ノート:歴史的イラン世界
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(ノート:大イランから転送)
改名提案
[編集]本記事の記事名を「歴史的イラン世界」に改名することを提案します。以下理由です。 まず、「大イラン」という記事名については以下の2点から適当ではないと考えます。
- 「大イラン」という記事名はGreater Iranの直訳であろうと思われますが、イラン史・中東史・オリエント史等の日本語書籍・論文で「大イラン」という用語を見たことはほとんどありません。
- 同じく、検索でもWikipediaの本記事およびそのコピーサイト以外にほぼ用例が見当たりません。
改名先については「イラン」という用語が極めて多義性の強いものであるため非常に難しく、記事主題をどのように定義するかもかなり難題だとは思うのですが、イラン史を扱った近年の書籍では類似の概念について以下のように言及しています。
- 羽田正 編『イラン史』山川出版社 2020年(引用部の執筆担当は清水宏祐)
「この章で扱う地域の広がりは、おおざっぱにいえば、東はオクサス川(アム川)、北はカスピ海南岸、西はメソポタミアにいたる範囲にわたっている。(中略)おおむねサーサーン朝の版図に相当するといえよう。(中略)本書においては、いくつか異なった意味で「イラン」の語がつかわれている。混乱を避けるために、ここで簡単に整理しておこう。本章で扱うイランとは、右に述べたような、いわば『歴史的イラン世界(強調は引用者)』とでもいうべき地域である」
「文字文化という観点でいえば、歴史史料や文学作品が近世ペルシア語で書かれ、流通する範囲があった。これは十世紀末頃からあらわれ、セルジューク朝時代をへて、イル・ハーン朝時代に確立する『ペルシア語文化圏(強調は引用者)』である。しかし、時代とともに中央アジアやインドも、『ペルシア語文化圏』の一部を構成するようになるので、これは『イラン』概念とは区別して考える必要がある。」
- 大塚修『普遍史の変貌 ペルシア語文化圏における形成と展開』名古屋大学出版会 2017年
「本書で主に分析対象とするのはペルシア語文化圏(強調は引用者)で編纂された普遍史書である。ペルシア語文化圏というのは『おおよそ11世紀から19世紀のいずれかの時期にペルシア語を文学後、行政語として用い、ペルシア語文化の影響を強くうけたイラン、アフガニスタン、インド、マーワラーアンナフル、アナトリアを中心とした地域』と定義される学術用語で(以下略)
「その中で重要なものの一つが、ムスタウィーによる地理概念の定義である。かれはイランの地(強調は引用者)をイルハーン朝の領域に相当するものとして、トゥランの地をチャガタイ・ウルスに相当するものとして、定義した。これにより『王書』が規定したイランとトゥランの対立という地理認識は、現実の歴史を叙述する際にも利用されるようになっていく。」
他、上記のように定義の説明が行われているものを見つけられませんでしたが、「イラン世界」という用語(訳語)はしばしば同種の概念を指して使用されています。具体例としては1点、以下のような用例です。
- 後藤明 監訳『イスラームの誕生 信仰者からムスリムへ』慶応義塾大学出版会 2014年
「ムハンマドは、学者たちが『古代末期』と呼ぶ時代の中ほどを生きた人であった。それは西暦でおよそ三世紀から七~八世紀にかけての、ギリシア・ローマ世界やイラン世界(強調は引用者)の『古典』文化が漸次的変容を(以下略)
上記などの例から、日本語の学術文献で本記事に掲載されているような地理的領域を指す用語としては、主に歴史的イラン世界、ペルシア語文化圏、イラン世界などが該当するのではないかと思います。Wikipediaには既に歴史的シリアなどの記事もあるので、それにあわせて歴史的イランも候補にあげられるかもしれません。そして、これらの候補のうち「ペルシア語文化圏」については時間的範囲も含めてしっかりとした学術的定義が確認できますが、明らかに記事本文(およびWikidataで関連付けられている諸外国語版)で説明している内容が「10世紀末頃から19世紀にかけてのペルシア語文献」と関連付けられていないので、候補としては適切性が低く、2017年の書籍を参考に歴史的イラン世界とするのが比較的妥当性が高いのではないかと考えます。--TEN(会話) 2022年2月18日 (金) 16:01 (UTC)
- 賛成 なかなか悩ましい問題ですが、一番まぎれがない(一意に定まる)のは確かに「歴史的イラン世界」に思えます。「イラン世界」でも通じるのではないかという気がする一方、他の現役のナントカ世界、アラブ世界やイスラム世界あたりの語感と比べると、イラン世界には上手く言えないけど違和感があって避けた方がいいような気がします。あと、「大イラン」では、大シリア主義のような「歴史的に繋がりのある近隣地域の影響圏拡大・併合を目指すような拡大主義」を連想することが多い(実際、民族統一主義にその旨で掲載されている)ので、避けるべきなのも間違いないでしょう。--シダー近藤(会話) 2022年2月18日 (金) 19:49 (UTC)
- 告知後十分な期間が経過し、反対意見もないことから改名を実施いたします。--TEN(会話) 2022年3月14日 (月) 17:21 (UTC)