ジェームズ・ダグラス (第3代クイーンズベリー侯爵)
第3代クイーンズベリー侯爵ジェームズ・ダグラス(James Douglas, 3rd Marquess of Queensberry、1697年11月2日 – 1715年2月17日埋葬)は、スコットランド貴族。知的障害者であり、父の第2代クイーンズベリー公爵ジェイムズ・ダグラスに相続廃除されたが、再叙爵(ノヴォダマス)で1682年創設の爵位(クイーンズベリー侯爵ほか従属爵位)を指定しなかったため、法律上はジェームズがそれらの爵位を継承した[1]。長らくエディンバラで幽閉されていたが、1707年に一度脱出し、使用人を殺害して食べようとしたことが知られている[1]。
生涯
[編集]第2代クイーンズベリー公爵ジェイムズ・ダグラスと妻メアリー(第3代ダンガーヴァン子爵チャールズ・ボイルの娘)の次男(長男ウィリアムは1696年10月に生後5か月で夭折)として、1697年11月2日に生まれた[1]。知的障害者であり、『完全貴族要覧』ではおそらく出生時よりそうであると推測しつつ、相続廃除がなされた1706年6月までに障害が生じたことは確実であるとした[1]。
父の第2代クイーンズベリー公爵は1706年3月12日に爵位を返上して、同年6月17日に再叙爵(ノヴォダマス)を受けており、1684年創設の爵位(クイーンズベリー公爵ほか従属爵位)の継承者をクイーンズベリーの地所の継承者、かつ初代クイーンズベリー伯爵の子孫に限定し、直後に次男チャールズなどの人物を遺産の相続人に指定して、ジェームズを爵位と遺産の相続から排除した[1]。1708年に父がドーヴァー公爵に叙されたときも爵位に特別残余権(special remainder)が定められ、ジェームズが継承できないようにした[1]。
ジェームズは幼少期よりエディンバラで幽閉されていたが、1707年にイングランド王国との合同法案が議論され、エディンバラで暴動が起きると、使用人たちが暴動の状況を見に行ってしまい、ジェームズはその間に脱出した[1]。ジェームズはキッチンに行き、そこで焼きぐしを回している使用人を殺害し、焼きぐしに刺して料理した[1]。その結果、同時代の人々から「人肉食の白痴」(the Cannibalistic idot)と呼ばれた[1]。
1711年7月6日に父が死去すると、クイーンズベリー公爵ほか従属爵位は1706年のノヴォダマスに基づき、ドーヴァー公爵ほか従属爵位は特別残余権に基づき弟チャールズが継承した[1]。1706年のノヴォダマスで言及されなかった1682年創設の爵位(クイーンズベリー侯爵ほか従属爵位)は法律上ジェームズが継承し、1812年7月9日の貴族院裁決で再確認された[1]。もっとも、ジェームズ自身がクイーンズベリー侯爵の称号を名乗ることはなかった[1]。
生涯未婚のまま死去、1715年2月17日に「ドラムランリグ伯爵」としてロンズバラで埋葬された[1]。クイーンズベリー侯爵位は弟チャールズが継承した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1945). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Oakham to Richmond) (英語). Vol. 10 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 696–697.
スコットランドの爵位 | ||
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先代 ジェイムズ・ダグラス |
クイーンズベリー侯爵 1711年 – 1715年 |
次代 チャールズ・ダグラス |