コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ウド・フォークト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウード・フォークトから転送)
ウド・フォークト
Udo Voigt
第5代ドイツ国家民主党党首
任期
1996年 – 2011年
前任者ギュンター・デッカート
後任者ホルガー・アプフェル英語版
欧州連合の旗欧州議会議員
ドイツ全域選挙区
任期
2014年 – 2019年
個人情報
生誕1952年4月14日
西ドイツ
ノルトライン=ヴェストファーレン州フィーアゼン英語版
国籍ドイツ民族
政党ドイツ国家民主党 (1968-)
出身校アーヘン工業専門大学
ファッハホーホシューレ
ミュンヘン大学付属政治学校
専業退役軍人・ジャーナリスト
著名な白人至上主義者であるデービッド・デュークとともに

ウド・フォークトUdo Voigt, ドイツ語発音: [ˈuːdo foːkt], 1952年4月14日 - )は、ドイツ政治家。元欧州議会議員極右政党ドイツ国家民主党(NPD)の第5代党首を務めるなどドイツにおけるネオナチ運動の大物として知られている。

来歴

[編集]

生い立ち

[編集]

1952年4月14日西ドイツ出身。西部最大の工業地帯であるノルトライン=ヴェストファーレン州フィーアゼン英語版で育った。父親は突撃隊員(SA)に所属していた元ナチ党員で、自身も16歳からネオナチ政党のドイツ国家民主党(NPD)に関わっていた筋金入りのナチズム信奉者であった[1]。青年時代は整備士として一度就職したが、後に学問を志して1971年にアーヘンに移り住んで同地のファッハホーホシューレ(工業専門大学)へ入学した。アーヘン時代には宇宙工学を学んだとしているが、2学期程で退校しており、学位は取得していない。

1972年、当時徴兵制であった西ドイツ連邦軍に召集され、空軍部隊で兵役生活を送っている[2]。兵役期間終了後も1984年まで軍に在籍し、途中で士官候補生としての教育を受けたり、ギリシャNATO軍施設に勤務していた事もあるという。また30歳の時にミュンヘン大学付属の政治学校に在学して政治学を学んでいる。

NPD党首

[編集]

1984年に空軍を離れた後、密かに続けていたNPD党員としての活動を本格化させ、次第に党幹部として頭角を現していった。1987年、在学していた政治学校を卒業してミュンヘン大学から政治学修士号を授与された。

東西ドイツ再統一など大きく歴史が動く中にもかかわらず、党勢が低迷していたNPDは第4代党首ギュンター・デッカートホロコースト否定論扇動により逮捕される危機を迎えた。1996年、NPDの第5代党首に選出されたフォークトは党の立て直しに辣腕を振るい、資本主義に馴染めない旧東ドイツの若者達をネオナチ運動に取り込んで急速に党勢を拡大した。2004年にはザクセン州、2006年にはメクレンブルク=フォアポンメルン州といった、旧東ドイツから編入された新連邦州の州議会選挙で次々と議席を獲得している。2006年、自らも首都ベルリンの市政府にトレプトウ=ケーペニック区の代表として選出され、2010年まで同職を務めた[3]

他に欧州議会選挙やザールブリュッケン市長選挙にもNPDから擁立されているが、いずれも落選に終わっている。また2008年3月13日には人種主義的なパンフレットを配布するなど、少なくとも2度目の民衆扇動罪(最高刑は禁固5年)で起訴されている。裁判で争った末、執行猶予付きの有罪判決とユニセフへの2000ユーロの寄付を命じられている[4]実刑判決は避けたものの、本人は政治的な弾圧であると声明している。

2011年11月13日、15年間務めたNPD党首の地位を退き、新党首にはNPD所属のザクセン州議会議員ホルガー・アプフェル英語版が選ばれた[5]

欧州議会議員

[編集]

2014年欧州議会議員選挙にNPDから出馬、約30万票を集めて当選を果たしたが[6]、2019年の選挙では落選している[7]

脚注

[編集]
  1. ^ Meet the new faces ready to sweep into the European parliament”. The Guardian. 2014年5月27日閲覧。
  2. ^ Udo Voigt, Dipl.sc.pol. - udovoigt.de” (ドイツ語). udovoigt.de. 2016年1月11日閲覧。
  3. ^ Bezirksverordnetensammlung Treptow-Köpenick - Berlin.de”. www.berlin.de. 2008年2月8日閲覧。
  4. ^ Far-right politician convicted over racist World Cup flyers”. Deutsche Welle. 2009年4月24日閲覧。
  5. ^ Stabwechsel bei der NPD in: Blick nach rechts, accessed 14-11-2011
  6. ^ Germany's first far-right NPD deputy in European Parliament”. AFP/Yahoo News. 2014年5月27日閲覧。
  7. ^ Diese Berliner und Brandenburger ziehen ins EU-Parlament ein”. rbb. 2020年4月30日閲覧。

外部リンク

[編集]
先代
ギュンター・デッカート
ドイツ国家民主党党首
第5代: 1996年 - 2011年
次代
ホルガー・アプフェル