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チャーリー・パーカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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チャーリー・パーカー
基本情報
出生名 チャールズ・パーカー・ジュニア
別名 ヤードバード
バード
生誕 1920年8月29日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カンザス州カンザスシティ
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ミズーリ州カンザスシティ
死没 (1955-03-12) 1955年3月12日(34歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク
ジャンル ジャズ
ビバップ
職業 サクソフォーン奏者
作曲家
担当楽器 サクソフォーン
活動期間 1937年 - 1955年
レーベル Savoy Records
Dial Records
ヴァーヴ・レコード
公式サイト オフィシャルサイト

チャーリー・パーカーCharles Parker Jr. [1]1920年8月29日 - 1955年3月12日)は、アメリカ合衆国のジャズミュージシャン。アルトサックス奏者、作曲家、編曲家。「モダン・ジャズ(ビバップ)」を創造した「ジャズ・ジャイアンツ」の一人として知られる。

人物概要

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1940年代初頭から、モダン・ジャズの原型となるいわゆるビバップスタイルの創成に、ディジー・ガレスピーと共に携わった。

これにより「モダン・ジャズ(ビバップ)の父」とも言われる。初期の頃よりヤードバード(Yardbird)(起源は諸説あり[2][3])と呼ばれており、後に単にヤード、或いは、バードとも呼ばれ、特に後者が親しまれた。パーカー自身も"Yardbird Suite"[4] や"Bird Feathers"といったタイトルを発表している。(イギリスのロックバンド、ヤードバーズの名は、これに由来。)

ニューヨークにあるバードランドはこの名称に由来し、ジョージ・シアリングの"Lullaby of Birdland"(バードランドの子守唄)やウェザー・リポートの"Birdland"といった曲もある。

十代の頃から数度の結婚を経て何人かの子供がいる(入籍していない事実婚があったり、相手の連れ子を我が子としたり、夭折した子がいたり、と数ははっきりとしない)。

生涯

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アメリカ合衆国カンザス州カンザスシティに生まれ、ミズーリ州カンザスシティで育つ。父親は、もともとT.O.B.A.アフリカ系アメリカ人によるヴォードヴィルの興行組織)のピアニスト兼ダンサー兼シンガーであったが、後にプルマン社(鉄道会社)のウェイターやコックなど職を転々とし、パーカーが20歳になる前に亡くなっている。母親は、地方のウエスタンユニオンに夜勤めていた。

子供の頃より並外れた音楽の才能があった形跡はなく、彼に大きな影響を与えたのは、インプロヴィゼーションの基本を教えた若きトロンボーン奏者であった。

全盛期のパーカーのクインテット。左からトミー・ポッター (b)、チャーリー・パーカー (as)、マイルス・デイヴィス (tp)、デューク・ジョーダン (p)(後ろ姿)、マックス・ローチ (ds) は、パーカーの背後にほとんど隠れている。1947年8月ころにウィリアム・P・ゴットリーブが撮影。

1945年から1948年が音楽活動の最盛期であり、天才的なひらめきを伴ったそのアドリブは伝説化している。

1945年、若き日のマイルス・デイヴィスを自分のバンドに起用した。1947年にはマイルスの初リーダー・セッションもサポートする。ディジー・ガレスピーとともに『バード・アンド・ディズ (Bird and Diz)』[5] のアルバムを発表し、ビバップの誕生を告げた。アルバムにはセロニアス・モンクカーリー・ラッセルバディ・リッチも協力した。

若い頃から麻薬アルコールに耽溺して心身の健康を損ない、幾度も精神病院に入院するなど破滅的な生涯を送った。1940年代末期以降は演奏に衰えが見られるようになり、1955年に肺炎で早世した(心不全や肝硬変などと書かれることもあるが、ドラッグと酒に起因する多臓器不全であったことは間違いない)。遺体は、検視した医師が50代~60代だと誤認してしまうほど年老いて見えたという。

亡くなった折、ニューヨークの至る所の壁には彼の早過ぎる死を惜しんだファンたちが「バードは生きている」と落書きをした。

死後

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作曲でも『オーニソロジー』『コンファメーション』『ナウズ・ザ・タイム』など、現在まで演奏されるユニークな作品を多く残した。ジャコ・パストリアスはデビュー作で、パーカー作の『ドナ・リー』(実際はマイルス・デイヴィスの作品)を、ベースとパーカッションのデュオでカヴァーした。

死の数ヶ月前にニューヨークのチャールズ・コーリン社と生涯唯一の教則本 『YARDBIRD ORIGINALS』 の契約を行う(1955年出版)。出版の理由は、麻薬中毒治療のための入院費用を捻出するためだった。この本については色々な憶測が流れていたが、契約書に加えて、死の2ヶ月前にパーカーにより書かれた出版社へのクリスマスカードで本人が行った契約だと再確認されている。2005年、『YARDBIRD ORIGINALS』 は改訂されて再出版された。

その教則本とは別に、2012年には、アメリカのハル・レオナード社から「The Bird Book:The Charlie Parker Real Book」という未発表曲を含めたジャズ演奏家のための公式シートミュージック集(テーマ部の楽譜集)が発表された。

彼の生涯は1988年製作の映画『バード』(クリント・イーストウッド監督)で描かれている。

ディスコグラフィ(選定)

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パーカーはサヴォイ・レコード(1944-1949)、ダイアル・レコード(1945-1947)、ヴァーヴ・レコード(1946-1954)の3レーベルに多く録音している。サヴォイやダイアルには彼の初期の作品があり、ダイアル期においては『チャーリー・パーカー・オン・ダイアル』が代表作に挙げられる。ヴァーヴには晩年の名作が収められている。それらの中から英語版よりの選定を抜粋する。

  • Live at Townhall w. Dizzy(1945, first released in 2005)
  • Bird and Diz at Carnegie Hall (1947)
  • Bird on 52nd Street (1948)
  • Jazz at the Philharmonic (1949)
  • Charlie Parker All Stars Live at the Royal Roost (1949)
  • One Night in Birdland (1950)
  • Bird at the High Hat (1953)
  • Charlie Parker at Storyville (1953)
  • Jazz At Massey Hall (1953)

関連書籍

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関連項目

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脚注

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  1. ^ Christopherというミドルネームが書かれた記事や文献があるが、母親は否定している
  2. ^ Arban (2020年6月26日). “【ビバップを創生した巨人】モダン・ジャズの父 チャーリー・パーカー”. ARBAN. 2024年9月17日閲覧。
  3. ^ Charlie Parker - myth and mayhem - National Jazz Archive” (英語). nationaljazzarchive.org.uk (2020年8月31日). 2024年9月17日閲覧。
  4. ^ https://www.allmusic.com/album/yardbird-suite-mw0000232502
  5. ^ Charlie Parker And Dizzy Gillespie - Bird And Diz - Discogs (発売一覧)

外部リンク

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