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オリビエ・ペリエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オリヴィエ・ペリエから転送)
オリビエ・ペリエ
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
出身地 フランスの旗 フランスマイエンヌ県シャトー=ゴンティエ
生年月日 (1973-01-12) 1973年1月12日(51歳)
身長 164cm
体重 55kg
騎手情報
初免許年 1989年フランスの旗 フランス
免許区分 平地競走
騎手引退日 2024年4月25日
経歴
所属 1989年-2024年 フランス
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オリビエ・ペリエOlivier Peslier1973年1月12日 - )は、フランスマイエンヌ県シャトー=ゴンティエ)出身の騎手。身長164cm。体重55kg。香港における名前の中文表記は「柏兆雷」

来歴

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父親は大理石職人で競馬とは直接関わりがなかった家庭に生まれる。しかし、フランス西部でよく行われているポニーレースに幼い頃から参加するうちに競馬への関心が高まり、騎手を志すようになった。

1994年ヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップで初来日(この当時はスペルからJRAの出走表・成績表関連も「ペスリエ」と表記された。また、それ以前には英語の読みで「ペスラー」とも表記されていたこともある)。JRA短期免許で再来日し、関西を拠点に騎乗し、1999年以降は関東を日本での拠点にしていたが、2005年は再び関西に拠点を移した。

1995年から2008年まで14年間連続でJRAの重賞勝ち、2000年から2005年まで6年連続で日本のGIを制覇するなど好成績を収めている。2008年までは1月~2月及び10月~12月に毎年短期免許で来日していたが、2009年は目の病気のため2月に途中帰国した。これ以降は短期免許による来日はないが、以下のとおり競走限定免許で日本に来ている。

ペリエいわく、フランスでは調教師の指示通りに騎乗しなくてはならず、またその指示も非常に細かいために自分の騎乗ができず、逆に日本では騎乗はすべて騎手に任されるため、日本では本来の自分が出せると語っている[1]

関西にいた時期が長かったため、ペリエが話す日本語は関西弁が多い。また、母国語のフランス語、騎乗機会の多いことから英語と3ヶ国語を話すことができるが、その3つを交ぜて話すことから「ペリエ語」と言われている。記者などのインタビューにも時には明るく応じてくれることもあるので日本にもペリエのファンは多い。最初に覚えた日本語は「アケテ」。ヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップで騎乗した際、藤田伸二四位洋文に教わったもの。

武豊とは非常に仲が良く、武がフランス遠征する際には通訳代わりとなることもある。また、フランス文化を教えるが、わざと嘘を教えることが多い。また武がJRA通算3000勝を達成した際には頬にキスをプレゼントした。

ワイン好きで、自家製ワインを作るためにぶどう畑を買い取ったほどである。またカレーうどんも大好物という。藤田によれば『ガリガリ君』も「三度の飯より大好き」とのこと[2]。ちなみに、ガリガリ君のCMの曲をすべて歌えるという。

来日してからしばらくは、岡部幸雄の後ろでレースを進めることによってペースを掴んでいたといい、「僕の(日本での)師匠は岡部さん」とインタビューで答えたことがあるほど信頼していた。プライベートでの親交はほとんどなかったが、岡部もこの発言を知っており、「僕は何も教えていない。彼のセンスはピカ一だから、僕はその手助けをしただけじゃないかな」と答えている。

2014年7月10日付パリターフ紙掲載のインタビューによれば、近年はシャンティイ地区からバイヨンヌ近郊のウルトに拠点を移してパリ地区との往復の日々であり、また引退後は「性に合っていない」との理由で調教師にならず、妻がウルトで開いている牧場の経営を手伝う意向を示している[3]

2024年4月24日、同年4月25日の騎乗を最後に現役を引退するとイギリスの競馬メディアにて報じられた[4][5]。4月25日にラ・テスト競馬場で行われたレースが最後の騎乗となり、結果は10着であった[6]

実娘のメガーヌ・ペリエは、2017年からアマチュア騎手として活動の後、2020年にはパリロンシャン競馬場でプロ騎手としてデビューしている[7]

