コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

カーウィラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カーウィラ公から転送)
カーウィラ
กาวิละ
第3代ラムパーン領侯
チエンマイ領及びラーンナー国王
在位 ラムプーン:
1774年 - 1782年
チエンマイ:
1782年 - 1816年11月21日
戴冠 ラムプーン:
1774年
チエンマイ:
1782年
家系 チェットトン王家
出生 (1742-10-31) 1742年10月31日
チエンマイラムプーン
死亡 (1816-11-21) 1816年11月21日(74歳没)
チエンマイチエンマイ
チャーイケーオ
チャンター
配偶者 ノーチャー
宗教 上座部仏教
テンプレートを表示

カーウィラタイ語: กาวิละ北タイ語1742年1816年)は、タイ王国チエンマイ県にあったチエンマイ王朝(復興ラーンナー王朝)の王である。

伝記

[編集]

ランパーンの国主、チャーイケーオの長男として生まれる。1774年、後にチエンマイ王となるチャーバーンの軍勢に加わり、タークシン王の軍勢に加勢し、ランパーンを死守したことにより、タークシン王朝下でもランパーン県の知事を命ぜられた。

1782年まで絶えずラムパーンをタイ勢力の基地としてビルマと多くの戦を交えた。その後タークシン王がラーマ1世に処刑されると、カーウィラは、ワチラプラーカーン伯爵の官位・欽錫名を与えられ、チエンマイ領主に任命された。

このときチエンマイは、未だビルマ軍の占領下にあったので、奪回すべく兵を募った後出兵し、1796年チエンマイを取り返し、チエンマイを再建した。その後、1802年カーウィラの称号を得た。王になってからは、チエンマイ市内の占領下で廃れた寺院の修復を行ったりした。

子孫

[編集]

カーウィラには5人の子息がいた。

爵位

[編集]
  • 1774年、ラムパーン領侯 (พระยานครลำปาง)
  • 1782年、チエンマイ領侯 (พระยาเชียงใหม่)
  • 1802年、チエンマイ領及びラーンナー国王 (พระบรมราชาธิบดี พระเจ้าเชียงใหม่)

参考文献

[編集]
  • Ongsakul, Sarassawadee, History of Lan Na, trans. Chitraporn Tanratanakul, Chian Mai: Silkworm Books, Thai text 2001, English text 2005, ISBN 9749575849
  • The Chiang Mai Chronicle 2nd Edition, trans. David K. Wyatt and Aroonrut Wchienkeeo, Chinag Mai: Silkworm Books, 1998, ISBN 9747100622

関連項目

[編集]
先代
チャーバーン
チエンマイ領主
1782年-1816年
次代
タンマランカー
先代
チャーイケーオ
ラムパーン領主
1774年-1782年
次代
カムソーム