シチズンプラザ
シチズンプラザ | |
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情報 | |
用途 | レジャー施設、スポーツ施設 |
管理運営 | シチズンプラザ株式会社 |
敷地面積 | 7,927.14 m² [1] |
状態 | 閉館 |
開館開所 | 1972年 |
解体 | 2021年 |
所在地 |
〒169-0075 東京都新宿区高田馬場4丁目29-27 |
座標 | 北緯35度42分41秒 東経139度41分53.6秒 / 北緯35.71139度 東経139.698222度座標: 北緯35度42分41秒 東経139度41分53.6秒 / 北緯35.71139度 東経139.698222度 |
シチズンプラザは、かつて東京の高田馬場にあった、スケートリンクやボウリング場、テニスコートなどからなる複合レジャー・スポーツ施設である。シチズン時計の子会社のシチズンプラザ株式会社により運営されていた。
歴史
[編集]運営会社であるシチズンプラザ株式会社は、1971年(昭和46年)12月21日にシチズン時計の100%出資で設立。シチズン時計創業地に、1972年にボウリング場、1975年にはアイススケートリンクをオープンさせた。敷地内には「シチズン時計発祥の地」の碑も建てられている[2]。
2015年に、シチズン時計はシチズンプラザの敷地を三井不動産に売却。三井不動産から土地を賃借したうえで、シチズンプラザの営業を継続した[1]。建物の老朽化と経営難から、2020年2月に、1年後の2021年1月末をもって閉館する旨を発表した[3]。建物は、2021年3月22日から解体される予定である[2]。
施設
[編集]A館・B館の2館体制で、3階の連絡通路でつながっていた[4]。1階はアイススケートリンク、2階にはボウリング場、屋上には4面のテニスコートとオートテニスの設備があった[5]。アイススケート場は60m×30mのサイズで、ホッケーリンクとしての規格を満たしており、アイスホッケーの大会も開かれた[4]。フィギュアスケート、アイスホッケー、スピードスケートの練習拠点として、学生スポーツの大学生やシチズンクラブ生約350人がほぼ毎日利用、スケート教室の生徒約600人も定期的に利用していた[6]。本施設の他に東京都内の通年利用可能なスケートリンクは新宿区の明治神宮外苑アイススケート場、東大和市の東大和スケートセンター、西東京市のダイドードリンコアイスアリーナの3ヶ所しかなく、すでに多くの利用者があり空き時間を確保するのは困難な状況にある[7]。新設される三井不動産アイスパーク船橋も片道1時間以上の遠方にあることから多くの選手が練習に困難をきたすことが懸念されている[8]。東京辰巳国際水泳場にスケートリンクを整備する計画があるが、2020年東京オリンピック延期の影響で見通しが立っていない[9]。
「高田馬場スケートリンクの存続を願う会」では、シチズンプラザ跡地の再開発施設にスケートリンクの導入を求めた署名運動を行い、手書き・ネット署名合わせて7,203筆の署名を集めた[10]。
脚注
[編集]- ^ a b 『固定資産の譲渡及び特別利益の計上に関するお知らせ』(pdf)(プレスリリース)シチズンホールディングス株式会社、2015年3月26日 。2021年2月6日閲覧。
- ^ a b “高田馬場のレジャー施設「シチズンプラザ」が閉館 最後の1枚、記念撮影する姿も”. 高田馬場経済新聞. (2021年2月4日) 2021年2月6日閲覧。
- ^ “羽生も滑ったリンク、来年閉鎖 スケーターから悲痛の声”. 朝日新聞デジタル. (2020年6月6日) 2021年2月13日閲覧。
- ^ a b “高田馬場のスケート場「シチズンプラザ」がおすすめ!料金や混雑具合は?”. Travel Note (2020年10月8日). 2021年2月13日閲覧。
- ^ “高田馬場シチズンプラザテニススクール”. 東京都テニス事業協会. 2021年2月13日閲覧。
- ^ “スケートリンクの利用状況”. 高田馬場スケートリンクの存続を願う会. 2021年2月13日閲覧。
- ^ “学生たちの練習リンク残して 東京のシチズンプラザ、町田樹さんも存続訴え”. 朝日新聞4years. (2020年9月11日) 2021年2月14日閲覧。
- ^ “スケート選手を取り巻く環境”. 高田馬場スケートリンクの存続を願う会. 2021年2月13日閲覧。
- ^ “高田馬場「シチズンプラザ」来年1月閉館 都内のスケーター悲鳴”. 産経新聞. (2020年9月11日) 2021年2月14日閲覧。
- ^ “署名活動 終了のご報告”. 高田馬場スケートリンクの存続を願う会 (2020年11月11日). 2021年2月14日閲覧。
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト(閉館のお知らせ)