サントリー・サウンドマーケット
サントリー・サウンドマーケット | |
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放送方式 | 生放送 |
放送期間 | 1982年4月1日 - 1992年3月31日 |
放送時間 | 月曜日 - 木曜日 22:00 - 22:55 |
放送局 | TOKYO FM |
ネットワーク | JFN |
提供 | サントリー |
『サントリー・サウンドマーケット』(SUNTORY Sound Market)は、1982年4月1日から1992年3月31日までTOKYO FM・JFN系列で放送されたラジオ番組。毎週月曜 - 金曜の22:00 - 22:55の55分間の帯番組であった。サントリーの一社提供。
概要
[編集]音楽と合わせて、ドラマ・ドキュメント・カルチャーを取り入れた[1][2][3]。
なお、FM大阪は金曜のみ21:00 - 21:55に先行放送していた。これは22:00 - 23:25に『阪急アワー スクリーン・グラフィティ』を放送していたためである。長きにわたって続いていた編成だが1989年に番組が『阪急スクリーンネットワーク』になると同時に番組が20:30 - 21:55へスライドしたため、この番組が全曜日同時ネットへ昇格した。
当時のJFN加盟局でも、FM群馬、FM三重、FM-FUJIは未ネットであり、FU-FUJI以外はJFNCの代替番組「FMナイトフィーバー」を放送していた。またエフエム沖縄は前身の極東放送時代からネットしていた。
タイムテーブルの番組ロゴにはトランペットを模したイラストの上に"FM NETWORK"とかいてあったが、地方局ではその部分を局のコールサインと親局周波数に書き換えているものも多かった。
前後のテーマ曲は喜多郎が作曲・演奏したオリジナルで、小林克也によるタイトルコールと提供クレジットがついた(小林は本編には登場しない)。
パーソナリティは、初代が金子晴美(1982年4月 - 1983年9月)、2代目が西田珠美(1983年10月-1986年9月)、シリア・ポールが1986年10月 - 1992年3月と長くパーソナリティを務めた。
番組終了後
[編集]1992年の当番組終了後、この枠はワイド番組の編成に変わり、「EAR STATION 耳の穴」に引き継がれた(1992年4月 - 1993年3月。現在の夜ワイド枠は「SCHOOL OF LOCK!」)。
サントリー一社提供番組は、曜日・時間帯を変えて1992年4月に開始した「サントリー・サタデー・ウェイティング・バー」に引き継がれた。
脚注
[編集]- ^ 「SJジャズ・チャンネル~テレビ・ラジオのジャズ番組案内」『スイングジャーナル』第36巻第4号、スイングジャーナル社、1982年4月1日、53頁、NDLJP:2300175/28。
- ^ 「放送」『月刊アドバタイジング』第27巻第5号、電通、1982年4月25日、74頁、NDLJP:2262000/39。
- ^ 茂木幹弘『ザ・FM』シーズ、1986年4月15日、48頁。NDLJP:12275735/26。
TOKYO FM / JFN 月曜 - 木曜 夜ワイド番組 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
ライブ・フロム・ザ・ボトム・ライン
(19??年?月?日 - 1982年3月31日) ※22:00 - 22:25 ソニー・ミュージック・ラボラトリー (19??年?月?日 - 1982年3月31日) ※22:25 - 22:40 【23:00 - 23:15枠に移動して継続】 マクセルユアポップス (1972年4月3日 - 1982年3月31日) ※22:40 - 22:55 【23:15 - 23:30枠に移動して継続】 |
サントリー・サウンドマーケット
(1982年4月1日 -1992年3月31日) ※22:00 - 22:55 |
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TOKYO FM / JFN 金曜 22:00 - 22:55枠 | ||
ライブ・フロム・ザ・ボトム・ライン
(19??年?月?日 - 1982年3月31日) ※22:00 - 22:25 ソニー・ミュージック・ラボラトリー (19??年?月?日 - 1982年3月31日) ※22:25 - 22:40 【23:00 - 23:15枠に移動して継続】 マクセルユアポップス (1972年4月3日 - 1982年3月31日) ※22:40 - 22:55 【23:15 - 23:30枠に移動して継続】 |
サントリー・サウンドマーケット
(1982年4月2日 - 1992年3月27日) |
踊るマチュピチュ
(1992年4月3日 - 1993年3月26日) |