ノート:日本の古代東北経営
記事名「蝦夷征討」について_200912
[編集]「征討」であれ「征伐」であれ、国家の立場から反抗者を罰し、文明の立場からまつろわぬ野蛮人を罰するという意味のことばであることは共通です。「征伐」を「征討」と言い換えれば差別語ではなくなるというものではありません。いずれも根拠のない優越意識に基づいた表現であることに変わりはありません。いまのところ適当な代案の用意はありませんが、いずれなんらかのかたちで議論がなされる必要のある記事名であると考えます。--呆庵入道 2009年12月3日 (木) 13:53 (UTC)
- 同意します。時代毎の用語が出典付きで示されるのがベストでしょうか。古墳時代の説に出典がないのが気になりますね。--johncapistrano 2009年12月3日 (木) 14:25 (UTC)
- 結構この項目に関わっておりますが、基本的には賛成します。ただ、初版作成者が出典を教科書にしていたので気になって調べると、高校日本史の項目として使われているようですので、リダイレクトは残しておく必要があると思います。あと、古墳時代の出典ですが、私が書いた分は、「高橋崇 『蝦夷―古代東北人の歴史』 中央公論新社、中公新書、1986年、ISBN 4121008049」です。出典をrefで追加しておきました。真ん中の「この記述から、(中略)窺い知ることが出来る」部分は別の方が書いたのでわかりません。--ろう(Law soma) D C 2009年12月4日 (金) 09:58 (UTC)
- 吉弥候部って八世紀の話が古墳時代のところに書いてあるのはおかしいですね。--johncapistrano 2009年12月4日 (金) 13:50 (UTC)
- えーと、履歴をご覧頂ければお分かりのとおり、私は最初「伝説時代」と節名を振っていたのですね。吉弥候部云々についても直接伝説時代の出来事というよりは伝説時代の毛野氏の影響を示す後代の例として挙げただけでして。まあ、その辺は編集の必要があろうかとは思いますが。--ろう(Law soma) D C 2009年12月7日 (月) 05:39 (UTC)
- 吉弥候部って八世紀の話が古墳時代のところに書いてあるのはおかしいですね。--johncapistrano 2009年12月4日 (金) 13:50 (UTC)
- 結構この項目に関わっておりますが、基本的には賛成します。ただ、初版作成者が出典を教科書にしていたので気になって調べると、高校日本史の項目として使われているようですので、リダイレクトは残しておく必要があると思います。あと、古墳時代の出典ですが、私が書いた分は、「高橋崇 『蝦夷―古代東北人の歴史』 中央公論新社、中公新書、1986年、ISBN 4121008049」です。出典をrefで追加しておきました。真ん中の「この記述から、(中略)窺い知ることが出来る」部分は別の方が書いたのでわかりません。--ろう(Law soma) D C 2009年12月4日 (金) 09:58 (UTC)
ご賛同のご意見ありがとうございます。個人的には「侵略」と言い換えるのがいちばん正確だと思っておりますが、結論を急ぐつもりはありません。ゆるゆると議論してまいりましょう。なお、学校の教科書に使われている、というのは、結局のところ“文部科学省の立場の反映”でしかないので、教科書で使われているから中立的な表現だとは言えないと考えます。もちろん高校生の便宜のためにリダイレクトとして残すことには全面的に賛成です。--呆庵入道 2009年12月5日 (土) 13:03 (UTC)
- あなた個人の意見で改名しようとしないでください。「蝦夷侵略」にしたいのであればそれが通用されていることを示す相応の出典を提示してからにしてください。--彩華1226 2009年12月6日 (日) 16:00 (UTC)
- 「東北戦争」(戊辰戦争との混同を避け「古代東北戦争」とも)との用語があるようです。(鈴木拓也『蝦夷と東北戦争』吉川弘文館2008 ISBN 4642063135)--彩華1226 2009年12月6日 (日) 16:25 (UTC)
- 「侵略」となると使用している出典を示した上で、「征討」よりも人口に膾炙しているなどの状況が確認されないと改名は難しいと思います。また、「戦争」は(確認していませんのであくまで憶測ですが)いわゆる「三十八年戦争」を指しているのではないでしょうか?そもそも、この項目は初版作成者が教科書の年表を丸写しにしたかのような記述をして立ち上げたものでした。それじゃああんまりだということで全面改定したのが私です。ただ、項目として存続する価値があったかどうかは検討していません。場合によっては分割等も検討する必要があるかもしれません。--ろう(Law soma) D C 2009年12月7日 (月) 05:39 (UTC)
- 彩華1226さんは、私がわざわざ「個人的には」と断り「結論を急ぐつもりはありません」と述べたのが目に入っておられないようです。逆恨みで目のくらんだ人はおそろしい。私の意見だけですぐに記事名を改名するつもりなら、とうに本件記事の先頭に「改名提案」のタグを貼り付けております。もう少し冷静におなりなさい。みっともない。
