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ポウィス伯爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クライヴ男爵から転送)
ポウィス伯爵(第3期)
Earl of Powis

紋章記述

Arms:Per pale Azure and Gules three Lions rampant Argent.Crest:A Wyvern Vert holding in the mount a Sinister Hand couped at the wrist Gules.Supporters:On the dexter side an Elephant Argent, and on the sinister side a Griffin wings expanded also Argent gorged with a Ducal Coronet Gules and charged with five Mullets in saltire Sable
創設時期1804年5月14日
創設者ジョージ3世
貴族連合王国貴族
初代2代クライヴ男爵エドワード・クライヴ英語版
現所有者8代伯ジョン・ハーバート英語版
相続人クライヴ子爵ジョナサン・ハーバート
相続資格初代伯爵の嫡出直系男子
付随称号下記参照。
現況存続
邸宅ポウィス城英語版
旧邸宅ラドロー城
モットーUng Je Serviray
(One will I serve)

ポウィス伯爵(ポウィスはくしゃく、英:Earl of Powis)はイギリスの伯爵貴族。有史以来3度創設されており、第1期はイングランド貴族、第2期はグレートブリテン貴族、第3期は連合王国貴族としての叙爵である。

現存する第3期は、第2代クライヴ男爵エドワード・クライヴ英語版が1801年に叙されたことに始まるため、本稿では前身となったクライヴ男爵についても触れる。

歴史

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第1期(1674年)

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ステュアート朝の廷臣ウィリアム・ハーバート (1626-1696)1674年4月4日にイングラン爵位「モンゴメリー州ポウィスのポウィス伯爵 (Earl of Powis, of Powis in the County of Montgomery) 」に叙された。彼は続く1687年に「ポウィス侯爵 (Marquess of Powis) に陛爵している[1][2][3]

しかし、その孫にあたる3代侯爵ウィリアム (1698-1748) が嗣子なく没すると、すべての爵位は廃絶した[1]。なお、一族の居城や地所は遠縁のヘンリー・ハーバート英語版(1703-1772) が相続するとともに、第2期のポウィス伯爵叙爵に繋がることとなる[4]

第2期(1748年)

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初代伯(第2期)ヘンリー・ハーバートとその家族を描いた絵画

ヘンリー・ハーバート英語版(1703-1772) はホイッグ党の政治家で、王室会計監査官英語版王室出納長官英語版を歴任した[4]。彼は第1期のポウィス伯爵が廃絶した1748年に「モンゴメリー州におけるポウィス城のポウィス伯爵 (Earl of Powis, of Powis Castle in the County of Montgomery) に叙されているが、これが第2期としての創設である[4][5][6]

なお彼はこの叙爵に先立つ1743年12月21日に「シュロップシャー州チャーブリーのハーバート男爵 (Baron Herbert, of Chirbury in the County of Shropshire) 」に叙されていたほか[4][7]、伯爵位創設時に、併せて「シュロップシャー州ラドローのラドロー子爵(Viscount Ludlow, of Ludlow in the County of Shropshire) 」及び「モンゴメリー州におけるポウィス城のポウィス男爵 (Baron Powis, of Powis Castle in the County of Montgomery) 」を授けられている[4][5]。また、1749年には特別継承権が付与された「チャーブリー及びラドローのハーバート男爵 (Baron Herbert, of Chirbury and of Ludlow) 」にも叙されている[4][8]。 これら一連の爵位は、すべてグレートブリテン貴族爵位である。

しかし、初代伯の跡を継いだ2代伯ジョージ (1755-1801) が1801年に没するとすべての有資格者が途絶えていたため、上記の爵位はわずか二代にしてことごとく廃絶した[4][6]。ジョージの死後は、彼の末妹ヘンリエッタ (1758-1830) が一族の所領と財産を相続した[6]

第3期(1804年)

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伯爵家(第3期)の祖ロバート・クライヴ
一族の邸宅であるポウィス城英語版

軍人ロバート・クライヴ (1725-1774)プラッシーの戦いに勝利して帰国したのち、その功績から1762年にアイルランド貴族爵位の「クレア県プラッシーのクライヴ男爵 (Baron Clive, of Plassey in the County of Clare) 」に叙された[9][10]。彼が1774年に自裁を遂げると[注釈 1]、爵位はその息子のエドワードが継承した[10][11]

2代男爵エドワード英語版(1754-1839) は1784年にポウィス伯爵家令嬢ヘンリエッタ・ハーバート (1758-1830) と結婚した[11]。1801年に妻の兄ジョージが嗣子なく没すると、クライヴ男爵家がその財産を相続している[6][11]。彼はシュロップシャー州統監英語版在職中の1794年にグレートブリテン貴族として「シュロップシャー州ウォルコットのクライヴ男爵 (Baron Clive, of Walcot in the County of Shropshire) 」に叙爵されたことを皮切りに、1804年には「ポウィス伯爵 (Earl of Powis) 」に昇叙したため、女系継承を通して伯爵位再興を果たした[11][12][13][14]

