グレ=シュル=ロワン
表示
(グレ・シュル・ロワンから転送)
Grez-sur-Loing | |
---|---|
| |
行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | イル=ド=フランス地域圏 |
県 (département) | セーヌ=エ=マルヌ県 |
郡 (arrondissement) | フォンテーヌブロー郡 |
小郡 (canton) | ヌムール小郡 |
INSEEコード | 77216 |
郵便番号 | 77880 |
市長(任期) |
ジャン=クロード・ボワシエール (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes Pays de Nemours |
人口動態 | |
人口 |
1376人 (2008年) |
人口密度 | 人/km2 |
住民の呼称 | Grézois/Grézoises[1] |
地理 | |
座標 | 北緯48度18分55秒 東経2度41分20秒 / 北緯48.3152777778度 東経2.68888888889度座標: 北緯48度18分55秒 東経2度41分20秒 / 北緯48.3152777778度 東経2.68888888889度 |
標高 |
平均:?m 最低:52m 最高:85 m |
面積 | 12.97km2 |
公式サイト | Site officiel de la ville |
グレ=シュル=ロワン (Grez-sur-Loing)は、フランス、イル=ド=フランス地域圏、セーヌ=エ=マルヌ県のコミューン。
歴史
[編集]ガティネのカウンティは1068年にフィリップ1世によって王領に併合された。
かつてグレ=アン=ガティネ(Grès-en-Gâtinais)の名で知られたまちは、13世紀にはブランシュ・ド・カスティーユの持参金とされた重要な地だった。4つの門で守られていたまちは、百年戦争中にイングランド軍によって焼かれている。その後まちはゆっくりと衰退していった。
19世紀、美しいロワン川とフォンテーヌブローの森の風景、パリへの近さから、セーヌ=エ=マルヌ県を多くの芸術家たちが訪れた。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2007年 |
---|---|---|---|---|---|---|
727 | 951 | 1071 | 1045 | 1104 | 1277 | 1354 |
交通
[編集]- 鉄道 - トランジリアンR線、ブロン-マルロット-グレ駅
グレを訪れた人々
[編集]グレ=シュル=ロワンの芸術家村
[編集]グレ=シュル=ロワンを訪れた画家には、次のような人物がいる。
スウェーデンの画家、カール・ラーションは、女流画家のカーリン・ベーリェーとグレで結婚した。
アイルランド出身のフランク・オメーラがいた。スウェーデン出身者は多く、ラーション夫妻の他にカール・ヌードストロームやブルーノ・リリエフォッシュ、エマ・チャドウィック、ユリア・ベックといった人物がいる。アメリカ出身の画家では、ジョン・シンガー・サージェントやセオドア・ロビンソン、ウィラード・メトカーフらが訪れ、日本からも黒田清輝、浅井忠らがグレに滞在し、風景画を描いている。デンマークの「スケーエン派」の画家、イギリスの「グラスゴー・ボーイズ」と呼ばれる画家たちもグレを訪れた。
文学者のヨハン・アウグスト・ストリンドベリやロバート・ルイス・スティーヴンソンもグレを訪れた。
グレ=シュル=ロワンを描いた美術作品
[編集]-
(画) チャールズ・ウォーレン・イートン (1886)
-
(画)カール・トレーゴード
-
『グレーの原』
(画) 黒田清輝 (1890) -
(画) ウィンクワース・アラン・ゲイ
-
『グレの風景』
(画) ユリア・ベック (1885) -
『グレの川辺』
(画) ロバート・ヴォノー (c.1890) -
『夕暮(グレー)』
(画)和田英作(1902)