経済相互援助会議
Совет Экономической Взаимопомощи | |
コメコン(経済相互援助会議)の旗 | |
1980年代のコメコン正式加盟国 | |
略称 | COMECON, CMEA, CAME |
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設立 | 1949年1月8日 |
設立者 |
原加盟国 ソビエト連邦 ブルガリア ルーマニア チェコスロバキア ハンガリー ポーランド |
設立地 | ソビエト連邦 モスクワ |
解散 | 1991年6月28日 |
種類 | 経済機構 |
本部 | ソビエト連邦、モスクワ、ノーヴィ・アルバート・ウリーツァ通り36番 |
貢献地域 | 主に社会主義国 |
会員数 |
正式加盟国 ソビエト連邦 ブルガリア ルーマニア チェコスロバキア ハンガリー ポーランド 東ドイツ モンゴル キューバ ベトナム 事実上脱退 アルバニア 準加盟国 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 非社会主義協力国 フィンランド イラク メキシコ オブザーバー アンゴラ 南イエメン 社会主義エチオピア |
経済相互援助会議(けいざいそうごえんじょかいぎ、ロシア語: Совет экономической взаимопомощи、通称「コメコン」)は、1949年にソ連が主導した共産主義国に向けの経済圏であり、東欧諸国を中心に結成されていた。日本語では経相会やコメコンとも訳される。
原加盟国はソ連、ブルガリア、ルーマニア、チェコスロバキア、ハンガリー、ポーランドの6ヶ国で、その後東ドイツ、モンゴル、キューバ、ベトナムが加盟し加盟国は10ヶ国となった。なお結成初期にアルバニアが加盟したが、1961年以降は事実上脱退した状態にあった。またユーゴスラビアが準加盟国、フィンランド、イラク、メキシコの3ヶ国が非社会主義協力国、そしてアンゴラ、南イエメン、エチオピアがオブザーバー参加していた。
ソ連や東欧だけのために作った組織ではないが、創立から解散までにはソ連・東欧が絶対的な主体であった[1]。冷戦中の西側諸国による経済制裁やマーシャル・プランに対抗し、東側諸国が自給自足できるようにする事が設立の主な目的であった[2]。なおコメコンが対抗した西側の経済協力機構は対共産圏輸出統制委員会(ココム)と呼ばれ、冷戦中は北大西洋条約機構(NATO、西側)とワルシャワ条約機構(東側)の軍事的対立とココム(西側)とコメコン(東側)の経済的対立が続いた[3]。
歴史
[編集]時間の沿革
[編集]第二次世界大戦後に、アメリカ合衆国政府が行ったマーシャル・プランの欧州経済協力機構に対抗して設立された。
成立から1954年の第4回総会までの期間は、ソ連を中心とした外国貿易推進機関の性格が強く、加盟東欧諸国からソ連が一方的に利益を搾取していると批判されていたが、1956年の東欧動乱をきっかけに、ソ連は東欧諸国との経済関係の再構築に取り組んだ。
当初加盟国は、ソビエト連邦、ポーランド[4]、チェコスロバキア[5]、ハンガリー、ルーマニア[6]、ブルガリアの6ヶ国。ひと月遅れてアルバニア[7] が加盟した。その後、1950年に東ドイツ、1962年にモンゴル、1972年にキューバ、1978年にベトナムが加盟した。一方1962年にはアルバニアが事実上脱退。最終的に加盟国は10ヶ国になった。
このほかに、ユーゴスラビアが準加盟国、フィンランド、イラク、メキシコが非社会主義協力国、その他にもアンゴラ、エチオピア、南イエメン、モザンビーク、ラオスがオブザーバーの地位にあった。また中華人民共和国、北朝鮮もオブザーバーを送っていたが、中華人民共和国は中ソ対立の影響により、北朝鮮はチュチェ(主体)思想に基づいた独自の社会主義路線を取ったことにより、両国ともに1962年を最後に会議に参加しなくなった[8]。
1989年の冷戦終結に伴って東欧革命が始まり、1991年6月に解散した。
成り立ちと発展の流れ
[編集]経済相互援助会議はその設立から解散までの間に、EU(欧州連合)に次ぐ世界で2番目に大きな経済圏だった[9]。
創設目的はアメリカ合衆国の『マーシャル・プラン』に対抗することにあり、「単なるの経済圏」よりも「共産圏のイデオロギー」が強く反映されていた。ソ連は西側諸国の「民主主義・言論自由」の価値観が東欧に浸透してしまうことを非常に恐れていて、それを防ぐため、東欧諸国の主権を弱体化させ、厳しい言論検閲をし続けていた。一方、アメリカと西欧は『マーシャル・プラン』を通じて経済が一体化となっており、東側諸国へ貿易封鎖を掛けていた。スターリンは1949年1月25日の『経済相互援助会議の創設について』という演説会で、「我々社会主義国の経済は、資本主義に一切頼らず、お金を使わない独自の方法で成功しみせる」と自由世界へ公言した[10]。
創立後、成員国の間には大きな不平等があり、ソ連の地位はほかの国より圧倒的に高かった。ソ連は各成員国たちはなにを生産すべきか、なにを生産すべきでないかを一方的に決定し、たとえば一番売れている軍火・パソコン・グリーンエネルギーなどの産業はソ連国内に留め、農業・軽工業・食品など儲けない産業をほかの国に押し付けていた[11]。これにより、ソ連の経済はたしかに少量の成長を遂げていたが、ほかの共産独裁国家の経済はほとんど成長しない上、外交面でさらにソ連を依存するようになった。当然の結果として、東側諸国はソ連に対する怨みが急速に高まり続けていた。
