コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ハリファックス伯爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハリファクス伯爵から転送)
ハリファックス伯爵
(第4期)

紋章記述

Arms:Quarterly: 1st and 4th, Azure three Naked Savages ambulant in fess proper in the dexter hand of each a Shield Argent charged with a Cross Gules and in the sinister a Club resting on the shoulder also proper on a Canton Ermine three Lozenges conjoined in fess Sable (Wood); 2nd and 3rd, Paly bendy Or and Azure a Canton Ermine (Buck) Crest:A Savage as in the arms the shield charged with a Griffin's Head erased Argent Supporters: On either side a Griffin Sable gorged with a Collar and pendant therefrom a Portcullis Or
創設時期1944年7月11日
創設者ジョージ6世
貴族連合王国貴族
初代3代子爵エドワード・ウッド
現所有者3代伯ピーター・ウッド英語版
相続人アーウィン男爵ジェイムズ・ウッド
付随称号ハリファックス子爵
アーウィン男爵
(バーンズリーの)準男爵
現況存続
モットーI Like My Choice

ハリファックス伯爵(ハリファックスはくしゃく、英語: Earl of Halifax)は、イギリス伯爵位。

過去に4度創設されており、現存するハリファックス伯爵位は1944年に第3代ハリファックス子爵エドワード・ウッド連合王国貴族として叙されたことに始まる。

歴史

[編集]

サヴィル家・モンタギュー家への叙爵

[編集]

初代ハリファックス子爵ジョージ・サヴィル(1633-1695)1679年イングランド貴族として叙されたのが最初の創設である。彼はさらに1682年にハリファックス侯爵に叙されたが、唯一の男子ウィリアム・サヴィル英語版(1665-1700)に男子がなかったため、二代で絶えた[1][2]

つづいてホイッグ党幹部(ジャントー)の一人であるチャールズ・モンタギュー(1661-1715)1700年12月13日イングランド貴族「ハリファックス男爵」、1714年10月19日にイングランド貴族「ハリファックス伯爵」に叙された[3][4]

彼には男子がなかったため、ハリファックス伯爵位は一代で消滅したが、ハリファックス男爵位の方は甥への特別継承権が認められていたため、甥のジョージ(1685-1739)に継承された[4]。ジョージは1715年6月14日グレートブリテン貴族「ハリファックス伯爵」を新規に与えられている[5]。しかしその子であるジョージ・モンタギュー=ダンク(1716-1771)が男子を残せなかったため二代で廃絶した[6]

ウッド家

[編集]

ウッド家の人間で最初に称号を与えられたのは、フランシス・ウッド(1728-1795)である。彼は1784年1月22日にグレートブリテン準男爵「カウンティ・オブ・ヨークにおけるバーンズリーのウッド準男爵(Baronet Wood, of Barnsley, in the County of York)」に叙された。彼には子供がなかったが、この準男爵位は兄弟への特別継承権を認めていたため[7]、彼の死後、甥のフランシス・リンドリー・ウッド(1771-1846)に継承された[8]

その子である第3代準男爵サー・チャールズ・ウッド(1800-1885)はホイッグ党政権下で閣僚職を歴任し、1866年2月21日連合王国貴族カウンティ・オブ・ヨークシャーのウェスト・リディングにおけるモンク・ブレトンのハリファックス子爵(Viscount Halifax of Monk Bretton, in the West Riding of the County of Yorkshire)」に叙された[9]

その孫エドワード・フレデリック・リンドリー・ウッド(1881-1959)も襲爵前に保守党政権で大臣職を務め、1925年12月22日に連合王国貴族「カウンティ・オブ・ヨークにおけるカービー・アンダーデールのアーウィン男爵(Baron Irwin, of Kirby Underdale, in the County of York)」に叙された。その後1926年から1931年までインド総督を務め、1934年に父から第3代ハリファックス子爵位を継承。1938年から1940年にかけては外務大臣を務め、1944年7月11日に連合王国貴族「ハリファックス伯爵」に叙せられた[10]

以来その直系の男系男子によってハリファックス伯爵位は継承されている。2015年現在の当主はその孫にあたる第3代ハリファックス伯爵チャールズ・エドワード・ピーター・ネイル・ウッド英語版(1944–)である。

一覧

[編集]

ハリファックス伯 第1期 (1676年)

[編集]

ハリファックス男爵 (1701年)

[編集]

ハリファックス伯 第2期 (1714年)

[編集]

ハリファックス男爵 (1701年)

[編集]

ハリファックス伯 第3期(1715年)

[編集]

バーンズリーのウッド準男爵 (1784年)

[編集]
  • 初代準男爵サー・フランシス・ウッド(1728-1795)
  • 第2代準男爵サー・フランシス・リンドリー・ウッド(1771-1846)
  • 第3代準男爵チャールズ・ウッド(1800-1885) ※1866年にハリファックス子爵

ハリファックス子爵 (1866年)

[編集]

ハリファックス伯 第4期(1944年)

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ Lundy, Darryl. “George Saville, 1st Marquess of Halifax” (英語). thepeerage.com. 2015年3月7日閲覧。
  2. ^ Lee, Sidney, ed. (1897). "Savile, George (1633-1695)" . Dictionary of National Biography (英語). Vol. 50. London: Smith, Elder & Co.
  3. ^ 今井(1990) p.275
  4. ^ a b Lundy, Darryl. “Charles Montagu, 1st and last Earl of Halifax” (英語). thepeerage.com. 2015年3月7日閲覧。
  5. ^ Lundy, Darryl. “George Montague, 1st Earl of Halifax” (英語). thepeerage.com. 2015年3月7日閲覧。
  6. ^ Lundy, Darryl. “George Montague-Dunk, 2nd Earl of Halifax” (英語). thepeerage.com. 2015年3月7日閲覧。
  7. ^ Lundy, Darryl. “Sir Francis Wood, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2015年3月7日閲覧。
  8. ^ Lundy, Darryl. “Sir Francis Lindley Wood, 2nd Bt.” (英語). thepeerage.com. 2015年3月7日閲覧。
  9. ^ Lundy, Darryl. “Charles Wood, 1st Viscount Halifx of Monk Bretton” (英語). thepeerage.com. 2015年3月7日閲覧。
  10. ^ Lundy, Darryl. “Edward Frederick Lindley Wood, 1st Earl of Halifax” (英語). thepeerage.com. 2015年3月7日閲覧。

参考文献

[編集]