- ろうさんのご指摘のとおり、ヤマトタケルの「東征」から鎌倉時代末期の安藤氏の内訌まで視野に入れて、ひとつの記事ですべて記述してしまおうするのはいさかか無理があるかもしれませんね。その点も含めてゆっくり議論していけばよいのだと思います。--呆庵入道 2009年12月9日 (水) 12:26 (UTC)
- ろうさんの卓見に感謝いたします。古代の中央政権による東北への動きについて「蝦夷征伐」「蝦夷征討」などという言葉を無批判に使用することはさすがに近年の研究ではあまり見られません。かといって「蝦夷侵略」を使っているかというと疑問です。「征夷」あるいは「征夷事業」といった言葉が使用されていることが多いように感じます。包括的な記事名として「日本における征夷事業」、「日本古代の征夷事業」(平安期までを包括する記事として)という形も考えられると思います。--彩華1226 2009年12月9日 (水) 19:29 (UTC)
- 記事名はじっくり構えましょうよ。扱う範囲についてはいろいろ考えられますが、少なくとも東北大学系の研究者(入間田宣夫、遠藤巌、熊田亮介など)は征夷を中世にまで押し広げた研究をしています。綿麻呂以降については本文では年表でしか触れておりませんが、分割しないのであれば記事の射程は元慶の乱、天慶の乱、前九年の役、延久蝦夷合戦、後三年の役、奥州合戦、蝦夷大乱までを含むものでしょう。--ろう(Law soma) D C 2009年12月10日 (木) 07:16 (UTC)
- ただ、「征夷」という言葉も「蝦夷征討」を略したものと解釈できるので、「蝦夷征伐」「蝦夷征討」で問題があって、「征夷」が大丈夫というのはちょっと無理があるのでは?((追伸)記事移動をさせてしまったため、ろうさんの発言の内部リンクの部分を修正させていただきました。)--水野白楓 2011年2月5日 (土) 13:10 (UTC)
- ちゃんと統計取っていないので独自研究というか憶測に過ぎないのですが、近年の研究では「蝦夷征伐」「蝦夷征討」よりも「征夷」が使われているように思います。問題があるっていうか、「征夷」なら征伐なのか征服なのか遠征なのか分からないところがよいのではないでしょうか?--ろう(Law soma) D C 2011年2月7日 (月) 09:18 (UTC)
- 蝦夷征討でも蝦夷侵略でも、どちらも実態とかけ離れているのではと思います。かつては中央史観であったように、現在は中央史観が反転しただけの言説もありますから。百科事典としては「日本の古代東北政策」や「古代日本の東北政策」あたりが無難ではないでしょうか。古代東北史を研究されておられる歴史学者や考古学者の書籍を読む限り征夷だけを繰り返していた時代だけではないので、個人的には侵略という言葉で古代東北史をひとつにまとめることは無理があるのではと考えます。--メメメ(会話) 2021年5月26日 (水) 13:22 (UTC)
改名提案:「日本の古代東北経営」
[編集]蝦夷征討の記事を日本の古代東北経営へ改名することを提案します。
「侵略」への改名についてですが「征伐」「征討」と同様に中立的な観点とは言えないと考えます。樋口知志氏は『阿弖流為 夷俘と号すること莫かるべし』のはしがきで「ただしそうした阿弖流為復権の運動においては、あたかもかつての中央中心の征夷史観をそのまま裏返したかのように、国家の侵略性と蝦夷社会の自立性・主体性にもとづく「正義」とがやや一面的に強調されすぎているきらいがあった。」と書かれています。他の学者からも同様の趣旨の発言がみられるように、現在の古代東北史が抱える問題のひとつとして阿弖流為復権運動によって歴史的事実から離れすぎた被侵略史観が一般的には通説的見解とされてきたことが挙げられています。侵略という表現が征夷史観に対するアンチテーゼとして強調されてきたことが否めない以上は避けるべきと考えます。 次に「日本における征夷事業」「日本古代の征夷事業」についてですが、記事では東北経営に進出したヤマト政権(後身の古代日本の律令国家含む)国家社会が蝦夷社会に対して行った懐柔政策・移民政策・征夷政策・移配政策・民夷融和政策など対蝦夷政策全般を扱っています。そのうち征夷政策だけを切り取ってページ名とするのは包括的な記事名とは言えません。 最後に「東北戦争」「古代東北戦争」についてですが、書籍や論文などでみられる表現ではあるものの、古代東北史は失政・反乱・鎮圧を繰り返しながら、時に戦争状態、時に平和共存となった時代のため、日本古代史における東北経営全体を「東北戦争」としてひとまとめにするのは整合性がなく正確ではないと考えます。
以上のことから「征夷」「征伐」「征討」「侵略」や「蝦夷」を用いず、日本古代史における蝦夷社会と東北経営に乗り出した国家社会の間の出来事という記事の本質に整合性を持たせた「日本の古代東北経営」への改名を提案します。 古代東北経営をめぐる歴史であることを重視しましたが、「日本の古代東北政策」「日本の古代東北史」も検討対象であるかと思います。--メメメ(会話) 2021年8月13日 (金) 18:14 (UTC)