ジョン・ブリットン
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(ジョン・ブリトンから転送)
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1919年4月21日 |
没年月日 | 1990年12月2日(71歳没) |
身長 体重 |
174 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 三塁手 |
初出場 | NPB / 1952年 |
最終出場 | NPB / 1953年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ジョン・A・ブリットン(John A. Britton[1]、1919年4月21日 - 1990年12月2日)は、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手(内野手)。
経歴
[編集]元々はニグロリーグでプレーしており、その後独立リーグを経て[2]、メジャーリーグベースボールのセントルイス・ブラウンズのオーナーだったビル・ヴィックが選手貸し出しという形で、傘下チームだったシカゴ・アメリカン・ジャイアンツから日本へ貸し出しされチームメイトだったジミー・ニューベリーと共に来日し、阪急ブレーブスに入団した。
1952年5月7日の毎日戦でデビュー。オールスターゲームにも初選出された。翌年も阪急でプレーし、この年限りで退団した。
非常に三振の少ないバッターで、2年間での三振の数は25個だった。特に1953年は100打数あたり3.0個という割合だったが、これはパ・リーグで規定打数に達した選手の中で最も優秀だった。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1952 | 阪急 | 78 | 332 | 320 | 37 | 101 | 16 | 5 | 2 | 133 | 35 | 7 | 10 | 1 | -- | 9 | -- | 2 | 12 | 3 | .316 | ---- | .416 | ---- |
1953 | 116 | 448 | 438 | 34 | 121 | 20 | 4 | 3 | 158 | 60 | 6 | 5 | 4 | -- | 3 | -- | 3 | 13 | 7 | .276 | ---- | .361 | ---- | |
NPB:2年 | 194 | 780 | 758 | 71 | 222 | 36 | 9 | 5 | 291 | 95 | 13 | 15 | 5 | -- | 12 | -- | 5 | 25 | 10 | .293 | ---- | .384 | ---- |
記録
[編集]- オールスターゲーム出場:1回 (1952年)
背番号
[編集]- 8 (1952年 - 1953年)