ジェレミー・トゥララン
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マラガ時代のトゥララン (2012年) | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Jeremy TOULALAN | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | フランス | |||||
生年月日 | 1983年9月10日(41歳) | |||||
出身地 | ナント | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (DH) / DF (CB) | |||||
利き足 | 右 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2006 | ナント | 94 | (1) | |||
2006-2011 | オリンピック・リヨン | 154 | (0) | |||
2011-2013 | マラガ | 44 | (3) | |||
2013-2016 | モナコ | 82 | (1) | |||
2016-2018 | ボルドー | 51 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
2001-2002 | フランス U-17 | 9 | (4) | |||
2002-2003 | フランス U-18 | 7 | (1) | |||
2003-2006 | フランス U-21 | 19 | (5) | |||
2006-2010 | フランス | 36 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2018年1月20日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジェレミー・トゥララン(Jérémy Toulalan, 1983年9月10日 - )は、フランス・ナント出身の元サッカー選手。元フランス代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
来歴
[編集]地元のFCナントからプロデビューし、2004-05シーズンにはリーグ最優秀若手選手とリーグベストイレブンに選出された。2006年にオリンピック・リヨンに移籍し、2006-07シーズンと2007-08シーズンにリーグ優勝を果たした。2006年10月11日のEURO2008予選のフェロー諸島戦でフランス代表デビューし、EURO2008と2010南アフリカW杯に出場した。
ナント
[編集]地元のサッカークラブ、FCナントの下部組織出身で、2001-02シーズンのスタッド・レンヌとのブルターニュ・ダービーでプロデビューした[1]。2002-03シーズンと2003-04シーズンは試合出場機会が限られたが、2004-05シーズンにはフィジカル能力に長けたミッドフィールダーとしての立ち位置を確立し、RCストラスブール戦ではFCナント在籍期間中唯一の得点を挙げた。クラブは降格ラインぎりぎりの17位に終わったが、個人の活躍は評価され、リーグ・アン最優秀若手選手とリーグ・アンベストイレブンに選出された。
オリンピック・リヨン
[編集]2004年夏にはリーグ・アン3連覇中のオリンピック・リヨンが移籍金1000万ユーロを提示してトゥラランの獲得を狙ったが、ナントは拒否した。2005-06シーズン終了後にはマアマドゥ・ディアッラとジェレミー・クレマンを同時に失ったリヨンが再びトゥラランにオファーを出し、2006年5月19日に移籍金750万ユーロの4年契約で移籍した[2]。ナントでは背番号17を着けていたが、2003年のコンフェデレーションズカップにおいて亡くなったカメルーン代表のマルク=ヴィヴィアン・フォエ(リヨン在籍時に17番を着けていた)に敬意を表す気持ちから28番を選んだ。開幕の古巣・ナント戦でデビューし、フル出場した[3]。主に4-3-3システムが採用されたチームの中盤でジュニーニョ・ペルナンブカーノ・キム・シェルストレーム・ティアゴ・メンデスらとトリオを組み、2位に勝ち点17差で6連覇を果たした原動力となった。
2007-08シーズンにはリーグ最優秀選手賞にノミネートされたが、チームメイトのカリム・ベンゼマにタイトルを譲った。2008年夏には多くのクラブがトゥララン獲得に乗り出し、パトリック・ヴィエラの代役を期待したアーセナルや、パリ・サンジェルマンに移籍したクロード・マケレレの後継者を探していたチェルシーFCなどが強い関心を示した[4]。しかしリヨンにとどまることを望み、5月7日には2013年までの新契約を結んだ[5]。2010年1月13日、リーグカップのFCメス戦で移籍後初得点を決めた。2010年夏にジャン=アラン・ブームソンがギリシャのパナシナイコスFCに移籍したため、2010-11シーズンはセンターバックにコンバートされ、キャプテンマークを付けることも多くなった。しかし、後述のW杯での件もあり思うような活躍ができず、チームも低迷した。
マラガ
[編集]2011年6月17日、スペインのマラガCFに約1100万ユーロの4年契約で移籍。自身初の国外でのプレーとなった。移籍後は主にセントラルミッドフィールダーとして出場している。
モナコ
[編集]2013年7月6日、大型補強を行うASモナコへ移籍が決定[6]。契約は2年間だが、1年の延長オプション付き。
ボルドー
[編集]2016年6月29日、FCジロンダン・ボルドーへ自由移籍で加入[7]。契約は2年間。
代表
[編集]2000年、初の世代別代表となるU-17フランス代表に招集された。2006年にはU-21フランス代表としてUEFA U-21欧州選手権に出場し、準決勝でオランダに敗れた。大会ベストイレブンに選出されたが、同ポジションのMFリオ・マヴュバやMFイスマイル・アイサティも選ばれたため、トゥラランは左ウイングでの選出だった。
