ジョーン・オブ・ザ・タワー
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(ジョウン・オブ・ザ・タワーから転送)
ジョーン・オブ・イングランド Joan of England | |
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スコットランド王妃 | |
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在位 | 1329年6月7日 - 1362年9月7日 |
戴冠式 | 1331年11月 |
別称 | ジョーン・オブ・ザ・タワー(Joan of The Tower) |
出生 |
1321年7月5日 イングランド王国、ロンドン、ロンドン塔 |
死去 |
1362年9月7日(41歳没) イングランド王国、ハートフォードシャー、ハートフォード城 |
埋葬 | イングランド王国、ロンドン、クライストチャーチ・グレーフライアーズ |
結婚 | 1328年7月17日 ベリック |
配偶者 | スコットランド王デイヴィッド2世 |
家名 | プランタジネット家 |
父親 | イングランド王エドワード2世 |
母親 | イザベラ・オブ・フランス |
ジョーン・オブ・イングランド(Joan of England, 1321年7月5日 - 1362年9月7日)は、スコットランド王デイヴィッド2世の最初の王妃。イングランド王エドワード2世と王妃イザベラ・オブ・フランスの末娘。ロンドン塔で生まれたことから、ジョーン・オブ・ザ・タワー(Joan of The Tower)と呼ばれる。
生涯
[編集]1328年7月17日、ベリックで7歳の時に当時4歳のデイヴィッドと結婚し、翌1329年にデイヴィッドが父ロバート1世の病没にともない即位したため、王妃となった。
1332年にジョーンの兄エドワード3世の支援を受けてエドワード・ベイリャルがスコットランド王として戴冠し、翌1334年にはエドワード3世自身がスコットランドへ侵攻した。そのためデイヴィッド2世はジョーンを連れてフランスへ逃れた。フランスでは丁重な扱いを受け、デイヴィッド2世はフランスの支援を受けつつ勢力を挽回し、1341年に帰国して国内を平定した。1346年にはイングランドへ侵攻したが、ネヴィルズ・クロスの戦いに敗れて捕虜となった。以後11年間、デイヴィッド2世はジョーンと離れてイングランドで虜囚生活を送った。
ジョーンは1362年に死去したが、デイヴィッド2世との間に子はなかった。デイヴィッド2世は1364年にマーガレット・ドラモンドと再婚したが、2度目の結婚でも子は得られず、スコットランド王位は甥ロバート2世が継承した。