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ノート:勝道

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ノート:勝道上人から転送)

項目名に「上人」号は認められるか?

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「上人」は敬称なので記事名を「勝道」に変更するべきかと思いますが。Mizumono 2005年6月15日 (水) 03:13 (UTC)[返信]

  • (変更)仰る通り、「上人」は敬称です。記事名に敬称を入れるのは、断じて不適切です。依って本文の記事名は、[[勝道]]に変更されるべきです。-- 2005年8月16日 (火) 11:37 (UTC)[返信]

たとえば聖徳太子も、当時使用された名称ではないし、敬称を含んではいますが、日本語使用圏では一般的に使われています。正直いって「勝道」ではなんだかわかりません。また、聖徳太子ならば、当時使われた別の呼称を使うこともできますが、勝道上人は、存在したこともやったことも確かに明らかではあるが、それ以外の経歴や他の呼称が知られていない人物でもあります。少なくとも、日本語使用圏で、勝道上人を「勝道」と表記した例が一般的に使われた時代を私は知りません。Modeha 2005年9月18日 (日) 11:31 (UTC)[返信]

確かにModehaさんの主張は分かりますが、ウィキペディアに使用されるべき項目名には一定のルール(Wikipedia:スタイルマニュアル/人物伝)が適用される事になっており、それに反する項目名は移動の対象になります。Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/人物伝で意見を仰がれるのが筋だと思いますが。--210.196.189.19 2006年1月19日 (木) 04:31 (UTC)[返信]

項目名についてはWikipedia:記事名の付け方です。スタイルマニュアルは本文の内容に関する基準。称号や敬称については多くの例外がそれぞれの分野で合意されているのが現状です。日本の皇族については「親王、内親王、王、女王」を項目名に含む合意ができています。--代言人 2006年1月20日 (金) 03:38 (UTC)[返信]
スタイルマニュアル以前にWikipedia:中立的な観点を守る必要があり、これは項目名にも当てはまります。特定分野で全体の方針に反する合意を行うことはできないと思いますが、どこで合意したのですか?kaz 2006年1月31日 (火) 12:55 (UTC)[返信]


よくわかりませんが、聖徳太子という記事名も移動せよということですか。少なくとも「太子」というのは合意された敬称ではないですよね。それに、現行ルールでは「近畿日本鉄道株式会社」が正式な記事名の付け方なのですが、現在、このルールは全く使われておらず、「近畿日本鉄道」で記事が立っています。ほかの記事、「キユーピー」なども同じです。ルールがおかしいのだからそっちを現状に合わせて直すべきです。少なくともわれわれウィキペディアンたちはそうしてきました。Modeha 2006年1月31日 (火) 10:56 (UTC)[返信]

エキサイトの辞書によると、太子も上人も敬称ではありません。「○○大統領」「○○社長」などと同等ではないかと。-- [Café] [Album] 2006年2月1日 (水) 05:34 (UTC)[返信]

上にある1月31日kazさんのご発言への返事にもなりますが、皇族の記事については中立的な観点を鑑みそれが正式名称であるとしてWikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族にて合意がなされました。また、Modehaさんが仰る様に企業の記事については『株式会社』等を記事名に含められていませんが、これは含めずという合意があります。(Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/過去ログ4#「株式会社」を記事名に含めないことについてWikipedia:井戸端会議ログ1#団体名について)しかし、学校法人の記事については『学校法人』を記事中に含めるという合意もあります。(Wikipedia:ウィキプロジェクト 学校/学校法人の記事について)また、神道における神の記事については表記のゆれがある為記事名に『神』は含んでいません。これは敬称だから外したという物ではありません。そのため天照大神天之常立神のように『神』を含む項目も多数存在します。(Wikipedia:ウィキプロジェクト 神道Category:日本の神)。正式名称も敬称も書いてある通りにそのまま適用しては不都合が生じます。そもそもそのルールはイトーヨーカ堂という名称があるにも拘らずヨーカドーという記事名になったり、ダグラス・マッカーサーという人物をマッカーサー元帥という記事名になるのを防ぐ為の規定ではないでしょうか。--代言人 2006年2月1日 (水) 06:32 (UTC)修正代言人[返信]

それで、この記事の場合なのですが、「上人」は敬称ではないかもしれませんが、名前の一部でないことも確かなので、勝道上人が項目名では他の項目とバランスがとれないでしょうね。やっぱり「勝道」とするか「勝道 (僧)」などとすべきではないでしょうか...-- [Café] [Album] 2006年2月1日 (水) 08:05 (UTC)[返信]

