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ジェイク・ガーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャコブ・ガーンから転送)
ジェイク・ガーン
Jake Garn
アメリカ合衆国上院議員
ユタ州選出
任期
1974年12月21日 – 1993年1月3日
前任者ウォレス・F・ベネット英語版
後任者ボブ・ベネット英語版
第28代ソルトレイクシティ市長
任期
1972年 – 1974年12月20日
前任者J・ブラッケン・リー英語版
後任者コンラッド・B・ハリソン英語版
個人情報
生誕Edwin Jacob Garn
(1932-10-12) 1932年10月12日(92歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ユタ州リッチフィールド英語版
政党共和党
教育ユタ大学 (BS)
兵役経験
所属国アメリカ合衆国の旗 アメリカ
所属組織 アメリカ海軍
軍歴1956–1960(現役)
1963–1979(予備役)
部隊 ユタ空軍州兵英語版
NASA ペイロードスペシャリスト
宇宙滞在期間 6 d 23 h 55 m
ミッション STS-51-D
記章
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エドウィン・ジェイコブ・“ジェイク”・ガーン(Edwin Jacob "Jake" Garn、 1932年10月12日 - )は、アメリカ合衆国政治家である。共和党に所属し、1974年から1993年までユタ州選出上院議員を務めた。1985年のSTS-51-Dミッションでスペースシャトルディスカバリーペイロードスペシャリストとして搭乗し、史上初の宇宙飛行を行ったアメリカ連邦議会議員となった。上院議員になる前はソルトレイクシティ市長を務めていた。

若年期と教育

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ガーンは1932年10月12日にユタ州リッチフィールド英語版で生まれた。父は第一次世界大戦のパイロットだった[1]

ユタ大学でビジネスと金融を専攻し、1955年に理学の学士号を取得して卒業した。

キャリア

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大学卒業後はアメリカ海軍に入隊し、飛行艇P5Mを操縦した。1963年に予備役となり、ユタ空軍州兵英語版空中給油機KC-97KC-135を操縦した。1979年4月に大佐として退官した[2]。その後、スペースシャトルの任務後に准将に昇進した[3]。海軍での飛行時間は1万7千時間だった[4]

ソルトレイクシティの委員を4年間務めた後、1971年にソルトレイクシティ市長選挙に当選し、1972年に就任した。2023年現在で、共和党員が同市市長を務めたのはガーンが最後である。

1974年にユタ州選出上院議員に当選し、引退した共和党のウォレス・F・ベネット英語版(後のボブ・ベネット英語版上院議員の父)の後を継いだ。1980年、1986年にも再選された。1980年の選挙の得票率は74%で、これはユタ州史上最大の得票率である。

ガーンは人工妊娠中絶強く反対していたが、1982年の選挙の前にプロライフ政治活動委員会(PAC委員会)事務局長のピーター・ジェンマが「落選させたい議員」として妊娠中絶の権利を支持する議員の一覧(ヒットリスト)を発表したときには、ヘンリー・ハイド英語版下院議員とともに同委員会の役員を辞任した。2人はメディケイドによる人工妊娠中絶を制限したハイド修正条項英語版の提案者だった。ガーンらは、このリストは議員の間に取り返しのつかない不和を生んで逆効果であり、全ての議員が利益団体からのこの種のシングルイシュー攻撃を受ける可能性があると述べた。ジェンマは、ガーンとハイドの辞任には驚いたが、中絶反対候補のために65万ドルを支出する計画は継続すると述べた[5]

ガーンは、上院銀行・住宅・都市問題委員会の委員長を務めた。委員長在任中の1982年、貯蓄貸付を部分的に規制緩和し、将来の貯蓄貸付組合危機英語版を防止しようしたガーン=セント・ジャーメイン預託機関法英語版を共同で提案した。また上院歳出委員会の委員でもあり、HUD独立機関小委員会の委員長を務めた。

1992年に上院議員を引退した[6]。ガーンは全国一般投票州際協定英語版(NPVIC)を支持していた[7]

