エマヌエル・トーマス・フォン・ザヴォイエン
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(エマニュエル・トマ・ド・サヴォワ=ソワソンから転送)
エマヌエル・トーマス・フォン・ザヴォイエン Emanuel Thomas von Savoyen-Carignan | |
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ソワソン伯 | |
ソワソン伯エマヌエル・トーマス、ダーフィト・リヒター画、1710年 | |
在位 | 1702年 - 1729年 |
出生 |
1687年12月8日 フランス王国、パリ |
死去 |
1729年12月28日(42歳没) 神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、ウィーン |
配偶者 | マリア・テレジア・フォン・リヒテンシュタイン |
子女 | ヨハネス・フランツ・オイゲン |
家名 | サヴォワ=ソワソン家 |
父親 | ソワソン伯ルイ=トーマ |
母親 | ウラニー・ド・ラ・クロート・ド・シャンテラック |
エマヌエル・トーマス・フォン・ザヴォイエン=カリニャン(Emanuel Thomas von Savoyen-Carignan, 1687年12月8日 - 1729年12月28日)は、神聖ローマ皇帝(ハプスブルク帝国)軍の将軍。ソワソン伯。皇帝軍の元帥オイゲン・フォン・ザヴォイエンの甥。フランス語名はエマニュエル=トーマ・ド・サヴォワ=カリニャン(Emmanuel-Thomas de Savoie-Carignan)。
生涯
[編集]フランス王家の縁戚のソワソン伯ルイ=トーマとその妻ウラニー・ド・ラ・クロート・ド・シャンテラック(1655年 - 1717年)の間の長男として生まれた。父がルイ14世王の不興を買ってフランス軍を追われたため、1699年父や弟たちと共に叔父オイゲン公子を頼って皇帝軍に仕官した。叔父の計らいで陸軍大佐(連隊長)の地位を与えられた[1]。スペイン継承戦争ではライン川・ネーデルラント方面の戦線で活躍し、墺土戦争でも叔父に従って従軍、階級は最終的に陸軍中将に上った[2]。また、アントウェルペン市長官の職も得た[3]。1712年金羊毛騎士団の騎士に叙任された。
1713年10月24日、資産家として知られたリヒテンシュタイン侯ヨハン・アダム・アンドレアスの五女マリア・テレジア(1694年 - 1772年)と結婚。エマヌエルを相続人と見なしていた叔父が実現させた縁組で、事前に宗家のサルデーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ2世の許可を得ていた[4]。夫婦の間には一人息子のヨハネス・フランツ・オイゲン(1714年 - 1734年)が生まれた。1729年、叔父に先立ち天然痘で死亡[2]。42歳だった。
引用
[編集]- ^ マッケイ,P180
- ^ a b マッケイ,P269
- ^ Emanuel Thomas, Cte de Soissons(1687-1729),Genealogy.euweb.Savoy5.
- ^ マッケイ,P330
参考文献
[編集]- デレック・マッケイ(著)/瀬原義生(訳)『プリンツ・オイゲン・フォン・サヴォア-興隆期ハプスブルク帝国を支えた男-』文理閣、2010年。
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