Wikipedia:ウィキポータル 仏教Wikipedia:ウィキプロジェクト 仏教には僧侶の記事名に関する合意は見当たりませんが、寛朝僧正道場法師豊国法師玄奘三蔵慈恩大師等の記事があり、それらはどうなのでしょう。上人自体は僧侶に対する敬称であり称号ですが、Modehaさんが仰るには史書等で勝道上人としか記述されて居ないとしています。敬称を用いた名称が一般的なら変えるべきではないと思います。聖徳太子の太子は称号の類ではなかろうかと。--代言人 2006年2月1日 (水) 09:08 (UTC)[返信]

そういう例があるのなら、それでいいでしょうね。-- [Café] [Album] 2006年2月1日 (水) 09:44 (UTC)[返信]

代言人さんが、上で例としてあげた、日本の皇族については「親王、内親王、王、女王」を項目名に含む、ことについては「身位は敬称ではない」ということが理由で合意されているように見えます。したがって、ここで敬称を項目名に含めることについて特定分野で合意された実績があるかのように仰るのはいかがなものかと思います。確認ですが、「敬称を項目名に含めることについて特定分野で合意された実績」はないのではありませんか。kaz 2006年2月1日 (水) 16:13 (UTC)[返信]

どっから実績があるといったのかはわかりませんが、1月20日の時点で私はそれぞれの分野で例外を設けることで合意した旨発言すると貴方は議論の合意内容を見ずして「全体の方針に反する合意」としてその議論の所在を尋ねました。その事についてそれぞれの分野の合意内容と議論されていた頁を紹介して差し上げたのです。日本の皇族はそれは敬称ではなく名前と密接不可分だから含めるということで合意したのです。他の例は正式名称やら敬称やらの基本ルールの例外についてです。皇族の親王は合意が得られるまではそれが敬称と判断されていた為に親王の表記が外されていました。それを敬称ではないと合意を得た事によって改名する事が出来たのです。企業や学校法人の例は言うまでもなく、神の項目は敬称だから含まないのではないと説明しています。御自身の発言を忘れて私がありもしない合意について議論を誘導するために歪曲して主張している様な仰り方は如何な物でしょうか。私は返事の冒頭で「正式名称であるとして」と断りを入れてます。敬称を含んでもいいと合意したとは云ってません。向こうの議論をご覧になったようですがこの項目に対する私の考えと向こうの議論の経過を誤解されています。上記2006年2月1日 (水) 09:08 (UTC)で書きましたが本件の敬称については上人は名前と密接不可分であって外す事によって一般的用法と乖離するのなら外すべきではないと考えています。聖徳太子から称号である太子を外すことは考えられません。それでは何の項目かわかりませんよね。勝道上人も同じで上人を含めて広く記述されているのに変な理由をつけてウィキペディアだけ独自の名前を使う事は疑問を感じます。--代言人 2006年2月1日 (水) 17:06 (UTC)[返信]

代言人さんは最初に「称号や敬称については多くの例外がそれぞれの分野で合意されているのが現状です」と仰りました。本件はそもそも、上人は敬称だからはずすべき、という話であり、他で敬称を項目名に含めることについて合意例がある、というのなら話は分かります。しかもあなたは、上人は敬称であると考えておられる。にもかかわらず、「称号」の場合の例である皇族の例をなぜ挙げたのです?議論の誘導のように受け取れますが?kaz 2006年2月2日 (木) 00:11 (UTC)[返信]
中立的な観点に鑑みて、敬称を項目名に含めることについて特定分野で合意された実績は今までもないようですから、本件についても上人が敬称ではないという結論にならない限りはそれを含む項目名は認められないということになります。kaz 2006年2月2日 (木) 00:15 (UTC)[返信]
なんでそういう論旨になるんでしょうね。例外がそれぞれの分野で合意されていることの一例として挙げたまでです。なぜ皇族かというとその議論に私も参加していたからです。皇族の例はそれまで敬称であるとも採られていたのを名前と一体であると判断したのです。敬称も称号の一種であり、上人もまた敬称であり称号でもあります。上人は徳のある高僧に対し贈られる称号であり僧侶の階級の一つです。しかし特に上人号を贈られていない僧侶に対し上人とつける例もあります。称号や敬称については多くの例外がそれぞれの分野で合意されているのが現状ですしかし皇族の例があるからここの変更が認められないと言った覚えはありませんこの勝道上人については勝道上人という呼ばれ方が多く、上人まで含めて名前と一体であると判断すべきです。それとも寛朝僧正道場法師豊国法師玄奘三蔵慈恩大師もまた変更せよというのでしょうか。--代言人 2006年2月2日 (木) 02:19 (UTC)[返信]

