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バルカン山脈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スターラ・プラニナから転送)
バルカン山脈
写真
ブルガリアコム峰近くのパノラマ映像
所在地 ブルガリアの旗 ブルガリアセルビアの旗 セルビア
位置 北緯42度43分 東経24度55分 / 北緯42.717度 東経24.917度 / 42.717; 24.917
最高峰 ボテフ峰英語版(2376 m
延長 530 km
15km - 50 km
種類 花崗岩、片麻岩、石灰石
プロジェクト 山
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バルカン山脈の地図。図の中央を東西に貫き、北西方向に伸びているのがバルカン山脈である。

バルカン山脈(バルカンさんみゃく)、あるいはスタラ・プラニナ[1]ブルガリア語セルビア語:Стара планина / Stara planina、「古い山」の意)は、バルカン半島東部の山脈である。スターラ山脈とも呼ばれる。山脈は、ブルガリアセルビアの国境をなすヴルシュカ・チュカ峰ブルガリア語版ブルガリア語:Връшка чука / Vrashka chukaセルビア語:Вршка чука / Vrška čuka)から東に560キロメートルにわたって延び、黒海岸のエミネ岬英語版Нос Емине / Nos Emine)まで続いている。ブルガリア中部で最も高く、最高峰はブルガリア中部の中央バルカン国立公園英語版(Central Balkan National Park、1991年創設)にあるボテフ峰英語版Връх Ботев / Vrah Botev、2376メートル)である。山脈はバルカン半島の名前の由来ともなっている。バルカン山脈は、ブルガリアの歴史の中で重要な役割を果たしてきており、ブルガリアとブルガリア人の形成と発展に大きく関与している。

かつてはハイモス山英語版(Haemus Mons)と呼ばれていた。ハイモス(ギリシャ語ではアイモス Αίμου)とは、トラキア語で「山脈」を意味する「*saimon」に由来していると考えられている。このほかにバルカン山脈は、アエモン(Aemon)、ハイミモンス(Haemimons)、ヘム(Hem)、エムス(Emus)や、スラヴ語のマトルニ・ゴリ(Matorni gori)、トルコ語のコジャ・バルカン(Koca Balkan)、あるいは単にバルカン(Balkan)などの呼び名がある[2]

動植物

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バルカン山脈はその動植物相にも特徴がある。コジャ・ステナ自然保護区ブルガリア語版Козята стена / Kozyata stena)地域にはウスユキソウが生息している。中央バルカン国立公園の特徴的な風景は、急峻な崖や生い茂る植生などであり、バルカン半島でもっとも高い滝もある。チュプレネブルガリア語版Чупрене)やコジャナ・ステナなどの重要な自然保護区があり、ヒグマオオカミイノシシシャモア(バルカンシャモア)、シカなど、ヨーロッパで見られる大型動物種の多くがここで見られる。また、ヨーロッパユキハタネズミ英語版ジリスシロハラヒメメクラネズミ英語版オオヤマネベヒシュタインホオヒゲコウモリなどの小型の哺乳類やハンエリヒタキオオアカゲラシロエリハゲワシクロハゲワシヒゲワシセーカーハヤブサなどの鳥類も生息している[3]

ブルガリア国内の中央バルカン国立公園は1977年以降にユネスコ生物圏保護区に指定されており[3]、一部は世界遺産の「カルパティア山脈とヨーロッパ各地の古代及び原生ブナ林」に指定されている[4]

地理

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右中央上方を走るのがバルカン山脈。その南にかたまっているのがピリン山脈リラ山脈ロドピ山脈
シプカ峠の記念碑
中央バルカン山脈
セルビアのバルカン山脈
ライ山小屋ブルガリア語版Рай)より中央バルカン山脈を望む。中央に見えるのは、バルカン半島でもっとも高いライスコ・プルスカロ英語版 Райско пръскало / Raysko Praskalo)の滝
バルカン山脈の渓谷の中を流れるイスクル川Искър / Iskar
コジャ・ステナ自然保護区

地質学的にはバルカン山脈は新しい山脈であり、アジアからヨーロッパにかけて続くアルプス・ヒマラヤ造山帯の一部を成している。バルカン山脈は大きく2つに分けられ、東西に伸びる主部と、主部の西端から北西方向に伸びる前バルカンから構成される。前バルカンは北に進むにつれて次第に低くなってドナウ平原に埋没し、一方で東西に伸びる主部はセルビア・ブルガリア国境から黒海へと続き、山脈の南に沿って11の渓谷が連なって下バルカン渓谷が形成されており、渓谷はバルカン山脈とその南のスレドノゴリエブルガリア語版Средногорие / Srednogorieスレドナ・ゴラ山脈ヴィトシャ山などから成る)とを隔てている。

