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竹内靖夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バンブー竹内から転送)

竹内 靖夫(たけうち やすお、1955年昭和30年〉2月25日[1] - )は、日本のフリーアナウンサー、元・文化放送アナウンサー。2015年の定年退職以降も嘱託として5年間文化放送に籍を置いていた。

新潟県上越市出身。神奈川県横浜市在住。血液型A型

愛称・通称はバンブー竹内で、マイクネームとすることもある。

来歴・人物

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東洋大学社会学部卒業[1]心理学者を目指していたこともあったが、大学での専門科目が単位不足となって叶わず、定期的に収入があって尚且つ芸能人と仲良くなれそうな職業として、アナウンサーを目指すようになった[1]。大学卒業後、1978年(昭和53年)に文化放送へ入社[1]。同期入社のアナウンサーに扇一平(2015年7月定年退職)がいる。

文化放送が放送し、同じくフジサンケイグループフジテレビが後援する「新宿音楽祭」の司会を、フリーに転身した先輩アナウンサーの梶原しげるから引き継いだ。文化放送時代の梶原と同様に、ラジオ局アナでありながらテレビ番組への出演も多く、同じく梶原から引き継いだ「全国高等学校クイズ選手権」(日本テレビ)のナレーションや、「花王ファミリースペシャル」(関西テレビ)のナレーションなども担当していた。

バンブー竹内を名乗る前の1980年代初頭には「ライト竹内」を名乗っていたこともあった。この愛称の名付け親は三遊亭楽太郎(後の六代目三遊亭円楽)であり、「軽い」性格だったことが由来[1]

伊東ゆかりの大ファンで、番組内で伊東のことを「ボクの伊東ゆかりさん」と表現する。仲間由紀恵のファンであることも告白している。

「日本を代表するアヴェレージゴルファー」を自ら名乗るほどのゴルフ好きで、2007年(平成19年)には人生初のホールインワンを達成した。その際、達成のお祝い品として、群馬県みなかみ町のたくみの里の関係者から、りんごの木をプレゼントされ、その年に実ったリンゴは、リスナープレゼントとして贈られた。

文化放送のアナウンサーとして「最も番組の最終回を多く迎えた男」や「尻拭いの竹ちゃん」と言われている。

2015年3月、文化放送を定年退職。正社員定年後も引き続き嘱託として文化放送に残り、文化放送アナウンサーの肩書で、毎週土・日曜の文化放送ニュースや、祝日の特別番組を担当してきたが、65歳を迎えた2020年3月を以て嘱託からも離れた[2]。なお、後輩の野村邦丸寺島尚正が定年退職後に契約しているセントラルミュージック[3](関連会社)には、嘱託期間満了後も加わっていない。

担当番組

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  • オセアン大洋建設 presents 林文子のトーク・パティオ(文化放送、2022年4月2日 - )※『横浜流儀』の実質後継番組)
  • ライバーハウス presents 真夜中無人島 → 明日笑顔にな〜れ(FMヨコハマ、2022年4月6日 - )※「バンブー竹内」名義、タレントの清水国明と一緒にパーソナリティを担当。2023年5月3日に番組タイトルを変更。
  • 真代&バンブー青春☆落書き帳(Tokyo Star Radio、2022年10月1日 - )※「バンブー竹内」名義、庄野真代と共演。

過去の担当番組

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ラジオ

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テレビ

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映画

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、223頁。
  2. ^ 「スナック加奈」2020年3月4日更新分より、水谷加奈談。
  3. ^ 「パジャマでバンブー」「バンブー竹内のヒットナウ」「バンブー竹内(→バンブー・ささみぃ)のレディオX」の提供スポンサーだった。
  4. ^ 2014年8月から嘱託期間満了までは土曜日・日曜日の日中を担当した。
  5. ^ 機動警察パトレイバー2 the Movie : 作品情報”. 映画.com. 2021年5月23日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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