なんで、項目名に敬称を入れないことになっているのか、考えてみてください。中立的な視点を実現するためなら、すべての項目に敬称を付けるという方法もあります。事実、ウィキニュースでは、項目名ではありませんが、現代人の名前にはすべて何らかの形で敬称かそれに変わるものをつけています。しかし、ウィキペディアの項目名ではそんなことはできないでしょう。だからはずしているのだと思います。ところで、一方で、項目名とは、その項目が説明しようとする概念をもっともよく表し、その概念を一意的に同定できるものである必要があります。その意味で、敬称またはそれに類するものであっても、名前と事実上一体化してしまっているものについては、「敬う」という意味がすでに薄れていれば、項目名の中に含めてきているのでしょう。この項目がそれに該当するかどうか、私にはわかりませんが、そう言う観点で話していけたら答えが見つかるのではないでしょうか。-- [Café] [Album] 2006年2月2日 (木) 03:33 (UTC)[返信]

すべての項目に公平に(中立的に)敬称を付けることは、全部に全く同じ敬称をつけることになり、結局意味がありません。敬称にも敬意の程度によりいろいろなものがあるからです。ちょっと乱暴な例えだと思います。詳しく知りませんが、ウィキニュースでも敬意の程度に格差をもうけるようなことはしていないのでは?ウィキニュースでは敬称を使いウィキペディアでそのようにしていないのは、どちらかというと、ニュースと事典という違いを考慮したものと、議論の経緯の違いだと思います。ウィキニュースでは当初参加者が少なかったこともありウィキペディアに比べて幅広い議論がされていなかったように思います。
敬称またはそれに類するものであっても、名前と事実上一体化してしまっているものについては、「敬う」という意味がすでに薄れていれば、項目名の中に含めてきているのでしょう。と仰っているので確認ですが、既にそういうものがあるということですか?kaz 2006年2月2日 (木) 12:55 (UTC)[返信]
Kazさん、まず第1段についてですが、ちょっと意味が取れません。異なる敬称を付けることは、中立的でない、と言う意味ですか?
第2段についてですが、代言人さんが例を挙げていらっしゃいますが、これは例にならないですか?-- [Café] [Album] 2006年2月2日 (木) 14:06 (UTC)[返信]
ひとつめについてはそういう意味です。ふたつめについては、例えば、玄奘三蔵をみると、敬称に関する議論が提起されて合意されたとかの形跡はないようです。たまたま最初に玄奘三蔵でたてられ、誰も問題提起する人がいなかっただけかと思われるので、例としては違うのではないでしょうか。kaz 2006年2月2日 (木) 14:13 (UTC)[返信]

孔子老子孟子荘子墨子荀子朱子。これらの『子』は全て先生を意味する敬称です。称号や階級ではなく敬称です。これらは本名が判明しているにも拘らず敬称を含む項目名ですね。僧侶では他に完顔陳和尚がありますし、虞美人なんて敬称丸出しですね。劉太公も敬称を含んでいます。また、敬称ではありませんが正式な名前を採用せず一般的な名前を項目名として採用している例として伍子胥子嬰子貢子産商鞅楊貴妃が挙げられます。--代言人 2006年2月2日 (木) 14:28 (UTC)[返信]

すみません、完顔陳和尚の「陳和尚」は幼名由来の愛称であって、僧侶ではありません(織田信長の幼名が「吉法師」だから信長は僧侶だと言っているのと同じ事になってしまいますが)。--163.139.25.208 2006年5月18日 (木) 02:01 (UTC)[返信]
なるほど。そうなると、この際それらも含めて基本的な方針との整合性を考える必要がありますね。ところで、個人的には以前から「正式な名称」に拘ることは弊害のほうが大きいと思っていますし、「正式な名称」のほとんどは定義が曖昧、それに正式な名称の不採用は基本的な方針にも反しないので、「正式な名称」を採用すべしとの考えには与しません。kaz 2006年2月2日 (木) 15:50 (UTC)[返信]

敬称を含む名称であってもそれが歴史上の人物で且広く一般に知れ渡っているのなら一般的なものを採用してしかるべきです。例えばキリスト教の聖母マリアは聖書では始め"人間"として登場します。これを聖母とするのはキリスト教側のみに通用する偏った価値観です。中立的観点を明白に侵していますよね。しかし"マリア"だけではなんだかよく判りませんしマリアが聖母だというのは周知の事実です。マリアを聖母だと言って不快感を示す人が大勢いるのでしょうか?聖母を外すほうが抵抗があるでしょう。祝日にもなっている聖パトリックだって人間です。それを聖人としているのはキリスト教のみの価値観です。しかしながら聖パトリックの祝日というほど有名です。ただパトリックというだけではそれがなんだかわかりません。聖マラキも同様で彼の神官としての階級は大司教です。私はキリスト教徒ではありませんがこれらの記事名は現在の項目名が正常だと思います。それとも聖ニコラウスが元となったサンタクロースも敬称を含んでいますね。これらの記事を改名するよりは歴史上の人物について全く触れていないWikipedia:記事名の付け方を改訂するが現実的だと思います。--代言人 2006年2月3日 (金) 02:01 (UTC)[返信]