バルカン山脈はおよそ30の山塊から成っている。山脈は大きく3つの部分に分けられる:

バルカン山脈は分水嶺を形成しており、その北の川はドナウ川へ、南の川はエーゲ海へと流れている。しかし、ブルガリアで最長の川であるイスクル川Искър / Iskar)はバルカン山脈を横切って南から北へ流れており、その周りには急峻なイスクル渓谷Искърски пролом / Iskar prolom)が形作られている。バルカン山脈を水源とし、北方向にドナウ川へと注ぎ込んでいる川には、ティモク川英語版Тимок / Timok)、アルチャル川英語版Арчар / Archar)、ロム川英語版Лом / Lom)、ツィブリツァ川英語版Цибрица / Tsibritsa)、オゴスタ川Огоста / Ogosta)、スクト川英語版Скът / Skat)、ヴィト川英語版Вит / Vit)、オスム川Осъм / Osam)、ヤントラ川Янтра / Yantra)、ルセンスキ・ロム川英語版Русенски Лом / Rusenski Lom)がある。また、山脈はカムチヤ川英語版Камчия / Kamchiya)、トゥンジャ川ストリャマ川英語版Стряма / Stryama[3]の水源ともなっており、この川は直接黒海へと注いでいる。ブルガリアの他の地域ほどではないが、ヴルシェツシプコヴォブルガリア語版Шипково / Shipkovoトロヤン市)、ヴォネシタ・ヴォダブルガリア語版Вонеща вода / Voneshta Vodaヴェリコ・タルノヴォ市)などの温泉街がある。

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山脈には20の峠と2つの渓谷がある。バルカン山脈を横断する舗装された道路がある場所は以下の通り(西から順に):

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歴史

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バルカン山脈は681年のブルガリア建国以来、ずっとブルガリアにとって特別で重要な場所であった。第一次ブルガリア帝国にとってこの山脈は、東ローマ帝国モエシアとを隔てる障壁であり、天然の要塞であった。山脈は、リシュ峠の戦い英語版(759年)やプリスカの戦い(ヴルビツァ峠の戦い811年)、トリャヴナの戦い(1190年)などの、ブルガリア帝国東ローマ帝国の数多くの戦闘の場となった。ヴルビツァ峠の戦いでは、ブルガリアのハーン・クルムは宿敵の東ローマ軍を打ち破り、皇帝ニケフォロス1世を殺害した。何世紀にもわたって東ローマはこの山を恐れ続け、バルカン山脈への接近の知らせを聞くだけで軍を退却させることが何度かあった。

オスマン帝国支配下では、多くのハイドゥクがバルカン山脈に隠れ家を築いた。山脈でもっとも高いボテフ峰英語版の近くのカロフェル英語版(Kalofer)は、ブルガリアの詩人で国民的英雄のフリスト・ボテフの出生の地であり、ボテフは1876年オスマン帝国に対する戦いの中でヴラツァにて死去した。また、同じくボテフ峰の近くのシプカ峠は、露土戦争シプカ峠の戦い英語版と呼ばれる戦いの場となり、これによってオスマン帝国によるバルカン半島統治の終焉を決定づけた。峠の近くのシプカ村にはロシア正教会の聖堂があり、これは峠の戦闘で死去したロシア帝国やブルガリアの兵士に捧げられたものである。

関連項目

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脚注

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  1. ^ スタラ・プラニーナとも
  2. ^ SummitPost - Stara Planina (Balkana) -- Climbing, Hiking & Mountaineering”. www.summitpost.org. 2008年10月14日閲覧。
  3. ^ a b c Central Balkan Biosphere Reserve, Bulgaria” (英語). UNESCO (2019年5月9日). 2023年2月27日閲覧。
  4. ^ Centre, UNESCO World Heritage. “Ancient and Primeval Beech Forests of the Carpathians and Other Regions of Europe” (英語). UNESCO World Heritage Centre. 2023年2月27日閲覧。

外部リンク

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座標: 北緯43度15分 東経25度00分 / 北緯43.250度 東経25.000度 / 43.250; 25.000