スヴェントヴィト
スヴェントヴィト[1](ウクライナ語: Святовит、ラテン文字転記:Sventovit[1])は、バルト海沿岸の西スラヴ諸族に信仰された神[2]。
日本では神名の表記が非常に混乱しており、スヴャトヴィト[3](ラテン文字転記:Sviatovit[要出典])、スヴァトヴィート[4]、スヴァントヴィート[5]、スヴァントヴィト[6]などとも呼ばれている。
解説
[編集]12世紀の聖職者ヘルモルドにより「神々の神」と記されていることから、バルト海沿岸のスラヴ人(西スラブ人)の最高神だったという説もある[1]。また、スラヴ民族に古くから伝わる神が、スカンディナヴィアやゲルマンの軍神の要素を取り込んだものではないかとも考えられている[3]。
スヴェントヴィトの神殿はバルト海のリューゲン島北端のアルコナにあった。そこで祀られていた神像は8mもの高さの巨大なもので[7]、東西南北の支配を象徴する四方を向いた4つの顔を持っていた[1][4]。また、右手には酒を満たした牡牛の角を持っており、司祭が年に1度酒の量を確認して、残量が多ければ翌年は豊作、少なければ凶作だと占ったこと[8]から、スヴェントヴィトは豊穣の神であったと考えられている[1][3]。一方スヴェントヴィトは、槍や、鷲をあしらった徽章などを付属物としており[1]、この神像の近くに剣や馬具、軍旗も置かれていたことから、軍神であったとも考えられている[3]。戦闘の前には、スヴェントヴィトの軍旗が司祭[注釈 1]によって戦士達に示された[3][10]。そして戦士達は戦闘で得た金品の一部をスヴェントヴィトに捧げたとされている[3]。スヴェントヴィトの神殿は12世紀まで人々の信仰を集めていた[7]。
12世紀の歴史家サクソ・グラマティクスの記したところでは、スヴェントヴィトは白馬に乗って敵と戦うという[1]。神殿には神の馬として1頭の白馬が飼われており[3][7]、地面にたくさんの槍を立てた中をこの馬を通り抜けさせることで吉凶を占ったという[10]。
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家庭内で崇拝に使用された9世紀~10世紀ごろのスヴェントヴィトの木像。ポメラニアのヴォリン島(現在のポーランド)
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Marius Grusas 氏によって制作されたスヴェントヴィト(再現)。リューゲン島のアルコナ岬に置かれている。
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ズブルチの偶像。スヴェントヴィトの可能性はあるが、複数のスラブの神を表したものかもしれない。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- アレグザンスキー, G. 著「スラヴの神話」、ギラン,フェリックス編 編『ロシアの神話』小海永二訳(新版)、青土社〈シリーズ世界の神話〉、1993年10月、pp.5-92頁。ISBN 978-4-7917-5276-8。
- 稲葉義明他「スヴャトヴィト」『西洋神名事典』山北篤監修、新紀元社〈ファンタジー事典シリーズ〉、1999年11月、p. 114頁。ISBN 978-4-88317-342-6。
- 清水睦夫 著「ロシア国家の起源」、田中陽兒、倉持俊一、和田春樹編 編『ロシア史 1 9世紀-17世紀』山川出版社〈世界歴史大系〉、1995年9月。ISBN 978-4-634-46060-7。
- 中堀正洋 著「スヴェントヴィト」、松村一男ほか編 編『神の文化史事典』白水社、2013年2月、p. 279頁。ISBN 978-4-560-08265-2。
- 和田義浩「スラヴ神話」『世界の神話がわかる〈民族の聖なる神と人の物語〉を探究する!』吉田敦彦監修、日本文芸社〈知の探究シリーズ〉、1997年8月、pp. 146-152頁。ISBN 978-4-537-07811-4。
- 国立新美術館「スラヴ叙事詩」『ミュシャ展』NHK、求龍堂、2017年3月、pp. 42-129頁。ISBN 978-4-7630-1703-1。
- 大友義博他「ミュシャとスラブ叙事詩」『もっと知りたいミュシャの世界』ミュシャ財団協力、宝島社、2017年4月、pp. 10-35頁。ISBN 978-4-8002-6906-5。
関連項目
[編集]- トリグラフ (スラヴ神話) - 3頭をもつ神
- ペルーン - 東スラブの最高神
- ヴォーロス - 東スラブの神
- ベロボーグ - 白い神
- チェルノボグ - 黒い神