なお伯爵位叙爵時に併せて「シュロップシャー州ラドローのクライヴ子爵 (Viscount Clive, of Ludlow in the County of Shropshire) 」「シュロップシャー州チャーブリーの,チャーブリーのハーバート男爵 (Baron Herbert of Chirbury, of Chirbury in the County of Shropshire) 」及び「モンゴメリー州ポウィス城のポウィス男爵 (Baron Powis, of Powis Castle in the County of Montgomery) 」を授けられており、一連の爵位はすべて連合王国貴族爵位である[11][14]。 また1807年に勅許を得て、一族の姓を「クライヴ」から母方の「ハーバート」へと改姓している[11][13]

その孫にあたる4代伯ジョージ英語版(1862–1952) には二人の息子がいたが、長男は第一次世界大戦下のソンムの戦いで、次男は第二次世界大戦で両名とも戦死していたため、爵位は従兄弟のエドワードに相続された[11][15][16]

5代伯エドワード英語版(1889–1974) の後は、その弟クリスチャン英語版(1904–1988) に継承されたが、彼にも子がなかったため、さらに従兄弟であるジョージ英語版(1925–1993) に爵位は相続された[11]。その息子である8代伯ジョン・ジョージ・ハーバート英語版(1952- ) がポウィス伯爵家現当主である。

一族の邸宅は、ウェールズ地方ポウィス州ウェルシュプール英語版近郊のポウィス城英語版[11]

かつての邸宅にはシュロップシャー州ラドロー英語版に位置するラドロー城があり、同城は現在廃城となっているが、なおも伯爵家の管理下にある[17]

現当主の保有爵位

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現当主である第8代ポウィス伯爵ジョン・ジョージ・ハーバートは、以下の爵位を有する[11]

  • 第8代ポウィス伯爵 (Earl of Powis)
    (1804年5月14日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第8代シュロップシャー州ラドローのクライヴ子爵 (Viscount Clive, of Ludlow in the County of Shropshire)
    (1804年5月14日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第9代クレア県プラッシーのクライヴ男爵 (Baron Clive, of Plassey in the County of Clare)
    (1762年3月15日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • 第8代シュロップシャー州ウォルコットのクライヴ男爵 (Baron Clive, of Walcot in the County of Shropshire)
    (1794年8月13日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • 第8代シュロップシャー州チャーブリーの,チャーブリーのハーバート男爵 (Baron Herbert of Chirbury, of Chirbury in the County of Shropshire)
    (1804年5月14日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第8代モンゴメリー州ポウィス城のポウィス男爵 (Baron Powis, of Powis Castle in the County of Montgomery)
    (1804年5月14日の勅許状による連合王国貴族爵位)

ポウィス伯爵(第1期;1674年)

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ポウィス伯爵(第2期;1748年)

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ポウィス伯爵(第3期;1804年)

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クライヴ男爵(1762年)

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ポウィス伯爵(第3期;1801年)

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法定推定相続人は、現当主の息子であるクライヴ子爵(儀礼称号)ジョナサン・ニコラス・ウィリアム・ハーバート(1979-)。

脚注

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註釈

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  1. ^ 初代男爵ロバートは1767年に帰国後に議会より不正蓄財の嫌疑をかけられて弾劾を受けたのち、1773年の無罪決定まで屈辱を味わったという。この間に健康が悪化したうえに晩年はアヘン中毒も加わり、判決翌年に自裁を遂げた。[10]

出典

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  1. ^ a b Powis, Marquess of (E, 1687 - 1748)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年1月19日閲覧。
  2. ^ No.2224”. The Gazette 10 March 1686. 2020年1月20日閲覧。
  3. ^ Goodwin, Gordon (1891). "Herbert, William (1617-1696)" . In Stephen, Leslie; Lee, Sidney (eds.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 26. London: Smith, Elder & Co.
  4. ^ a b c d e f g Powis, Earl of (GB, 1748 - 1801)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年1月19日閲覧。
  5. ^ a b No.8744”. The Gazette 10 May 1748. 2020年1月20日閲覧。
  6. ^ a b c d Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Powis, Earls and Marquesses of" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 22 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 238.
  7. ^ No.8286”. The Gazette 20 December 1743. 2020年1月20日閲覧。
  8. ^ No.8890”. The Gazette 3 October 1749. 2020年1月20日閲覧。
  9. ^ herv, p. 87.
  10. ^ a b c Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Clive, Robert Clive, Baron" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 6 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 532–536.
  11. ^ a b c d e f g h i j Powis, Earl of (UK, 1804)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年1月20日閲覧。
  12. ^ CLIVE, Edward, 2nd Baron Clive [I (1754-1839), of Walcot, Salop. | History of Parliament Online]”. www.historyofparliamentonline.org. 2020年1月23日閲覧。
  13. ^ a b Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. (1921). https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse 
  14. ^ a b No.15700”. The Gazette 8 May 1804. 2020年2月10日閲覧。
  15. ^ Powis, Earl of (UK, 1804)”. cracroftspeerage.co.uk. Heraldic Media Limited. 16 November 2019閲覧。
  16. ^ Death of Viscount Clive - On Active Service with the RAF - Son and Heir of the Earl of Powis". Shrewsbury Chronicle. 26 March 1943. p. 5.
  17. ^ Lloyd n.d., p. 20

参考文献

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  • 堀口松城『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』明石書店、2009年。 
  • Lloyd, David (n.d.). Ludlow Castle: A History and a Guide. Welshpool, UK: WPG. OCLC 669679508 

関連項目

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