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ドーセット公爵

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ドーセット公から転送)
ドーセット公爵

紋章記述

Arms:Quarterly Or and Gules over all a Bend Vair.Crest:Out of a Coronet composed of eight Fleur-de-lis Or an Estoile of eight points Argent.Supporters:On either side a Leopard Argent
創設時期1720年6月13日 [1]
創設者ジョージ1世
貴族グレートブリテン貴族
初代7代ドーセット伯ライオネル・サックヴィル
最終保有者5代公チャールズ・サックヴィル=ジャーメイン
相続資格初代公爵の嫡出直系男子
付随称号ドーセット伯爵
ミドルセックス伯爵英語版
サックヴィル子爵(1815-1843)
バックハースト男爵英語版
クランフィールド男爵
現況廃絶
断絶時期1843年7月29日
旧邸宅ノウル・ハウス
モットーAut Nunquam Tentes, Aut Perfice
(Either never attempt, or accomplish)

ドーセット公爵英語: Duke of Dorset)は、かつて存在したグレートブリテン貴族公爵位。

テューダー朝期の政治家トマス・サックヴィルが1567年に叙されたバックハースト男爵と1604年に叙されたドーセット伯爵位を前身とし、第7代ドーセット伯爵ライオネル・サックヴィル1720年に叙されたのに始まる爵位である。1843年に継承者が絶えて廃絶した。本項では、前身となったドーセット伯爵についても触れる。

歴史

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初代伯トマス・サックヴィル
公爵家のかつての邸宅であるノウル・ハウス

サックヴィル家の祖トマス・サックヴィル(1527–1608)は、庶民院議員として活躍した後、貴族院におけるプロテスタント党派を強化しようというエリザベス女王の目論見から1567年6月8日イングランド貴族としてサセックス州におけるバックハーストのバックハースト男爵英語版 (Baron Buckhurst, of Buckhurst in the County of Sussex)に叙されて貴族院議員に列した[2]。その後廷臣として活躍し、ジェームズ1世即位後の1604年3月13日には ドーセット伯爵 (Earl of Dorset)に叙せられた[2][3][4]

2代伯ロバート(1561-1609)は父の余慶を蒙って、襲爵前の1584年サセックス選挙区選出の庶民院議員に弱冠23歳で就任した。1608年に父より爵位を継承したが、わずか1年後に死去したため、その子リチャードが爵位を相続した。[5][6]

3代伯リチャード(1589-1624)サセックス州統監英語版を務めたほか、「17世紀中最も傑出した賭博師かつ浪費家」とも評された。彼が1624年に死去すると、弟のエドワードがその後を襲った。[6][7]

4代伯エドワード(1591-1652)は、チャールズ1世によるスコットランド出兵時の摂政職を務めたほか、イングランド内戦期は騎士党として活動した。[8]

その孫にあたる6代伯チャールズ・サックヴィル英語版(1638–1706)ステュアート朝後期の政治家・詩人で、1675年4月4日にはイングランド貴族爵位のミドルセックス伯爵英語版(Earl of Middlesex)ミドルセックス州におけるクランフィールドのクランフィールド男爵(Baron Cranfield, of Cranfield in the County of Middlesex)に叙せられた[3][9]

7代伯ライオネル・サックヴィル(1688–1765)は、ハノーヴァー朝初期の1720年6月17日グレートブリテン貴族爵位ドーセット公爵(Duke of Dorset)に叙せられた。彼はホイッグ党政権下で役職を歴任したほか、1730年から1737年1750年から1755年にかけての二度アイルランド総督を務めたことで知られる[10][11]。初代公が1765年に没すると、その息子のチャールズが爵位を承継した。

なお、彼の三男ジョージ・ジャーメインも1782年にグレートブリテン貴族としてノーサンプトン州ドレイトンのサックヴィル子爵(Viscount Sackville, of Drayton in the County of Northampton)に叙されて、公爵家の分家が誕生している。[11][12][13]

2代公チャールズ(1711–1769)枢密顧問官やプリンス・オブ・ウェールズ付主馬頭を務めた。彼には男子がなかったため、公爵位は甥のジョンが相続した。[11][14]

3代公ジョン(1745-1799)ケント州統監英語版駐仏英国大使国王親衛隊隊長等の職を歴任した。[11]

その息子の4代公ジョージ(1793-1815)1815年に若くして没したため、爵位は初代公の三男の家系たるサックヴィル子爵家出身のチャールズ・サックヴィル=ジャーメイン(1767–1843)が相続した。しかし彼にも子はなかったため、その死去に際して継承資格者は途絶え、すべての保有爵位が廃絶した[11]

歴代当主一覧

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バックハースト男爵 (1567年)

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ドーセット伯 (1604年)

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ドーセット公 (1720年)

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ The English Peerage; or, A View of the Ancient and Present State of the English Nobility. pp. 93–97. https://archive.org/stream/englishpeerageor01catt#page/92/mode/2up 25 December 2016閲覧。 
  2. ^ a b "Sackville, Thomas" . Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900.
  3. ^ a b Heraldic Media Limited. “Dorset, Earl of (E, 1604 - 1843)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2011年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月30日閲覧。
  4. ^ Lundy, Darryl. “Thomas Sackville, 1st Earl of Dorset” (英語). thepeerage.com. 2016年6月23日閲覧。
  5. ^ J. E. Neale, The Elizabethan House of Commons (1963), p. 63 and p. 293.
  6. ^ a b Dorset, Earl of. (E, 1604 - 1843)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2019年12月25日閲覧。
  7. ^ Robert M Cooper, The Literary Guide and Companion to Southern England (Ohio University Press, 1998)
  8. ^ "Sackville, Edward" . Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900.
  9. ^ "Sackville, Charles (1638-1706)" . Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900.
  10. ^ "Sackville, Lionel Cranfield" . Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900.
  11. ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Dorset, Duke of (GB, 1708 - 1843)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年7月9日閲覧。
  12. ^ Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Sackville, George, 1st Viscount" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 23 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 975–976.
  13. ^ No.12268”. The Gazette 5 February 1782. 2019年12月14日閲覧。
  14. ^ SACKVILLE, Charles, Earl of Middlesex (1711-69).”. History of Parliament Online (1715-1754). 9 April 2019閲覧。

関連項目

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