コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ネーデルラント連合王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オランダ連合王国から転送)
ネーデルラント連合王国
Verenigd Koninkrijk der Nederlanden
フランス第一帝政
ネーデルラント連合公国
1815年 - 1839年 オランダ
ベルギー
ルクセンブルク
リンブルフ公国
モレネ
オランダの国旗 オランダの国章
国旗国章
国の標語: Je maintiendrai
我守り続けん
国歌: Wien Neêrlands bloed
オランダの位置
      ネーデルラント連合王国の位置(1815年)
      ルクセンブルク大公国
公用語 オランダ語
フランス語[注釈 1]
言語 フリジア語
リンブルフ語
オランダ低ザクセン語
首都 ハーグ
ブリュッセル[注釈 2]
国王
1815年 - 1830年 ウィレム1世
面積
65,000km²
人口
1815年2,233,000人
1839年3,500,000人
変遷
旧共和国におけるウィレム1世の即位宣言 1813年12月2日
ウィーン会議における承認、領土の確定1815年5月16日
ベルギー独立革命1830年8月25日
ロンドン条約1839年4月19日
通貨ギルダー
現在オランダの旗 オランダ
ベルギーの旗 ベルギー
ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク
ベルギーの歴史
ベルギーの国章
この記事はシリーズの一部です。

ベルギー ポータル
オランダの歴史
古代
ローマ帝国 58-476
民族大移動時代
中世
フランク王国 481-950
神聖ローマ帝国 962-1648
  ブルゴーニュ公爵領 1384-1482
  ネーデルラント17州 1477-1556
  オーストリア領 1482-1581
ネーデルラント連邦共和国 1581-1795
近代
バタヴィア共和国 1795-1806
ホラント王国 1806-1810
フランス第一帝政 1810-1815
ネーデルラント連合王国 1815-1830
現代
ネーデルラント王国 1830-現在

ネーデルラント連合王国(ネーデルラントれんごうおうこく、: Verenigd Koninkrijk der Nederlanden: Royaume-Uni des Pays-Bas: Vereinigtes Königreich der Niederlande: United Kingdom of the Netherlands)は、ナポレオン戦争中にフランス帝国領となっていたネーデルラントに、1815年ウィーン会議によって成立した国家である。正式な国名はネーデルラント王国: Koninkrijk der Nederlanden: Royaume des Pays-Bas: Königreich der Niederlande)である。

その領域は現在のオランダベルギールクセンブルクに相当し、フランス革命戦争以前のネーデルラント連邦共和国南ネーデルラント、およびリエージュ司教領から作られた。この新しい国の国王には、共和国の総督を代々務めてきたオラニエ=ナッサウ家の当主が就いた。

概要

[編集]

最初の設立の意図は、フランスがこの方面に野望を持った際に対抗できる国を、その北方に作ることであった。連合王国は、1830年ベルギー独立革命の結果、南部がベルギー王国として独立が承認されるまで続いた。ベルギーの独立は1839年ロンドン条約まで認められなかったが、独立革命後は北部の諸州のみをネーデルラント王国と呼ぶようになった。ルクセンブルク大公国は、1890年のウィレム3世の死までオラニエ=ナッサウ家による統治が続いた。ルクセンブルク大公位は女子の相続に関して規定していなかったことからナッサウ=ヴァイルブルク家に継承され、同君連合を解消して完全に独立した。これは、1783年のナッサウ家の協定に基づいたものである。

[編集]
オランダ王国とルクセンブルク大公国の新しい地図、1815 年

ネーデルラント連合王国は、以下の17の州およびルクセンブルク大公国から構成された。現在のオランダとベルギーの州は、これらの州をほぼそのまま継承、あるいは分割したものである[注釈 3]

ネーデルラント、ベルギー、ルクセンブルク、リンブルク(1839年)
ネーデルラント連合王国(1830年まで)
12:ネーデルラント王国(1830年以降)
2:リンブルフ公国(1839年ワールス・ルクセンブルクの代償として1839年以降ドイツ連邦に)
34:ベルギー王国(1830年以降)
45:ルクセンブルク大公国(1830年までの国境)
4リュクサンブール州(ワールス・ルクセンブルク。1839年にベルギーに割譲)
5:ルクセンブルク大公国(1839年以降のドイツ・ルクセンブルク国境)
青の線は、ドイツ連邦との国境

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ フランス語が公用語とされたのは1823年以降(ワロン地方のみ)[要出典]
  2. ^ 首都は公式には定められなかったが、この2都市で交互に議会を開催するとされた[要出典]
  3. ^ 20世紀のゾイデル海開発で誕生したオランダのフレヴォラント州ドイツ帝国領あるいは中立地帯からベルギーのリエージュ州に編入された現ドイツ語共同体の地域を除く[要出典]

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]