ノート:ブルガリア公国
表示
(ノート:大ブルガリア公国から転送)
この「ブルガリア公国」は、下記のような選考・審査を経て良質な記事に選出されています。さらなる加筆と改善によって、秀逸な記事となるような編集を歓迎します。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2021年10月11日 | 良質な記事の選考 | 通過 |
改名提案
[編集]「大」がどこから来ているのかよく分かりません。原語(Княжество България)でついていない美称を加える必要はないと思います。Google Scholarで検索すると「ブルガリア公国」19件、「大ブルガリア公国」2件と大きく差がついており、しかも後者2件はいずれもブルガリア史の文献ではありません。今井淳子『1885年ブルガリア公国と東ルメリアの統一』など多くの邦語ブルガリア史文献が「ブルガリア公国」と書いていることからも、こちらがふさわしい記事名だと考えます。--McYata(会話) 2021年8月29日 (日) 15:51 (UTC)
- コメント 「多くの邦語ブルガリア史文献が」では具体的でないです。具体的に「多くの」文献を列記していただくと説得力があります。
- 私の方では、ブルガリア史の専門書ではないですが、辞典類で「大ブルガリア公国」の裏が取れました。
- この両記事では、1878年のサン・ステファノ条約で企画されたのが「大ブルガリア公国」で、それに横槍が入って修正になったベルリン条約 (1878年)で、ブルガリアは「半独立の自治国」として認められた、というように書いてあります。これに倣うならば、「大ブルガリア公国」は「実現しなかった概念」という感じですね。
- ほかの専門文献の調査結果も待ちたいですが、当座の意見としては、記事を「ブルガリア公国」に改名したうえで、「サンステファノ条約で構想された『大ブルガリア公国』」についても言及しつつ大ブルガリア (政治概念)を参照させる、みたいな感じでよいと思います。やり方次第では、大ブルガリア公国を大ブルガリア (政治概念)へのリダイレクトにするという選択肢も考えられると思います(どちらがいいかは判断つかない)。
- ところで、記事の履歴を精査していないのでアレなんですが、記事のInfoboxの地図のところには「ブルガリア大公国」という表現もありますね。私は知識不足で判断つきませんが、一般論としては「◯◯公国」(公の領地)と「◯◯大公国」(大公の領地)は違うという予感がしますけど、今回の場合は単なる誤記でしょうかね・・・?--柒月例祭(会話) 2021年8月29日 (日) 16:51 (UTC)
- 雑に云うと「ブルガリア公国」+「東ルメリア」=「大ブルガリア公国」という感じで、大ブルガリアとブルガリアは等価の概念ではないですね。ただまあ実現しなかったわけで、大ブルガリア (政治概念)でいいでしょという予感はします。--柒月例祭(会話) 2021年8月29日 (日) 16:55 (UTC)
- コメント ご指摘ありがとうございます。基本的なものも含め、書籍で充分調査するのを怠っておりました。申し訳ございません。下記の通り、どうなるにしろ内容に手を加えることになるので早いうちに改めてしっかり文献を集める予定ですが、とりあえず現段階で把握できている、改名議論に資すると思われる点をお答えします。
- おっしゃる通り、大ブルガリア(Велика България)という概念は確かに存在します。「どこから来ているのか分からない」というのは言い過ぎでした。
- しかし㭍月例祭さんご自身がおっしゃっている通り、大ブルガリアの理念をもとに構想され、それ自体が政治概念となっている用語である「大ブルガリア公国」(Княжество Велика България, Principality of Great Bulgaria なお管見の限り、英語やブルガリア語ではこうした用語は見たことがありません。これも「使われていない」具体例は、他言語版に対応する記事が無いとか、ネット上のJSTORの検索結果くらいしかすぐには用意できず申し訳ないのですが)と、実際に1878年から1908年まで存在した国家の正式名称としてのブルガリア公国(Княжество България, Principality of Bulgaria)は、関連こそすれ別物だと考えるべきです。
- そう考えると、現状の記事の内容は、Infoboxが「ブルガリア公国」本文が「大ブルガリア公国」を説明しており、内容が食い違っています。
- 「大公国」については、英語のPrincipalityの訳語揺れに引っ張られた誤訳と考えられます。スラヴ語では、大公国(Велико княжество. ex. モスクワ大公国)、大公国(Великото херцогство. ex. ルクセンブルク大公国)などと、公国(Княжество. ex. ブルガリア公国)、公国(херцогство. ex. ブルゴーニュ公国)は区別されます。
- 最終的には、本記事を改名し、必要に応じて現状の本文の内容を大ブルガリア (政治概念)に移したうえで(というか一から書き直した方が早そうです)、本記事の内容を書き直すのがよろしいかと思います。--McYata(会話) 2021年8月30日 (月) 04:53 (UTC)
- 数多く見たわけではないですが(というか単純に数の話なら最初に挙げたGoogle Scholarのヒット数でも十分裏付けになると思うので)、とりあえず権威ある概説書での用例を2つ持ってきました。
- 佐原徹哉「第四章 ナショナリズムの勃興と独立国家の形成」『新版世界各国史18 バルカン史』1998年 - 「サン・ステファノ条約は(中略)広大な大ブルガリア公国の設立」「サン・ステファノ条約にかわってベルリン条約が締結された。大ブルガリアは三分割され(中略)ブルガリア公国の建設が認められたが」(p.202)
- 高田有現・久原寛子訳『ケンブリッジ版世界各国史』2004年 - 「サン・ステファノ条約によれば、ブルガリア人の新国家は広大な領土を有するものになるはずだった。」(p.115)「(ベルリン条約において)ブルガリアはキリスト教徒の君主が治める公国となり」「ブルガリア公国はスルタンに従属し」(p.116)
- 確かに「大ブルガリア公国」の用例はありますが、その後実際に設立された「ブルガリア公国」とは明確に区別されています。--McYata(会話) 2021年9月3日 (金) 15:03 (UTC)
- 数多く見たわけではないですが(というか単純に数の話なら最初に挙げたGoogle Scholarのヒット数でも十分裏付けになると思うので)、とりあえず権威ある概説書での用例を2つ持ってきました。
- コメント ご指摘ありがとうございます。基本的なものも含め、書籍で充分調査するのを怠っておりました。申し訳ございません。下記の通り、どうなるにしろ内容に手を加えることになるので早いうちに改めてしっかり文献を集める予定ですが、とりあえず現段階で把握できている、改名議論に資すると思われる点をお答えします。
報告 遅くなりましたが改名しました。また内容も全面的に書き換えました。「大ブルガリア公国」の表記については注釈で解説を入れました。サン・ステファノ条約の領土案を指していることが明らかであるものを除き、「大ブルガリア公国」表記はリンク修正と同時にbot修正を依頼します。--McYata(会話) 2021年9月13日 (月) 15:27 (UTC)