D型潜水艦
D型潜水艦 | |
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基本情報 | |
艦種 | 巡洋潜水艦 |
就役期間 | 1928年 - 1958年 |
建造数 | 6隻 |
次級 | P型潜水艦 |
要目 | |
排水量 | 水上:933t 水中:1,354t |
全長 | 76.0m |
最大幅 | 6.5m |
吃水 | 3.8m |
機関方式 |
ディーゼル発動機2基(2,200hp) 電動機2基(1,050hp) 2軸推進 |
速力 | 水上14.0kt 水中9.0kt |
航続距離 |
水上:9節7,500浬 水中:2節132浬 |
潜航深度 | 75m |
乗員 | 53名 |
兵装 |
533mm発射管 - 艦首6門、艦尾2門 102mm砲 - 1門 45mm機関砲 - 1門 魚雷14本、機雷20個 |
D型潜水艦は、ソ連海軍の潜水艦の艦級。正式艦級名称は第1系列潜水艦デカブリスト(Подводные лодки серии I «Декабрист»)である。
開発
[編集]D型潜水艦は、ロシア帝国海軍の後継組織となったソビエト連邦海軍が、最初に運用した潜水艦である。当時のソ連は、ロシア革命や第一次世界大戦による混乱などの影響で、造船計画は遅延し、海軍力は低下していた。そのためソ連海軍首脳部は艦艇新造の必要性を感じ、1923年に新型潜水艦の開発を独断で(革命軍事評議会の承認を得ずに)決定した。本型はバルト造船廠(旧オルジョニキーゼ造船廠)のマリーニン技師を主任設計者として開発が開始された。
革命直後のソ連の工業力・技術力では潜水艦建造には不十分だったため、本型の開発にあたっては諸外国からの技術導入を多数必要とした。船体はイタリアから輸入した図面を参照し、発動機はドイツ共和国のMAN社より輸入した鉄道用ディーゼルエンジンを参考とした。
特徴
[編集]船体は、当時の先端鉄鋼技術を駆使したステンレス合金を採用した、リベット接合式の複殻式構造であった。耐圧殻直径は4.76mであり、実用潜航深度は75m、限界潜航深度は90mであった。浸水発生時の被害を最小限に留めるため、船体は水密区画によって分割した。従来の潜水艦は基本的に船体は1区画のみで構成されていたが、本型では7区画に分割され、各区画は防水壁とハッチで隔離されていた。
本型は技術水準の低さに起因する不具合も多かった。バラストタンクの配置が悪く、潜航時には船体重心に偏りが生じた。注排水装置や空気圧縮装置の性能不足から、潜航・浮上に要する時間も長かった。ベアリングの不良から、機関を最大出力で20時間運転すると動力伝達軸が破損した。そのため性能は不十分であり、建造は6隻に留まった。
運用
[編集]1927年から建造が開始され、1930年までに6隻が竣工、各艦にはD-1からD-6までの番号が与えられた。第二次世界大戦時には旧式化していたが前線で活躍し、4隻が沈没した。1958年までに全艦が退役したが、一部は博物館に展示されている。