パンチャーヤト制
表示
(パンチャヤート制から転送)
パンチャーヤト制(パンチャーヤトせい、英: Panchayati Raj)は、インド、バングラデシュ、パキスタン、ネパール等南アジアの政治制度。「パンチャーヤット」「パンチャヤット」「ポンチャイト」とも。「パンチャーヤト」とは本来、5人(パンチ)の賢い尊敬されている年長者の会議(ヤト)が村落共同体から選ばれ、その決定に従うという意味である。伝統的に、これらの会議は個人同士や、村同士の争いを治めて来た。長老会議制。
インド
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
インド憲法第9編に規定がある。
バングラデシュ
[編集]バングラデシュでは「ポンチャイト(パンチャヤット )」[1]。
この節の加筆が望まれています。 |
パキスタン
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
ネパール
[編集]本来はインドの政治制度であったが、ネパールのマヘンドラ国王は1960年内閣と国会を停止し、1962年12月、憲法で独自の「パンチャーヤト制」を導入し、複雑な間接民主制により、自らに政治権力を集中した。以後、28年間続き、ネパールの民主化の足かせとなった。1990年民主化運動(ジャナ・アンドラン)の高まりのなかでこの制度が廃止され、国会が再開される。
1962年憲法に定められたネパールのパンチャーヤト制度は次のようなものであった。
- 一切の政党活動は禁止。
- 市・村など基礎自治体のパンチャーヤト議会のみ直接選挙で選ばれる。
- 市・村の議会メンバーが郡パンチャーヤト議会議員を選ぶ。
- 郡パンチャーヤト議会議員が国家パンチャーヤト議員を選ぶ。
- 国家パンチャーヤト議会にはこのほか国王任命議員、階級別議員が選ばれた。
- 首相、閣僚、知事を任命する権限はパンチャーヤトにはなく、国王が任命した。
なお、1980年にはパンチャーヤト制を存廃を決める国民投票が行われたが、このときは僅差で存続が決まっている。このとき、憲法が改正され、国家パンチャーヤトの直接選挙が決まったが、政党の自由は認められなかった。
1990年の民主化運動(ジャナ・アンドラン)は複数政党制の復活とともに、パンチャーヤト制の廃止を求めて闘われ、多くの犠牲の上に両要求は勝ち取られた。
注釈
[編集]- ^ 大迫・石井,2013。
参考文献
[編集]- 大迫正弘・石井明「ダッカ市における住民参加型廃棄物管理の歴史と JICA 廃棄物管理能力強化プロジェクト ― 文献レビュー ―」(Proceedings of the 23rd Annual Conference of Japan Society of Material Cycles and Waste Management 2012,vol.23,2013/08)(2019.11.07閲覧)
外部リンク
[編集]- 大迫正弘, 石井明男, 「ダッカ市における住民参加型廃棄物管理の歴史とJICA廃棄物管理能力強化プロジェクト ― 文献レビュー ―」『廃棄物資源循環学会研究発表会講演集』 2012年 23巻 第23回廃棄物資源循環学会研究発表会, セッションID:A11-4, p. 159-, doi:10.14912/jsmcwm.23.0_159