略歴

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年度別成績表

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  • フランス競馬
年度 騎乗
勝利 勝率 獲得賞金
勝数 順位 金額 順位
1991年 - 46勝 - --- - -
1992年 - 31勝 - --- - -
1993年 756 91勝 3位 .120 231万7772 4位
1994年 937 116勝 2位 .124 319万9534 3位
1995年 959 151勝 2位 .158 422万7940 2位
1996年 938 163勝 1位 .174 485万8507 1位
1997年 860 157勝 1位 .183 540万6495 1位
1998年 820 142勝 3位 .173 478万9836 1位
1999年 892 147勝 1位 .165 408万3806 1位
2000年 923 162勝 1位 .176 497万7979 1位
2001年 902 148勝 2位 .164 410万5367 2位
2002年 638 98勝 4位 .154 329万1872 4位
2003年 746 109勝 4位 .146 343万1730 3位
2004年 823 123勝 3位 .150 381万3587 3位
2005年 774 99勝 4位 .128 440万7107 2位
2006年 751 107勝 5位 .143 454万6107 3位
2007年 697 94勝 6位 .135 349万8360 4位
2008年
通算 - 1984勝 - --- - -

※金額の単位はユーロ

  • 中央競馬
年度 騎乗
勝利 勝率 連対率 獲得賞金
勝数 順位
1994年 41 7勝 122位 .171 .268 1億2159万
1995年 117 11勝 90位 .094 .197 3億7838万
1996年 143 25勝 42位 .175 .259 5億933万
1997年 157 26勝 38位 .166 .318 5億6089万
1998年 152 31勝 28位 .204 .309 6億769万
1999年 135 22勝 45位 .163 .244 3億9562万
2000年 113 25勝 41位 .221 .372 5億7664万
2001年 128 25勝 43位 .195 .313 9億4574万
2002年 198 40勝 27位 .202 .343 10億4858万
2003年 248 55勝 17位 .222 .359 12億7561万
2004年 250 41勝 26位 .164 .320 12億8240万
2005年 193 15勝 56位 .078 .166 5億2871万
2006年 119 17勝 51位 .143 .269 5億1666万
2007年 143 21勝 49位 .147 .252 5億8665万
2008年
通算 2137 361勝 - .169 .290 93億3454万

※金額の単位は

主な勝ち鞍

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フランス

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ディアヌ賞(仏オークス)は未勝利[3]

イギリス

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日本

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その他

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テレビ出演

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著書

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出典

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  1. ^ パリ発、フランス情報2004年12月13日付パリターフ紙
  2. ^ 回答やん4 - 藤田伸二の男道・2009年6月29日
  3. ^ a b 騎手生活25年のペリエ騎手、現状を語る(フランス)”. ジャパン・スタッドブック・インターナショナルウェブサイト. ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2014年8月25日閲覧。
  4. ^ “世界的名手オリビエ・ペリエが引退へ 日本では有馬記念3連覇”. スポーツニッポン. (2024年4月24日). https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2024/04/24/kiji/20240424s00004000110000c.html 2024年4月24日閲覧。 
  5. ^ “オリビエ・ペリエ騎手の引退報道にネット惜しむ声続出「最後に日本に来てほしかった」「日本の夢を砕いたのが忘れられねぇ」”. 中日スポーツ. (2024年4月24日). https://www.chunichi.co.jp/article/889248 2024年4月24日閲覧。 
  6. ^ ペリエ 現役ラストデ―は2、10着 凱旋門賞4勝の世界的名手スポニチ競馬web(スポーツニッポン)、2024年4月24日配信・閲覧
  7. ^ ペリエ娘プロデビュー戦で1着 - Sponichi Annex 2020年7月23日
  8. ^ O.ペリエ Odds Park 2015年6月10日閲覧。
  9. ^ ニュースぷらざ”. ケイバブック. 2015年6月30日閲覧。
  10. ^ オリビエ・ペリエ以外にはジャック・ドワイヤベール (1942, 1944, 1950-1951) 、フレディ・ヘッド (1966, 1972, 1976, 1979) 、イヴ・サンマルタン (1970, 1974, 1982, 1984)、パット・エデリー (1980, 1985-1987)、の4人がいる。
  11. ^ 2014年レース結果 - racingpost、2014年8月25日閲覧