ノート:瀧廉太郎
筑紫哲也 - 滝の妹の孫。
滝沢馬琴 - 滝の祖父。
...筑紫哲也、滝沢馬琴にも記述をお願いします。--Tokyo Watcher 2007年10月17日 (水) 10:55 (UTC)
- 滝の作品の大半、特に出版されている、いないに拘わらず、著作権適用期限が到来以降の作品(=Public Domein)では、滝に限らずに、実際の楽譜や、歌詞などを積極的公開することを積極的に求めたい。作者に対する基本的な理解が得られる基礎的な資料になることでしょう。この滝のページでは「死の4ヶ月前に作曲したピアノ曲「憾(うらみ)」が最後の作品として残された。」というピアノ曲を実際にアップロードされることを切に期待したい。
- この法律的な解釈ですが、Public domeinとはいいながら、最近楽譜が出版された場合、その出版物にも「著作権」はないが、「版権」は存在するため、そうした場合は、この復刊された楽譜からは転載ができないのでしょうか。(その楽譜からも無断で演奏・公開はできないということになるのでしょうか。)
- また、このページに限らず、「著作権登録番号」が振られ、正式な登録をされた著作物は、参考程度になるものを含み、一切引用はできないとする見解をもっている法律の専門家もあるようです。無益なトラブルを避けるために、こられ、著作権に関することについて、お分かりになる方は、ご教示頂ければ幸いです。--SopwithCamel 2008年9月14日 (日) 14:37 (UTC)一部脱落補う。--SopwithCamel 2008年9月14日 (日) 14:41 (UTC)
瀧廉太郎の音楽の版権について
[編集]知っている範囲でお答えします。瀧廉太郎の作品の殆どは東京の共益商社からオリジナルとして出版されました。同社は第二次世界大戦の戦災で版を焼失しており、遺族も出版社を閉じています。瀧廉太郎の没後100年近く経っており、著作権の問題もないはずです。よって、著作権および版権は問題ないと思われます。いわゆるパブリック・ドメインで良いと私は思います。ただ事典へのアップロードは広く世間に知れ渡る作業なので、無料の公開でも事前に遺族の了解をとるのが丁寧だと思います。「憾」は東京音楽学校の「音楽」誌の付録として発表されました。当時、この雑誌の発行権を持っていたのは東京音楽学校の学友会だと思います(現在の東京芸術大学音楽学部)。実際の印刷は先に書いた共益商社が行なっておりました。いずれも百年前の古い話で、誰かの利権に結びつくという発想はおかしいと思います。瀧廉太郎の作品の多くは児童用の教科書などに何回も形を変えて各社から印刷出版されており、もはや楽譜のオリジナリティは完全に喪失しています。そういう意味でパブリック・ドメインと考えるのが良識と思います。「憾」は、いささか珍しい部類に入りますので、図書館などでコピーを取る際に使用目的を書く場合もあります。その時に正直に目的を書いた場合どうなるか、は各館の司書の判断にゆだねられることでしょう。多くは保守的な反応だと考えられます。二次利用、三次コピーした出版社や図書館が版権や史料権を主張するなど馬鹿げていると思いますが、現実にはそういう主張がなされます。自分は許されても他の人には許さないという、あまりに虫のいい話なんですが・・。--いわしぐも 2009年3月7日 (土) 14:49 (UTC)