ジャン=マリー・ヒューロット
ジャン=マリー・ヒューロット | |
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Jean-Marie Hullot in January 2008 | |
生誕 |
1954年2月16日 パリ |
死没 | 2019年6月17日 (65歳没) |
住居 | フランス |
国籍 | フランス |
著名な実績 | Interface Builder, NeXTSTEP, iCal, iSync |
ジャン=マリー・ヒューロット(フランス語: Jean-Marie Hullot、1954年2月16日 - 2019年6月17日)は、フランスのソフトウェアエンジニア、コンピュータ科学博士。フランス語での発音はジャン=マリー・ユロが近い。
Macintosh (Mac) 用ソフト「SOS Interface」、NeXTのInterface Builder、Mac OS X上の添付ソフト「iCal」と「iSync」を開発した人物である。
経歴
[編集]- (注)経歴は、複数の組織のポストを兼務し期間が重なる部分がある。
パリ西部のエコール・ノルマル・シュペリウール・ド・サンクルで学んだ後、パリ・オルセー大学(Université Paris-Orsay、現・パリ南大学 Université de Paris-Sud)で学び、1981年にコンピュータサイエンスの博士号を取得[1]。指導教官はジェラール・ピエール・ユエ(fr:Gérard Pierre Hue)であった。
1979年から1986年にかけてフランス国立情報学自動制御研究所(INRIA)で研究者として勤務[1]。
Macintosh (Mac) 用ソフト「SOS Interface」の開発に携わった後、スティーブ・ジョブスが創業した直後の1986年にNeXTへ入社、「NeXTSTEP」の開発に携わり、Interface Builderの開発を担当した[1]。
Appleによる携帯電話(後にiPhoneとして実現)のアイディアをジョブズに吹き込み、及び腰だったジョブズを説得することに成功、その最初の開発プロジェクトのリーダーとして、Apple France内で20名程度の極秘チームを率いた[2]。また2001年から2005年までApple Franceでアプリケーション開発担当CTOとして[3]、Mac OS X上の添付ソフト「iCal」と「iSync」を開発した。
2005年にAppleが(あるいはジョブズが)iPhoneの開発の場をアメリカ本社に集約する決定をしたが、ヒューロットはフランスを離れることを望まず、プロジェクトを辞めAppleから離れた。[要出典]
RealNamesを設立。次にオンラインの写真百科サービス「フォトペディアen:Fotopedia」を開始し、その法人のCEOを務めた[4](2014年まで)。
2012年には「Iris」という名の「地球のはかない美しさを護る」ための環境保護団体を設立し、その代表を務めた[5]。
2019年6月17日に死去。65歳没[6]。
脚注
[編集]- ^ a b c “Jean-Marie Hullot, visionary computer scientist and tech expert | Inria” (英語). www.inria.fr. 2024年1月28日閲覧。
- ^ binaire (2019年6月20日). “Jean-Marie Hullot, informaticien visionnaire, technologiste exceptionnel” (フランス語). binaire. 2024年4月26日閲覧。
- ^ Steve Jobs wasn't even okay with Google hiring former Apple engineers
- ^ “世界銀行とフォトペディアがiPhoneとiPad用の新アプリ「世界の女性たち」を発表”. World Bank. 2024年1月28日閲覧。
- ^ “La Fondation Iris” (フランス語). Fondation Iris. 2024年4月26日閲覧。
- ^ “Jean-Marie Hullot, l'un des pères de l'Apple iPhone, est décédé” (フランス語). lesnumeriques.com. (2019年6月19日) 2019年6月23日閲覧。