ルイ=ジュール・マンシーニ=マザリーニ
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ルイ=ジュール・マンシーニ=マザリーニ Louis-Jules Mancini-Mazarini | |
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ニヴェルネー公 | |
在位 | 1768年 - 1789年 |
出生 |
1716年12月16日 |
死去 |
1798年2月25日(81歳没) |
配偶者 | エレーヌ・フェリポー・ド・ポンシャトレーン |
マリー・テレーズ・ド・ブランカ | |
子女 |
エレーヌ アデライード |
父親 | ヌヴェール公フィリップ・ジュール |
母親 | マリー・アンヌ |
ニヴェルネー公ルイ=ジュール・マンシーニ=マザリーニ (Louis-Jules Mancini-Mazarini, duc de Nivernais、1716年12月16日 - 1798年2月25日)は、フランスの外交官、詩人。ジュール・マザラン枢機卿の甥ヌヴェール公フィリップ・マンチーニの孫である。
生涯
[編集]ヌヴェール公フィリップ・ジュールと妻マリー・アンヌの子として、パリで生まれる。コレージュ・ルイ・ル・グランを卒業した。1733年のイタリア遠征、1740年のボヘミア遠征に従軍するが、自身の病弱さ故に軍務をあきらめ、政界へ入る。1748年から1752年まで駐ローマ大使、1755年から1756年まで駐ベルリン大使、そしてパリ条約締結交渉のためロンドンに駐在した。フランス革命勃発後も国内にとどまったが、全財産を失い、1793年には投獄された。ロベスピエール失脚後に解放され、1798年に亡くなった。
子女
[編集]1730年にポンシャトレーン伯ジェロームの末子エレーヌと結婚。2女をもうけた。
- エレーヌ(1740年 - 1780年) - ジゾール伯ルイ=マリー・フーケ・ド・ベル=イルと結婚
- アデライード(1742年 - 1808年) - ブリサック公ルイ・エルキュール・ティモレオンと結婚
1782年、セレスト侯ルイ(en)の娘マリー・テレーズと再婚。子供はなかった。
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前任 ジャン=バティスト・マティヨン |
アカデミー・フランセーズ 席次4 第6代:1742年 - 1798年 |
後任 ガブリエル=マリ・ルグヴェ |