1980年代の前半になると、ソ連は経済面で崩壊しつつ、軍事面でも弱体化してきた。超大国としての立場を失ったソ連に対して、かつて抑圧されていた東欧諸国はソ連の命令を無視しはじめていた。1980年代の後半、「現実で崩壊している経済」と「理論上で豊かはずの共産主義社会」の間はあまりにも大きな差があることを気づき、社会主義陣営の人々は次第に目覚め、コメコンの活動を一切不参加するようになった[12]。1989年、東欧の民主化がすすみ、東欧諸国はつぎつぎと共産体制を放棄し、自由市場経済・資本主義の路線へ一転する。1991年6月28日、各成員国のリーダーたちはハンガリーの首都ブダペストに集まり、経済相互援助会議の解散を全世界へ発表した。
加盟国と各加盟国での名称
[編集]国名 | 公用語 | 公用語でのコメコンの名称 | 略称 |
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アルバニア人民共和国 | アルバニア語 | Këshilli i Ndihmës Ekonomike Reciproke | KNER |
ブルガリア人民共和国 | ブルガリア語 | Съвет за икономическа взаимопомощ (Sǎvet za ikonomičeska vzaimopomošt) |
СИВ (SIV) |
キューバ共和国 | スペイン語 | Consejo de Ayuda Mutua Económica | CAME |
チェコスロバキア社会主義共和国 | チェコ語 | Rada vzájemné hospodářské pomoci | RVHP |
スロバキア語 | Rada vzájomnej hospodárskej pomoci | RVHP | |
ドイツ民主共和国(東ドイツ) | ドイツ語 | Rat für gegenseitige Wirtschaftshilfe | RGW |
ハンガリー人民共和国 | ハンガリー語 | Kölcsönös Gazdasági Segítség Tanácsa | KGST |
モンゴル人民共和国 | モンゴル語 | Эдийн засгийн харилцан туслалцах зөвлөл (Ediin zasgiin khariltsan tuslaltsakh zövlöl) |
ЭЗХТЗ (EZKhTZ) |
ポーランド人民共和国 | ポーランド語 | Rada Wzajemnej Pomocy Gospodarczej | RWPG |
ルーマニア社会主義共和国 | ルーマニア語 | Consiliul de Ajutor Economic Reciproc | CAER |
ソビエト社会主義共和国連邦 | ロシア語 | Сове́т экономи́ческой взаимопо́мощи (Sovet ekonomicheskoy vzaimopomoshchi) |
СЭВ (SEV) |
ベトナム社会主義共和国 | ベトナム語 | Hội đồng Tương trợ Kinh tế (會同相助經濟) |
HĐTTKT |
脚注
[編集]- ^ “経済相互援助会議”. コトバンク. 2024年7月24日閲覧。
- ^ “経済相互援助会議/コメコン/COMECON”. 世界史の窓. 2024年7月24日閲覧。
- ^ “冷戦”. 文教大学 (2008年8月2日). 2024年7月24日閲覧。
- ^ 加盟当時は「ポーランド共和国」、1952年より「ポーランド人民共和国」。
- ^ 加盟当時は「チェコスロバキア共和国」、1960年より「チェコスロバキア社会主義共和国」。
- ^ 加盟当時は「ルーマニア人民共和国」、1965年より「ルーマニア社会主義共和国」。
- ^ 加盟当時は「アルバニア人民共和国」、事実上脱退後の1976年に「アルバニア社会主義人民共和国」と改称。
- ^ "Germany (East)", Library of Congress Country Study, Appendix B: The Council for Mutual Economic Assistance Archived 2009-05-01 at the Wayback Machine.
- ^ Dragomir, Elena (2015). “The creation of the Council for Mutual Economic Assistance as seen from the Romanian archives: The creation of the Council for Mutual Economic Assistance” (英語). Historical Research 88 (240): 355–379. doi:10.1111/1468-2281.12083 .
- ^ 上官酒瑞 (2020年9月1日). ““四史”关键词|经济互助委员会究竟是个什么样的组织?”. 澎湃新闻. オリジナルの2022年10月23日時点におけるアーカイブ。 2022年10月23日閲覧。
- ^ "Germany (East)", Library of Congress Country Study, Appendix B: The Council for Mutual Economic Assistance Archived 2009-05-01 at the Wayback Machine.
- ^ Lacharrière, Guy de (1968). “Division internationale socialiste du travail et Coexistence pacifique des systèmes”. Revue Tiers Monde 9 (35): 743–765. doi:10.3406/tiers.1968.2463. オリジナルの2023-05-22時点におけるアーカイブ。 2022年4月20日閲覧。.