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ハイメ・デ・ボルボン (マドリード公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハイメ
Jaime
マドリード公ハイメ
渾名
生誕 (1870-06-27) 1870年6月27日
スイスの旗 スイスヴォー州ヴヴェイ
死没 (1931-10-02) 1931年10月2日(61歳没)
フランスの旗 フランス共和国パリ
所属組織 ロシア帝国陸軍
軍歴 1896年 - 1909年
最終階級 大佐
墓所 イタリア王国の旗 イタリア王国ヴィアレッジョ、ヴィラ・デイ・ボルボーネ礼拝堂
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ハイメ・デ・ボルボン・イ・ボルボン=パルマスペイン語: Jaime de Borbón y Borbón-Parma, 1870年6月27日 - 1931年10月2日)は、ボルボン家の人物。カルリスタの王位請求者としてスペイン王ハイメ3世スペイン語: Jaime III)、レジティミストフランス王としてジャック1世フランス語: Jacques Ier)を称した。フランスではアンジュー公ジャック・ド・ブルボンフランス語: Jacques de Bourbon)の名で知られていた。「赤い王位請求者」として知られた左派志向の人物で、カルリスタより保守的と言われたアルフォンソ13世と対比された。

生涯

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マドリード公カルロス・マリアとその妻マルガリータの間の一人息子としてヴヴェイで生まれた。名付け親は大伯母のマリー・テレーズ・ド・モデーヌとその夫のシャンボール伯アンリ・ダルトワで、ラ・トゥール=ド=ペ英語版で洗礼を受けた。パリイエズス会派コレージュ・ド・ヴォージラールで教育を受け、イギリスのイエズス会派パブリックスクールであるボーモント・カレッジ英語版で学んだ。その後、ヴィーナー・ノイシュタットテレジアニシュケ軍事アカデミー英語版へ入学した。

1896年ロシア帝国軍に入隊し、グロドノユサール陸軍中佐となった。1900年から1901年にかけて、義和団の乱制圧のため天津に派遣された。1904年から1905年には日露戦争に従軍し、遼陽会戦で戦った。

1909年、父カルロスの死により王位請求者となった(「ハイメ」の名の王は、スペイン王国の前身の一つであるアラゴン王国に2人いたため、3世とした)。公式にはマドリード公フランス語版を、フランスではアンジュー公を称した。

父の死に伴ってロシア軍を退役後、ハイメは大伯母のマリー・テレーズを通じて継承したフロースドルフ城英語版やパリのアパルトマンで暮らした。幾度か秘密裡にスペインへ入国している[1]イタリアヴィアレッジョ近郊に母から相続した別荘も所有していた[2]

1931年スペイン王アルフォンソ13世は第二共和政の成立によって国外追放された。これを受けてハイメは声明を発表し、全ての王党派を正統な王位継承者のもとへ再集結させるとした[3]。同年9月23日、ハイメはパリの自宅で公にアルフォンソの訪問を受けた[4]。2日後、アルフォンソ13世と王妃ビクトリア・エウヘニアは逗留していたアヴォン英語版のサヴォイ=オテルにハイメを招いた[5]。ハイメはアルフォンソに、フランス王国の勲章である聖霊騎士団英語版の勲章を贈った。これらの対談は、スペイン王位請求者たちの間の和解として取り上げられた。

アルフォンソとの会談から1週間後、狭心症のためパリで死去した。嫡子のないハイメの後継者となったのは、叔父のサン・ハイメ公アルフォンソ・カルロスだった。ハイメの葬儀はパリのサン=フィリップ=デュ=ルール教会フランス語版でアルフォンソ13世出席のもと行われ、遺体はヴィアレッジョのヴィラ・デイ・ボルボーネ礼拝堂に埋葬された。

脚注

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  1. ^ "The Death of the Duke of Madrid", The Times (October 5, 1931): 14.
  2. ^ "Contradicts Reports of Zita's Poverty. The New York Times (June 15, 1922): 6.
  3. ^ "Legitimist Manifesto", The Times (April 24, 1931): .14
  4. ^ "King Alfonso and the Duke of Madrid", The Times (September 25, 1931): 12.
  5. ^ "The Duke of Madrid at Fontainebleau", The Times (September 26, 1931): 9.
先代
カルロス7世
スペイン王位請求者
(カルリスタ)
1909年 - 1931年
次代
アルフォンソ・カルロス1世
先代
シャルル11世
フランス王位請求者
(正統派)
1909年 - 1931年
次代
シャルル12世