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デイヴィッド・コリヤー (初代ポートモア伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1690年代の肖像画、ジョン・バプティスト・メディナ英語版画。

初代ポートモア伯爵デイヴィッド・コリヤー英語: David Colyear, 1st Earl of Portmore KT PC1657年4月1日洗礼 – 1730年1月2日)は、スコットランド王国出身の軍人、貴族。

生涯

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初代準男爵サー・アレクサンダー・ロバートソンとジーン・マレー(Jean Murray、ウォルター・マレーの娘[1])の息子として生まれ[2]、1657年4月1日に洗礼を受けた[3]。父がネーデルラント連邦共和国に移住し、そこで領地を購入して姓を「コリヤー」に改めたため[4]、デイヴィッドも1674年に義勇兵としてオラニエ公ウィレム3世(後のイングランド王ウィリアム3世)の軍に入隊[4]、1676年に父の連隊の士官になり、後に少佐に昇進した[3]。1680年2月3日に父が死去すると、準男爵位を継承した[1]。1683年、ヒュー・マッケイ英語版の連隊の副隊長に任命された[1]

1687年に決闘で右目を失ったが[3]、1688年の名誉革命ではウィレム3世とともにイングランドに向かい[4]、同年12月に大佐に昇進した[3]ウィリアマイト戦争の1689年と1690年戦役を戦った後、フランドル地方を転戦[4]、1691年にリメリック総督英語版に任命され、1693年に准将に、1696年に少将に昇進した[1]。ウィリアマイト戦争と大同盟戦争での功績により[4]、1699年6月1日にスコットランド貴族であるポートモア=ブラックネス卿に叙され、1700年10月31日にエディンバラスコットランド議会英語版議員に就任、議会でウィリアム3世の施策を支持した[2]

スペイン継承戦争が勃発すると1702年に再び少将としての辞令を受けて、カディスの戦いビーゴ湾の海戦に参戦、翌年2月に中将に昇進した[3]。同1703年4月17日、スコットランド貴族であるコリヤー卿ミルジントン子爵ポートモア伯爵に叙された[2]。1711年に大将に昇進した後、翌1712年に第2代オーモンド公爵ジェームズ・バトラーの部下としてフランドル地方で戦い、同年に枢密顧問官に任命され、シッスル勲章を授与された[4]。1713年8月にジブラルタル総督に任命され、同年10月の総選挙でスコットランド貴族代表議員に選出された[4]。1714年4月から1717年2月まで第2竜騎兵連隊英語版隊長を務めた[3]

1714年にジョージ1世が国王に即位した後、ポートモア伯爵はジャコバイトに接近したが、1715年ジャコバイト蜂起では初代ボリングブルック子爵ヘンリー・シンジョン第23代マー伯爵ジョン・アースキンの説得にもかかわらず蜂起への参加を拒否した[3]。以降もジャコバイトへの接近を続け、1718年7月にオランダに渡ったときはハノーヴァー朝との関係を完全に断つと語るほどだったが、これは最終的には行われず、1727年に勃発した英西戦争では4月にジブラルタルに渡って包囲戦英語版を戦い抜いた[3]

1730年1月2日にウェイブリッジ英語版で死去[3]、息子チャールズが爵位を継承した[2]

家族

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ポートモア伯爵の息子デイヴィッドとチャールズ。ゴドフリー・ネラー画、1702年頃。

1670年代か1680年代にアルノルダ・ド・ベイヤー(Arnolda de Beyer、1696年までに没)と結婚した[3]

1696年8月頃[3]ドーチェスター女伯爵キャサリン・セッドリー英語版(1657年 – 1717年、第5代準男爵サー・チャールズ・セッドリー英語版の娘、ジェームズ2世の元愛人)と結婚、2男をもうけた[1]

  • デイヴィッド(1698年 – 1729年3月10日) - 1724年11月20日、ブリジット・ノエル(Bridget Noel、1729年8月22日没、ジョン・ノエル閣下の娘)と結婚
  • チャールズ(1700年 – 1785年) - 第2代ポートモア伯爵

出典

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  1. ^ a b c d e "Portmore, Earl of (S, 1703 - 1835)". Cracroft's Peerage (英語). 30 December 2003. 2020年8月19日閲覧
  2. ^ a b c d Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 277.
  3. ^ a b c d e f g h i j k Henderson, Thomas Finlayson; Spain, Jonathan (3 January 2008) [2004]. "Colyear, David, first earl of Portmore". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/6015 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  4. ^ a b c d e f g Henderson, Thomas Finlayson (1887). "Colyear, David" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 11. London: Smith, Elder & Co. pp. 424–425.

外部リンク

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軍職
先代
ジョン・ウォーチョップ
ポートモア卿の歩兵連隊隊長
1688年 – 1703年
次代
ダルリンプル子爵
先代
サー・ヘンリー・ベラシス英語版
クイーンズ・ロイヤル歩兵連隊英語版隊長
1703年 – 1710年
次代
パーシー・カーク英語版
先代
トマス・スタンウィックス英語版
ジブラルタル総督
1713年 – 1720年
次代
リチャード・ケイン英語版
先代
ステア伯爵
第2竜騎兵連隊英語版隊長
1714年 – 1717年
次代
ジェームズ・キャンベル英語版
スコットランドの爵位
爵位創設 ポートモア伯爵
1703年 – 1730年
次代
チャールズ・コリヤー
ポートモア=ブラックネス卿
1699年 – 1730年
スコットランドの準男爵
先代
アレクサンダー・コリヤー
(ホランドの)準男爵
1685年 – 1730年
次代
チャールズ・コリヤー