ジェームス・ティエン
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(ジェームズ・ティエンから転送)
ジェームズ・ティエン | |
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中国語 | 田俊 |
漢語拼音 | Tián Jùn |
粤拼 | Tin4 Zeon3 |
生誕 |
1942年5月28日(82歳) 広東省潮安県(現・潮州市) |
英語名 | James Tien |
職業 | 俳優 |
活動期間 | 1968年 - 1996年 |
ジェームズ・ティエン(田俊、James Tien、1942年5月28日 - )は、香港の俳優。主にブルース・リー、ジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポーなどのカンフー、アクション作品に出演した。
来歴
[編集]1942年、広東省の潮安県(現・潮州市)に生まれ、1958年に家族と香港に移住した。 そしてアンジェラ・マオ、フィリップ・クォックとともに台北の国立台湾戯曲学院に入学[1]。
1960年頃にショウ・ブラザーズに入社し、1969年にロー・ウェイ監督の映画『虎膽(Raw Courage)』で初の大役を務める。
それから多くのショウ・ブラザーズ作品に出演し、1970年頃にゴールデン・ハーベスト(嘉禾)に移籍し、ブルース・リー主演映画『ドラゴン危機一発』(1971年)でリーのいとこを演じる。
その後、同じくリー主演作品『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972年)に出演。
引き続き1974年、ジョン・ウー監督の『ジャッキー・チェンの秘龍拳/少林門』で後の"ゴールデン・トリオ"ジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウと初共演。
1977年からは、サモ・ハン・キンポーの初監督作品『少林寺怒りの鉄拳』、ジャッキー・チェンの初監督作品「クレージーモンキー 笑拳』(1979年)などで脇役や悪役などを演じた。
1991年にはアンディ・ラウの作品に出演し、1996年の『運財五福星』を最後に俳優業を引退した。
主な出演作品
[編集]- アンジェラ・マオ 8人のドラゴン 天龍八将(1970年)
- ノラ・ミャオ レディ・ブレイド(1970年)
- ドラゴン危機一発(1971年)
- ドラゴン怒りの鉄拳(1972年)
- シーマンNo.7・波止場のドラゴン(1973年)
- 必殺!サンダーボルト(1973年)
- 冷面虎 復讐のドラゴン(1973年)
- 必殺!少林拳 涙の復讐(1974年)
- ジョン・ウーの龍を征する者(1974年)
- ジャッキー・チェンの秘龍拳/少林門(1974年)
- Mr.Boo!天才とおバカ(1975年)
- 少林寺怒りの鉄拳(1977年)
- 死亡遊戯(1978年)
- ジャッキー・チェンの飛龍神拳(1978年)
- カンニング・モンキー 天中拳(1978年)
- 拳精(1978年)
- 龍拳(1978年)
- クレージーモンキー 笑拳(1979年)
- ユン・ピョウ in ドラ息子カンフー(1981年)
- 燃えよデブゴン4 ピックポケット!(1982年)
- ジャッキー・チェンの醒拳(1983年)
- 五福星(1983年)
- 新ポリス・ストーリー Pom Pom(1984年)
- デブゴンの快盗紳士録(1984年)
- 香港発活劇エクスプレス 大福星(1985年)
- 七福星(1985年)
- ファースト・ミッション(1985年)
- レディ・ハード 香港大捜査線(1985年)
- 冒険活劇 上海エクスプレス(1986年)
- 十福星(1986年)
- 検事Mr.ハー 俺が法律だ(1986年)
- 香港極楽コップス 俺たちに明日はある!?(1986年)
- 霊幻道士2 キョンシーの息子たち(1986年)
- イースタン・コンドル(1987年)
- チャイナ・フィナーレ 清朝最後の宦官(1988年)
- サイクロンZ(1988年)
- バーニング・センセーション(1989年)
- 香港レディ・レポーター(1989年)
- リー・ロック伝 大いなる野望 Part1 炎の青春(1991年)
- リー・ロック伝 大いなる野望 Part2 香港追想(1991年)
- ギャンブリング・ゴースト(1991年)
- 運財五福星(1996年)
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ "James Tien-chun profile". Baike Badu. Retrieved 18 February 2009.