宇宙飛行

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ガーンは、NASAの予算も取り扱う上院予算委員会の委員であり、海軍での豊富な航空経験を持っていたことから、スペースシャトルに自分を乗せるよう要請した。ガーンは1981年からスペースシャトルへの搭乗について公の場でNASAに質問し始めた。NASAは以前から、芸術家、ジャーナリスト、エンターテイナー、教師などの「市民乗客」(citizen passengers)のスペースシャトルへの搭乗を計画していたが、1984年11月、連邦議会議員のガーンが宇宙へ行くという発表は、多くの人を驚かせた。ガーンは、スペースシャトルへの搭乗は事実調査のためだと述べた。「私は、議員が投票したものをチェックし、資金が適切に使われているかを確認することが必要だと思います。上院議員にタイヤを蹴ってもらうことも必要かもしれません」[8]

ガーンが搭乗するSTS-51-Dミッションのスペースシャトル・ディスカバリーは、フロリダ州ケネディ宇宙センターから1985年4月12日に打ち上げられ、4月19日に帰還した。STS-51-Dの主な目的は、2基の通信衛星の展開、電気泳動心臓超音波検査の宇宙空間での実施などだった。ガーンの役職はペイロードスペシャリストであり、連邦議会を代表するオブザーバーのほか[9]宇宙酔いに関する医学実験の被験者でもあった[1]。ガーンは地球周回軌道を108周し、167時間以上宇宙に滞在した。

ガーンの宇宙酔いはあまりにひどく、人類が経験しうる最悪のレベルの宇宙酔いだと評された。それ以降、NASA関係者の間で、ガーンの宇宙酔いを最高レベルの「1ガーン」とする非公式の単位が使われるようになった[10]マイク・マレーン英語版などのペイロード・スペシャリスト計画に反対するNASAの宇宙飛行士の中には、ガーンの宇宙酔いを根拠に、訓練をほとんど受けていない人間に宇宙飛行をさせることは不適切だと述べる者もいた[11]。しかし、ガーンは宇宙酔いがひどかった以外は体調は良く、また、訓練を受けていないわけではなく、飛行訓練を16歳の時から受けていた[1]チャールズ・ボールデン宇宙飛行士は、ガーンについて「理想的な候補者だ。彼は宇宙飛行士室の誰よりも飛行時間が長い、海軍のベテランパイロットだからだ」と述べた[4]。同じミッションのもう1人のペイロードスペシャリストであるチャールズ・ウォーカー英語版は、自身も飛行経験があるにもかかわらず、このフライトで宇宙酔いに苦しんだと述べた[12]

帰還後の1989年、ガーンは小説Night Launchを共同で執筆した。この小説は、NASAとソビエト連邦が初めてスペースシャトルを飛行させた際に、スペースシャトルがテロリストに乗っ取られたという内容である。

私生活

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ガーンは1957年にヘイゼル・レー・トンプソンと結婚した[13]。ヘイゼルとの間にはジェイコブ、スーザン、エレン、ジェフリーの4人の子供がいる[13]。ヘイゼルは1976年に自動車事故で死去した[13][14]

1977年、ガーンはキャスリーン・ブルワートンと再婚した。キャスリーンの連れ子のブルックがいるほか[13]、キャスリーンとの間にマシューとジェニファーの2人の子供がいる[13]。キャスリーンは2018年5月31日に死去した。

ガーンは末日聖徒イエス・キリスト教会の信者である[15]

1986年、糖尿病により腎不全が進行していた27歳の娘スーザンに腎臓を提供した[16]

