に普及したほか、日本憲政の常道など世界各国に影響を与えていった。

イギリスにおいて議院内閣制が成立したのは18世紀初頭であるとされる。19世紀に入ると、保守党自由党による二大政党制が形成され、小選挙区制が整備された。また、首相が実質的な庶民院(下院)の解散権を持つようになったのもこの頃である。その後、1911年、1949年の議会法改正を通じて、貴族院(上院)に対する庶民院の優位が確立した。第二次世界大戦後は保守党と労働党による二大政党制が確立し、ウェストミンスター・システムは安定期を迎えた。このような長期にわたる過程を経て、徐々に要素を備え、形作られていったため、常に未完のものであるという見方もできる[2]

ウェストミンスター・システムの特徴はイギリス連邦諸国へと輸出された。また、アジアアフリカカリブ海の旧イギリス植民地が独立する際にも、多く採用された[3]

制度

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上院
下院
  • 政府の長内閣総理大臣、略して首相とも呼ばれる)には議会で最大の議席数を有する政党党首が任命され、行政の責任を負う。
  • 政府の代表が率いる内閣は政党の幹部や議員で構成される。
  • 国家元首の統治権は概ね名目上のものであり、首相などの助言者の判断に従って行使される。
  • ただし首相の任命は助言を要さない。議会多数派の指導者が定まらない場合は元首が自らの判断で任命することがある。
  • 野党の存在が認められる複数政党制を採用する。
  • 二院制の議会では、少なくとも一方(下院)、または一院制の議会は必ず議員を選挙によって選出する。
  • 下院が予算案を否決、内閣不信任決議案を可決(内閣信任案を否決)された場合は、内閣は総辞職するか下院の総選挙を実施する。
  • 上とは別に、下院は首相が(元首の名の下に)いつでも解散、総選挙を実施出来る。
  • 首相は内閣への信任権のある議院の議員であることが望まれる。就任時に議席がない場合は次期総選挙で立候補することが例である。
  • 議会の権利として、議会が適切と認めればいかなる問題も議論することができる。
  • 議会における発言を記録する議事録を採用する。

実例

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現在、ウェストミンスター・システムと呼べる政治制度を持っている国としては、イギリスのほか、オーストラリアカナダインドなどがある。

過去にウェストミンスター・システムを採用していたが、現在は異なる特徴を持つ国も存在する。ニュージーランドは1996年の選挙から比例代表制を導入し、ウェストミンスター・システムとは言い難くなった[3]。そのほか、南アフリカ共和国、旧ローデシア共和国ナイジェリアなどでも例が見られた。アメリカ合衆国政治学者レイプハルトは2005年の著書で、イギリスの制度の影響を強く保持している国としてバルバドスをあげていた[3]が、2021年にバルバドス君主制廃止共和制に移行した。

またイギリスにおいても、2011年(2011年議会任期固定法)から2022年(2022年議会解散・召集法)まで首相の下院解散時期決定権が制限されていたなど、制度の変容がみられる。

日本では、完全なウェストミンスター・システムといえる制度は存在したことがないが、その概念は大正デモクラシー期にはじまる憲政の常道に大きな影響を与えたとされる。また1994年の小選挙区比例代表並立制導入の際にも、イギリスの二大政党制を手本とする議論が多く見られた。一方で、過剰な数値目標を伴うマニフェストを作成する政党が現れるなど、ウェストミンスター・システムへの誤解や行き過ぎも見られた[2]

脚注

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  1. ^ a b Richards, David; Smith, Martin (2002). Governance and Public Policy in the United Kingdom. Oxford University Press 
  2. ^ a b 小堀眞裕『ウェストミンスター・モデルの変容』法律文化社、2012年。 
  3. ^ a b c アレンド・レイプハルト 著、粕谷祐子 訳『民主主義対民主主義』勁草書房、2005年。 

関連項目

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