2006年8月24日、フランスA代表に初招集され、UEFA EURO 2008予選のフェロー諸島戦にフル出場してデビューを飾った[8]。UEFA EURO 2008本大会のメンバーにも選ばれ[9]、チームはグループリーグ敗退という期待外れの結果に終わったが、負傷したパトリック・ヴィエラに代わってレギュラーとして出場し、グループリーグ3試合全てにフル出場した数少ない選手となった。レイモン・ドメネク監督は事あるごとに「トゥラランはヴィエラの理想的な後継者である」と述べ[10]、リオ・マヴュバやアルー・ディアッラ、ラッサナ・ディアッラを押しのけてレギュラーポジションを掴んだ。2010 FIFAワールドカップにも招集されたが、グループリーグで勝ち点1しか奪うことができずに敗退した。2010年8月6日、トゥラランを含む5人の代表選手がフランスサッカー協会規律委員会に召喚され、大会中にチームが置かれていた状況についての説明を求められた[11]。8月17日、本大会出場選手全員に対して1試合の出場停止処分が下った[12]。
人物・特徴
[編集]- シャイで謙虚な性格として知られている。シンプルなパス、優れたテクニック、効果的なタックルと堅実な守備が持ち味である[13]。本来のポジションは守備的ミッドフィールダーであるが、センターバックとしてもプレーできる。
所属クラブ
[編集]- 2001-2006 FCナント
- 2006-2011 オリンピック・リヨン
- 2011-2013 マラガCF
- 2013-2016 ASモナコ
- 2016-2018 FCジロンダン・ボルドー
代表歴
[編集]出場大会
[編集]試合数
[編集]- 国際Aマッチ 36試合 0得点(2006年-2010年)[14]
フランス代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2006 | 1 | 0 |
2007 | 8 | 0 |
2008 | 13 | 0 |
2009 | 8 | 0 |
2010 | 6 | 0 |
通算 | 36 | 0 |
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- オリンピック・リヨン
- リーグ・アン:2回 (2006-07, 2007-08)
- クープ・ドゥ・フランス:1回 (2007-08)
- トロフェ・デ・シャンピオン:2回 (2006, 2007)
個人
[編集]脚注
[編集]- ^ “Nantes v. Rennes Match Report”. Ligue de Football Professionnel. (2002年3月23日) 2010年5月11日閲覧。
- ^ “Jeremy Toulalan signe à Lyon”. NewsSearch. (2006年5月19日). オリジナルの2012年7月12日時点におけるアーカイブ。 2010年5月11日閲覧。
- ^ “Nantes v. Lyon Match Report”. Ligue de Football Professionnel. (2006年8月4日) 2010年5月11日閲覧。
- ^ “Nantes v. Lyon Match Report”. Eye Football. (2008年4月6日) 2010年12月21日閲覧。
- ^ “Toulalan prolonge à Lyon, Benzema et Ben Arfa devraient suivre” (French). Eye Football. (2008年3月7日) 2010年12月21日閲覧。
- ^ “トゥララン、新天地はモナコに決定”. GOAL. (2013年7月6日) 2013年7月7日閲覧。
- ^ ボルドーがモナコから元フランス代表MFトゥラランを獲得…2年契約 - 超ワールドサッカー 2016年6月29日
- ^ “France v. Faroe Islands Match Report”. UEFA. (2006年8月11日). オリジナルの2009年4月4日時点におけるアーカイブ。 2010年5月11日閲覧。
- ^ “France squad for Euro 2008”. London: The Guardian. (28 May 2008) 11 May 2010閲覧。
- ^ “Toulalan won´t shy away from replacing Vieira”. Soccer News. (2008年8月7日) 2010年12月21日閲覧。
- ^ “French football in chaos after players' mutiny”. Sports Illustrated. (2010年8月6日). オリジナルの2010年8月19日時点におけるアーカイブ。 2010年8月17日閲覧。
- ^ “Nicolas Anelka given 18-match France suspension”. British Broadcasting Corporation. (2010年8月17日) 2010年12月21日閲覧。
- ^ “A Great Player – Toulalan: Shy, humble and dorky”. Ole Ole. (2008年11月10日). オリジナルの2010年2月11日時点におけるアーカイブ。 2010年5月11日閲覧。
- ^ ジェレミー・トゥララン - National-Football-Teams.com
外部リンク
[編集]- ジェレミー・トゥララン - National-Football-Teams.com
- ジェレミー・トゥララン - Soccerway.com
- ジェレミー・トゥララン - FootballDatabase.eu
- ジェレミー・トゥララン - WorldFootball.net
- ジェレミー・トゥララン - Transfermarkt.comによる選手データ
- ジェレミー・トゥララン - FIFA主催大会成績
- ジェレミー・トゥララン - UEFA
- ジェレミー・トゥララン - Ligue de Football Professionnel
- ジェレミー・トゥララン - レキップ
- ジェレミー・トゥララン - playmakerstats.com