脚注

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  1. ^ a b c Lamar, Jacob V. Jr.; Hannifan, Jerry (April 22, 1985). “Jake Skywalker: A Senator boards the shuttle”. Time. オリジナルの2010-10-29時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101029181637/https://time.com/time/magazine/article/0,9171,966871,00.html April 13, 2011閲覧。. 
  2. ^ JAKE GARN (SENATOR) PAYLOAD SPECIALIST” (May 1985). February 3, 2021閲覧。
  3. ^ “Newsmakers”. Kentucky New Era. https://news.google.com/newspapers?id=yPsrAAAAIBAJ&pg=5307,5559881&dq=jake-garn+senator+brigadier&hl=en February 16, 2011閲覧。 
  4. ^ a b Bolden, Charles F. (6 January 2004). "Charles F. Bolden". NASA Johnson Space Center Oral History Project (Interview). Interviewed by Johnson, Sandra; Wright, Rebecca; Ross-Nazzal, Jennifer. Houston, Texas. 2020年6月19日閲覧
  5. ^ “THE NATION; Congressmen; Draw the Line at; New 'Hit List'”. The New York Times. (June 7, 1981). https://www.nytimes.com/1981/06/07/weekinreview/the-nation-congressmen-draw-the-line-at-new-hit-list.html May 24, 2016閲覧。 
  6. ^ Turner, Laurie Snow (1994), “Garn, Jake”, in Powell, Allan Kent, Utah History Encyclopedia, Salt Lake City, Utah: University of Utah Press, ISBN 0874804256, OCLC 30473917, http://www.uen.org/utah_history_encyclopedia/g/GARN_JAKE.html 
  7. ^ “New Mexico is latest state to join National Popular Vote compact to cast all electoral votes for popular winner in presidential elections”. USA Today. https://www.usatoday.com/story/news/nation/2019/04/05/new-mexico-joins-national-compact-casting-electoral-college-votes/3374747002/ 2021年1月15日閲覧。 
  8. ^ Boffey, Philip M. (1984年11月9日). “A Space Inspection” (英語). The New York Times: p. A29. ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/1984/11/09/us/a-space-inspection.html 2020年10月1日閲覧。 
  9. ^ Evans, Ben (2006). Space shuttle challenger: ten journeys into the unknown. Springer. pp. 168–169. ISBN 978-0-387-46355-1. OCLC 131057274 
  10. ^ Oral History 2 Transcript”. Johnson Space Center Oral History Project. NASA. pp. 13–35 (May 13, 1999). 2011年3月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月8日閲覧。 “[Dr. Robert Stevenson:] Jake Garn was sick, was pretty sick. I don't know whether we should tell stories like that. But anyway, Jake Garn, he has made a mark in the Astronaut Corps because he represents the maximum level of space sickness that anyone can ever attain, and so the mark of being totally sick and totally incompetent is one Garn. Most guys will get maybe to a tenth Garn, if that high. And within the Astronaut Corps, he forever will be remembered by that”
  11. ^ Dubbs, Chris; Paat-Dahlstrom, Emeline; Walker, Charles D. (2011). Realizing Tomorrow: The Path to Private Spaceflight. University of Nebraska Press. pp. 79–80. ISBN 978-0-8032-1610-5. https://archive.org/details/realizingtomorro0000dubb 
  12. ^ Walker, Charles D. (14 April 2005). "Oral History Transcript". NASA Johnson Space Center Oral History Project (Interview). Interviewed by Johnson, Sandra.
  13. ^ a b c d e "Edwin Jacob Garn." Contemporary Authors Online. Detroit: Gale, 2001. Gale Biography In Context. Retrieved July 11, 2011.
  14. ^ The Daily Herald, Provo, Utah, August 20, 1976
  15. ^ Jake Garn”. Famous Mormons (October 6, 2008). May 4, 2019閲覧。
  16. ^ "Senate: A Father's Special Gift, Time, September 22, 1986

外部リンク

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公職
先代
J・ブラッケン・リー英語版
ソルトレイクシティ市長
1972–1974
次代
コンラッド・B・ハリソン英語版
アメリカ合衆国上院
先代
ウォレス・F・ベネット英語版
アメリカ合衆国の旗 ユタ州選出上院議員(第3部)
1974–1993
同職:フランク・モス英語版オリン・ハッチ
次代
ボブ・ベネット英語版
先代
ウィリアム・プロクスマイアー英語版
上院銀行委員会委員長
1981–1987
次代
ウィリアム・プロクスマイアー
党職
先代
ウォレス・F・ベネット英語版
ユタ州選出上院議員(第3部)共和党候補者
1974, 1980, 1986
次代
ボブ・ベネット英語版
先代
クリフォード・ハンセン英語版
共和党上院議員総会英語版副議長
1979–1985
次代
サッド・コクラン英語版
アメリカ合衆国の儀礼席次英語版
先代
ラリー・クレイグ
元上院議員として
アメリカ合衆国の儀礼席次
元上院議員として
次代
デニス・デコンチーニ英語版
元上院議員として