まず総論としてですが、敬称や地位などを表す語と一体化した形で固有名詞となっている人物については、例外的に、それを記事名とすべきだと思います。その点について、「Wikipedia:記事名の付け方」を改訂すべきという代言人さんの提案に賛成です。
しかし、それを前提としても、この記事に関しては「勝道」とすべきだと思います。「勝道上人」ではなく、「勝道」と表記する例は珍しくないからです。例えば、東京新聞のこの記事。また、この方は総合百科事典では独立項目となっていないので専門的な事典になりますが、『総合佛教大辞典』(法臧館)、『日本仏教人名辞典』(新人物往来社)、『国史大辞典』(吉川弘文館)は、いずれも「勝道」を見出し語としています。--oxhop 2006年2月5日 (日) 15:59 (UTC)[返信]
そうなんですか。そのようなご意見をお待ちしておりました。私は敬称だから変更という理由に反対なので『国史大辞典』にそうなっているのから変更と云うのであれば特に反対しません。--代言人 2006年2月5日 (日) 16:47 (UTC)[返信]
敬称や地位などを表す語と一体化した形で固有名詞になっている、という判断基準では、結局は、特定の文化圏での多数派の観点を認め、少数派の観点はないがしろにするということに他ならない。特に、日本人は、日本語を話すのは日本人という意識が強いから違和感を感じなi

人もいるのでしょうが、英語スペイン語フランス語ポルトガル語といった国際言語を意識したWikipediaだからこその中立的な観点の方針には決定的に反しています。大原則を揺るがすような例外には反対します。kaz 2006年2月6日 (月) 00:32 (UTC)[返信]

世界大百科事典にはこの人物の記事はありませんが、「男体山」の項で「修行僧勝道上人」という記述がされています。もっとも、その方面の専門辞書等で「勝道」という項目名で立っているというのなら、(その辞書を、そういう名で呼ばれたという根拠として)移動することには同意します。もっとも、この人物以外の例外的な記事に関する扱いについての議論が必要というところにも同意します。Modeha 2006年2月6日 (月) 10:07 (UTC)[返信]

私も、それらの資料を根拠に記事名を変更することに異議ありません。-- [Café] [Album] 2006年2月6日 (月) 10:45 (UTC)[返信]

歴史上の人物の項目名についての例外を規定する提案

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Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/過去ログ3#歴史上の人物の項目名についての例外を規定する提案にて記事名の付け方の改訂を提案いたしました。そちらでご意見お願いします。--代言人 2006年2月6日 (月) 01:17 (UTC)[返信]

再度改名提案

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このノートページの過去の議論を見ると、「勝道上人」→「勝道」の改名の是非について、改名を是とする方向にまとまりつつあったところで議論が止まり、2年以上が経過しています。過去の議論は尊重しつつ、本件はやはり「勝道上人」→「勝道」に改名すべきではないかと思います。改名を是とする理由は以下のとおりです。

  • 既存の人名辞典、仏教辞典等ではいずれも「勝道」を見出し語としています。『総合佛教大辞典』(法臧館)、『日本仏教人名辞典』(新人物往来社)、『国史大辞典』(吉川弘文館)が「勝道」を見出し語としていることがoxhop氏によってすでに指摘されていますが、他に『日本仏教史辞典』(今泉淑夫編、吉川弘文館)、講談社『日本人名大辞典』、『新潮日本人名辞典』でも「勝道」を見出し語としており、逆に「勝道上人」を見出し語としている辞典・事典は未見です。「信頼できる情報源から検証可能な情報を記載する」というウィキペディアの基本方針からいって、既存の事典・辞典類がいずれも見出し語としていない「勝道上人」を項目名とすることは適切でないように思いますがいかがでしょうか。
  • Category:日本の僧を見ると、1,000以上の項目がありますが、項目名に「上人」という2字を含めているのは「勝道上人」の他には「珂碩上人」のみです(2008年4月10日現在)。法然明恵一遍のように、通常「上人」を付けた形で呼ばれることが多い僧についても、項目名には「上人」がついていません。「勝道上人」と「珂碩上人」の2名のみに例外的に「上人」を付す積極的理由があるとは思えません。

本件については過去の議論もありますので、少し時間の余裕をもって、1か月ほど待って明確な反対がなければ改名したいと思います。なお、上の方の議論でしばしば言及されている「聖徳太子」については、特異な例であり、仏教の僧の項目名をどう表記するかという当面の問題とは分けて考えたほうがよいと思います。--Urania 2008年4月10日 (木) 14:20 (UTC)[返信]

Wikipedia:改名提案」への告知、本文への改名テンプレ貼付、本ノートページでの意見提起を規定どおり行い、余裕をみて1か月待ちましたが、反対意見がありませんでしたので、移動しました。--Urania 2008年5月11日 (日) 05:11 (UTC)[返信]