古キエフ山
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(スタロキーイウシカ・ホラーから転送)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/79/%D0%9A%D0%B8%D0%B5%D0%B2%2C_%D0%A1%D1%82%D0%B0%D1%80%D0%BE%D0%BA%D0%B8%D0%B5%D0%B2%D1%81%D0%BA%D0%B0%D1%8F_%D0%B3%D0%BE%D1%80%D0%B0_-_%D0%98%D1%81%D1%82%D0%BE%D1%80%D0%B8%D1%87%D0%B5%D1%81%D0%BA%D0%B8%D0%B9_%D0%BC%D1%83%D0%B7%D0%B5%D0%B9_06.jpg/250px-%D0%9A%D0%B8%D0%B5%D0%B2%2C_%D0%A1%D1%82%D0%B0%D1%80%D0%BE%D0%BA%D0%B8%D0%B5%D0%B2%D1%81%D0%BA%D0%B0%D1%8F_%D0%B3%D0%BE%D1%80%D0%B0_-_%D0%98%D1%81%D1%82%D0%BE%D1%80%D0%B8%D1%87%D0%B5%D1%81%D0%BA%D0%B8%D0%B9_%D0%BC%D1%83%D0%B7%D0%B5%D0%B9_06.jpg)
古キエフ山(こキエフさん、ウクライナ語:Старокиївська гора、スタロキーイウシカ・ホラー)は、ウクライナの首都キエフにある歴史的地名。ドニプロ川の右岸に位置する小高くて広い丘。名称は中世キエフの中心、いわゆる「上町」(Верхнє місто)が置かれたことにちなむ[1]。『ルーシ年代記』の伝説によれば、キーイ公爵がキエフの都市を創建した場所であるという。9世紀から13世紀前半にかけてキエフ大公国の政治的中心、大公の宮殿、貴族と聖職者の屋敷があった地域。1240年にモンゴル帝国の攻撃を受けて荒地となった。17世紀以降、ペトロー・モヒーラを始めとするキエフの統治者によって復興された。山頂には什一聖堂の跡とウクライナ国立歴史博物館がある。また、『ルーシ年代記』を引用して「ここからルーシの地の始まった」という記念碑が立つ。
脚注[編集]
リンク[編集]
- (ウクライナ語) 「古キエフ山」『キエフ大辞典』