カパイシャン
カパイシャン Cap-Haïtien | |
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位置 | |
座標 : 北緯19度45分 西経72度12分 / 北緯19.750度 西経72.200度 | |
歴史 | |
入植 | 1670年 |
行政 | |
国 | ハイチ |
県 | 北県 |
郡 | カプ・アイシアン郡 |
市 | カパイシャン |
地理 | |
面積 | |
市域 | 53.50 km2 |
人口 | |
人口 | (2015年現在) |
市域 | 274,404人 |
人口密度 | 5,129人/km2 |
備考 | [1] |
その他 | |
等時帯 | 東部標準時 (UTC-5) |
夏時間 | 東部夏時間 (UTC-4) |
カパイシャン(フランス語: Cap-Haïtien)あるいはカプ・アイシアン(ハイチ語: Kap Ayisyen)は、ハイチ北部の都市。省略してオカプ(Okap)とも呼ばれる。北県の県庁所在地である[2]。人口は約27万人(2015年[1])。首都ポルトープランス都市圏の外では最大の都市である。
概要
[編集]フランス植民地時代にハイチの首都だった歴史があり、ベランダ付の建築が並ぶ街路はアメリカのニューオーリンズとよく比較される。カリブ海に面し、農作物の積出港として長い歴史がある。アメリカ海兵隊による占領 (1915年 - 1934年) の名残で南北の通りはアルファベット、東西の通りは数字で呼ばれる。ポルトープランスから遠く離れているため比較的治安が良く、首都圏からの移住者も少なくない。
東南端に小さなカパイシャン空港があり主に国内線を運航し、国連軍のチリ部隊が警備にあたっている。国際線はフォートローダーデールとの間で週に5便をリンクス国際航空が運航している。市内には国連ハイチ安定化派遣団 (MINUSTAH) の隊員数百人が駐留する。
歴史
[編集]1670年、フランス人が入植しサトウキビのプランテーションを開設した。土着のタイノ族を労働者として雇用したが、規模の拡大に伴い労働力不足となり、アフリカから輸入された奴隷を購入するようになった。
1697年のレイスウェイク条約によりフランス人入植地域「サン=ドマング」は正式なフランス植民地となった。1711年、ルイ14世は、カプ=フランセを植民地の首都とすると定め、本格的な街造りが始まった。砂糖、コーヒー豆の輸出は莫大な利益を上げた。
1803年のカプ=フランセ郊外のヴェルティエールの戦いでデサリーヌら反乱軍が勝利し、ハイチ独立に伴い改名された。1806年にアンリ・クリストフのハイチ国の首都ミロはカパイシャンの20㎞南東に置かれた。ミロにはサン=スーシ城が残されている。シタデル・ラフェリエールはそこから8㎞南の山の上にある。晴れた日には市内からそれらを眺望できる。1811年にクリストフが王位を宣言してアンリ1世となると首都がカプに移され、カプ=アンリに改名された ( - 1820年)。
観光
[編集]カパイシャン周辺は観光資源が豊富であり、ハイチ観光の中心地となっている。
- ラバディ地区はカパイシャンの北西10㎞にある。ロイヤルカリビアンのクルーズ船の停泊地となっている。
- 古都:ミロ
- 世界遺産:シタデル、サン=スーシ城、ラミエール国立歴史公園
- 要塞:シタデル・ラフェリエール
ギャラリー
[編集]-
街並み 1
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街並み 2
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市場(マルシェ)
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大聖堂
脚注
[編集]- ^ a b “Haiti: administrative units, extended”. geoHive. 2016年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月14日閲覧。
- ^ “Departments of Haiti”. Statoids (2016年3月12日). 2023年11月14日閲覧。