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ルイ=ジュール・マンシーニ=マザリーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルイ=ジュール・マンシーニ=マザリーニ
Louis-Jules Mancini-Mazarini
ニヴェルネー公
在位 1768年 - 1789年

出生 (1716-12-16) 1716年12月16日
死去 (1798-02-25) 1798年2月25日(81歳没)
配偶者 エレーヌ・フェリポー・ド・ポンシャトレーン
  マリー・テレーズ・ド・ブランカ
子女 エレーヌ
アデライード
父親 ヌヴェール公フィリップ・ジュール
母親 マリー・アンヌ
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ニヴェルネー公ルイ=ジュール・マンシーニ=マザリーニLouis-Jules Mancini-Mazarini, duc de Nivernais1716年12月16日 - 1798年2月25日)は、フランスの外交官、詩人。ジュール・マザラン枢機卿の甥ヌヴェール公フィリップ・マンチーニの孫である。

生涯

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ヌヴェール公フィリップ・ジュールと妻マリー・アンヌの子として、パリで生まれる。コレージュ・ルイ・ル・グランを卒業した。1733年のイタリア遠征、1740年のボヘミア遠征に従軍するが、自身の病弱さ故に軍務をあきらめ、政界へ入る。1748年から1752年まで駐ローマ大使、1755年から1756年まで駐ベルリン大使、そしてパリ条約締結交渉のためロンドンに駐在した。フランス革命勃発後も国内にとどまったが、全財産を失い、1793年には投獄された。ロベスピエール失脚後に解放され、1798年に亡くなった。

子女

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1730年にポンシャトレーン伯ジェロームの末子エレーヌと結婚。2女をもうけた。

  • エレーヌ(1740年 - 1780年) - ジゾール伯ルイ=マリー・フーケ・ド・ベル=イルと結婚
  • アデライード(1742年 - 1808年) - ブリサック公ルイ・エルキュール・ティモレオンと結婚

1782年、セレスト侯ルイ(en)の娘マリー・テレーズと再婚。子供はなかった。

ジャン=アントワーヌ・ウードン作のニヴェルネー公ルイ=ジュール胸像
先代
フィリップ・ジュール・フランソワ・マンチーニ
ヌヴェール公
1768年 - 1789年
次代
前任
ジャン=バティスト・マティヨン
アカデミー・フランセーズ
席次4

第6代:1742年 - 1798年
後任
ガブリエル=マリ・ルグヴェ