エール・アフリック
表示
(エールアフリックから転送)
| ||||
設立 | 1961年3月28日 | |||
---|---|---|---|---|
運航停止 | 2002年1月 | |||
ハブ空港 | フェリックス・ウフェ=ボワニ国際空港 | |||
焦点空港 | レオポール・セダール・サンゴール国際空港(ダカール) | |||
航空連合 | 未加盟 | |||
就航地 | 22(運航停止時) | |||
本拠地 | コートジボワール・アビジャン |
エール・アフリック(Air Afrique)(エールアフリク)は、コートジボワールのアビジャンを本拠地としていた、かつて存在した多国籍航空会社である。主に旧フランス領の諸国によって設立され、後述するようにエール・フランス等のフランスの航空会社とも関係が深かった。
歴史
[編集]1961年3月28日にカメルーンの首都ヤウンデで、以下の西・中部アフリカ11カ国間でヤウンデ条約が調印された。
ヤウンデ条約は、加盟国間の航空運輸の権利を扱う条約である。
加盟11カ国以外に、エールフランスとUAT(後のUTA→エールフランスに吸収合併)の合弁企業であるSODETRAFがエールアフリックに資本参加した。
加盟国の変遷は以下の通りである。
- 1968年:トーゴが加盟。
- 1971年:カメルーンが脱退し、カメルーン航空を設立。
- 1976年:ガボンが脱退し、エールガボンを設立。
- 1978年:シエラレオネが加盟した。しかし、翌年に脱退。
- 1992年:マリ共和国が加盟した。
長年、コートジボワールを中心に西アフリカ地域と世界各地を結んできたが1990年代に入り経営が悪化した。
- エールアフリックの支払停止が確認されたため、リース会社よりリースしていた旅客機2機を1月14日付でリース会社に返還。
機材
[編集]- アントノフ An-12
- ボーイング707-320
- ボーイング707-320C
- ボーイング727-200
- ボーイング737-200
- ボーイング737-200C
- ボーイング747-100
- ボーイング747-200
- ボーイング747-200F
- ボーイング767-300ER
- カラベル10R
- カラベル11R
- コンベア990
- ダグラス DC-3
- ダグラス DC-4
- ダグラス DC-6
- ダグラス DC-8-30
- ダグラス DC-8-50
- ダグラス DC-8-50F
- ダグラス DC-8-63CF
- ホーカー・シドレー HS748
- ロッキード コンステレーション
- ロッキード L-1649 スターライナー
- ロッキード L-1011 トライスター
- マクドネル・ダグラス MD-11
- マクドネル・ダグラス MD-81
- NAMC YS-11
- ダグラス DC-10-30 3機
- エアバスA300-B4 3機(最後まで残った自社購入機、1機はダカール空港での事故で廃棄処分にされた。)
- エアバスA310-300 4機(自社購入機の4機を1998年6月に、クレディ・リヨネなどの債権者に差し押さえを受けた。その後2機をリースで導入)
- エアバスA300-600R 2機(ILFCよりリース)
- ボーイング737-300 3機(ILFCよりリース)
- エアバスA330-200 2機(ILFCよりリース)
エールアフリックの今後
[編集]- エールアフリックの破産後に、エールフランス、アフリカの公的金融機関(西アフリカ諸国中央銀行、中部アフリカ諸国銀行など)、加盟11カ国(上記参照)、従業員の出資の下で、新エールアフリックが設立される予定である。しかし、2002年9月に、コートジボワールの運輸大臣がモーリタニアなどの加盟国歴訪を始めた直後に、コートジボワールで内戦が勃発し、新エールアフリック設立は宙に浮いている。
- 現在エールアフリックは、清算作業をつづけながら、新エールアフリックの設立を待っている。最終的には、新エールアフリックは旧エールアフリックの資産(不動産、資材など)とロゴマークを引き継ぐ予定である。