コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

D.T.クローマー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
D.T.クローマー
D. T. Cromer
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 サウスカロライナ州フローレンス郡
生年月日 (1971-03-19) 1971年3月19日(53歳)
身長
体重
186 cm
98 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1992年 MLBドラフト11巡目
初出場 MLB / 2000年4月5日
NPB / 2002年3月30日
最終出場 MLB / 2001年10月7日
NPB / 2003年8月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

デビッド・トーマス・クローマーDavid Thomas "D. T." Cromer1971年3月19日 - )は、アメリカ合衆国サウスカロライナ州フローレンス郡出身の元プロ野球選手外野手内野手)。

セントルイス・カージナルスなどでプレーしたトリップ・クローマーは実兄。

来歴・人物

[編集]

一本足打法の左打者。父・ラッセルはカージナルス傘下のマイナーリーグでプレーし、兄弟も皆野球選手という一家。性格は寡黙だが表情は非常に温和である。

1992年のMLBドラフト11巡目でオークランド・アスレチックスに指名されて契約。長いマイナーリーグ生活を経て、2000年シンシナティ・レッズメジャー初昇格。同年にチームの連続イニング得点メジャー記録を樹立する本塁打を打ったことがある。レッズでは一塁の守備に就くことが多かった。

2002年NPB日本ハムファイターズ外野手として入団。前年限りで退団したナイジェル・ウィルソンに代わる大砲として期待されたが、好不調の波が激しく、十分に力を発揮できなかった。同年は開幕15試合目の4月17日に5号本塁打を打ったが、そこから25試合にわたって本塁打が出ず、次の6号が出たのは41試合目の5月21日だった。また、得点圏打率が.198と低く、特に満塁では全く打てず、同年は両リーグで満塁時に10打数以上で無安打だったのは、11打数無安打のクローマーだけだった。守備面でも弱点を抱えていた。

2003年オープン戦で絶好調も、シーズンに入ると不振に陥った。4月25日対近鉄戦の8回裏の打席では、見逃しの三振に倒れた際に最後のストライクの判定を不服として、9回の守備に就くときに川口球審に暴言を吐いたとして退場を宣告された。5月23日の対ロッテ戦から26日の対西武戦にかけて、チームが記録した球界史上3回目の「4試合連続2ケタ得点」に2本塁打・4打点と貢献したが、故障も加わり二軍にいることが多かった。夏場に一旦は昇格するが、再び故障で二軍落ちすると、シーズン終了を待たずに解雇となり、帰国した。

入団前の新聞報道では「クロマー」とだけ表記されていた。D・JC・Dに続いて日本球界史上3人目の登録名に英字が入った選手だが、球場のアナウンスやスコアボードでは「クローマー」となるのが通例であった。また、スポーツ新聞や公式記録のスコアテーブルでの表記は「DTクローマー」となっていた。ユニフォームの背中には"CROMER"と入れられていた。

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
2000 CIN 35 51 47 7 16 4 0 2 26 8 0 0 1 1 1 1 1 14 0 .340 .360 .553 .913
2001 50 63 57 7 16 3 0 5 34 12 0 0 0 3 3 0 0 19 0 .281 .302 .596 .898
2002 日本ハム 131 520 478 49 117 27 3 20 210 54 5 5 0 3 35 2 4 134 6 .245 .300 .439 .739
2003 50 203 184 20 37 5 1 7 65 25 1 3 0 0 16 0 3 67 1 .201 .276 .353 .629
MLB:2年 85 114 104 14 32 7 0 7 60 20 0 0 1 4 4 1 1 33 0 .308 .327 .577 .904
NPB:2年 181 723 662 69 154 32 4 27 275 79 6 8 0 3 51 2 7 201 7 .233 .293 .415 .709

記録

[編集]
NPB

背番号

[編集]
  • 69 (2000年)
  • 36 (2001年)
  • 15 (2002年 - 2003年)

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]