オデッサ州
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- オデッサ州
- Одеська область
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州旗 州章 -
国 ウクライナ 州庁所在地 オデッサ(オデーサ) 面積
- 総計
- 陸地
- 水域全ウクライナ第1位
33,310 km²
? km²
? km² (?%)人口(2008年)
- 総計
- 人口密度全ウクライナ第4位
2,387,543人
73人/km²地区 26 領域共同体 x,xxx 市町村総数
- うち市の数
- うち町の数
- うち村の数
19
33
1,138州知事 オレ・キペル ISO 3166-2:UA UA-51 電話番号コード +380-48 公式サイト 合同庁
オデッサ州(オデッサしゅう、ウクライナ語: Одеська область オデースィカ・オーブラスチ)は、ウクライナの州の一つ。州都はオデッサ(オデーサ)。2015年から州知事は元ジョージア大統領ミヘイル・サアカシュヴィリが務めていた。
地理
[編集]オデッサ州は、ウクライナの西南部、南ブーフ川・ドニステル川・ドナウ川の河口地帯に位置している。北はヴィーンヌィツャ州とキロヴォフラード州、東はムィコラーイウ州、西はモルドバ、西南はルーマニアと接し、南は黒海に面している。オデッサ州の面積は主に草原が占めている。
オデッサ州の北部は深い峡谷に刻まれたポドィーリャ高地、南部は池や湖のある平地が広がっている。オデッサ州の地で黒海に注ぐ河川は200余りあり、その内もっとも大きなものは、ドナウ川、ドニステル川、コードィマ川とサウランカ川である。モルドバ共和国の南に突き出した部分はブジャクといい、歴史的にはベッサラビアの一部でありルーマニアに属していたこともある。
気候は大陸性気候である。1月の平均気温は、-3.5 °С、7月の平均気温は、22 °Сとなっている。
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風景
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風景
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風景
歴史
[編集]- 紀元前7世紀‐2世紀:遊牧民のスキタイの時代。
- 紀元前6世紀:海岸で古代ギリシャの植民地、ティーラとニコニイが創立される。
- 紀元前2世紀 - 2世紀:遊牧民のサルマタイの時代。
- 1世紀 - 3世紀:ローマ帝国の時代。
- 3世紀 - 4世紀:ゴート族の時代。
- 4世紀 - 5世紀:遊牧民のフン族の時代。
- 7世紀 - 8世紀:遊牧民のアラン人の時代。
- 8世紀 - 11世紀:スラヴ人の時代。東スラヴ人のウーグリチ族とティーヴェルツィ族が現在オデッサ州全域を支配する。
- 11世紀 - 12世紀:遊牧民のペチェニーヒ人の時代。
- 12世紀 - 13世紀:遊牧民のクマン人の時代。
- 13世紀 - 15世紀:遊牧民のモンゴル人の時代。
- 15世紀:リトアニア大公国の領土となる。
- 1480年代:オスマン帝国の属国、クリミア・ハン国の領土となる。ブジャク地方はモルドバ公国、後にオスマン帝国の支配下に置かれる。300年以後、ウクライナ・ポーランドへのイスラム教徒の侵略的拠点として発展している。
- 1768年 - 1774年、1787年 - 1791年、1806年 - 1812年:露土戦争。現在のオデッサ州全域はロシア帝国の領土となる。新ロシアの一部となる。
- 1794年:オデッサの港町が創建される。
- 18世紀末 - 19世紀:ロシア支配下のウクライナからのコサックと農民などによる植民が進められる。
- 1917年:ウクライナ人民共和国の領土となる。
- 1918年:ブジャク地方はルーマニアによって占領される(1940年まで)。
- 1918年 - 1920年:ウクライナ内戦の時代。1920年にボリシェヴィキ系のウクライナ社会主義ソヴィエト共和国の領土となる。
- 1932年:ウクライナ社会主義ソヴィエト共和国のオデッサ州が設置される。
- 1954年:南部のイズマイール州と統合される。
人口
[編集]2001年ウクライナ国勢調査によるデータ。
- 総人口: 2,469,000人[1]
- 都市人口: 1,624,600人(66%);農村人口: 844,400人(44%)[2]
- 性別人口:男性は 1,155,400人(47%);女性は 1,313,600人(53%)[3]
観光
[編集]- ビールホロド要塞(15世紀)
- オデッサ港町(19世紀)
- ドナウ川河口国立公園
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ビールホロド要塞
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オデッサ・オペラ劇場
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ドナウ川河口国立公園
脚注
[編集]- ^ ウクライナ国立統計委員会 (2001年12月5日). “2001年ウクライナ国勢調査。ウクライナの総人口” (ウクライナ語). 2011年12月14日閲覧。
- ^ ウクライナ国立統計委員会 (2001年12月5日). “2001年ウクライナ国勢調査。ウクライナの都市人口・農村人口” (ウクライナ語). 2011年12月14日閲覧。
- ^ ウクライナ国立統計委員会 (2001年12月5日). “2001年ウクライナ国勢調査。ウクライナの性別人口” (ウクライナ語). 2011年12月14日閲覧。
- ^ ウクライナ国立統計委員会 (2001年12月5日). “2001年ウクライナ国勢調査。地域別民族構成” (ウクライナ語). 2011年12月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 伊東孝之, 井内敏夫, 中井和夫編 『ポーランド・ウクライナ・バルト史』 (世界各国史; 20)-東京: 山川出版社, 1998年. ISBN 9784634415003
- ISBN 4121016556 黒川祐次著 『物語ウクライナの歴史 : ヨーロッパ最後の大国』 (中公新書; 1655)-東京 : 中央公論新社, 2002年.
- Історія міст і сіл Української РСР: Одеська область. — Київ: УРЕ АН УРСР, 1969.