ヴィクトル・ゴンチャレンコ
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クラスノダール監督時代(2021年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ヴィクタル・ミハイラヴィチ・ハンチャレンカ Viktar Mihailavich Hancharenka | |||||
ラテン文字 | Viktar Hancharenka | |||||
ベラルーシ語 | Віктар Міхайлавіч Ганчарэнка | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ベラルーシ | |||||
生年月日 | 1977年6月10日(47歳) | |||||
出身地 | ホイニキ (en) | |||||
身長 | 167cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (RB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
ホイニキ・スポーツスクール | ||||||
RCORミンスク (be) | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1995 | ストレリチェヴォ | 5 | (1) | |||
1995 | MPKC-2 | 9 | (0) | |||
1996 | MPKC-96 | 17 | (2) | |||
1997 | RCORミンスク | 49 | (3) | |||
1998-2002 | BATEボリソフ | 82 | (1) | |||
2000 | → オリンピア・ミンスク (be) (loan) | 2 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
1995 | ベラルーシ U-18 | 1 | (0) | |||
1998-1999 | ベラルーシ U-21 | 9 | (1) | |||
監督歴 | ||||||
2004-2006 | BATEボリソフ(リザーブ) | |||||
2007 | BATEボリソフ(アシスタント) | |||||
2007-2013 | BATEボリソフ | |||||
2013-2014 | クバン・クラスノダール | |||||
2015 | ウラル・スヴェルドロフスク・オブラスト | |||||
2015-2016 | CSKAモスクワ(アシスタント) | |||||
2016 | ウファ | |||||
2016-2021 | CSKAモスクワ | |||||
2021-2022 | クラスノダール | |||||
2022-2024 | ウラル・エカテリンブルク | |||||
2024- | パリ・ニジニ・ノヴゴロド | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2021年5月4日現在。 2. 2016年10月8日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ヴィクタル・ミハイラヴィチ・ハンチャレンカ(ベラルーシ語: Ганчаренко Виктор Михайлович Ганчарэнка, ラテン文字転写: Viktar Mihailavich Hancharenka, 1977年6月10日 - )は、ソビエト連邦(現ベラルーシ)・ホメリ州ホイニキ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF(右サイドバック)。UEFAチャンピオンズリーグ史上最年少監督記録を保持している。
ロシア語ではヴィクトル・ミハイロヴィチ・ゴンチャレンコ (Виктор Михайлович Гончаренко) となる。
選手歴
[編集]1977年、ホメリ州ホイニキの中流家庭にミハイル・ハンチャレンカの息子として生まれた。エンジニアであった父は1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故の後1993年に亡くなっており、9歳でサッカースクールに入り、プロ選手を志す。父の死後、1995年にミンスクのオリンピック選手養成施設に入り、ヴィタリー・クツゾフやユーリ・ゼフノフ、アレクサンドル・フレブといった選手と交友を深めた。1998年、FC BATEボリソフに入団してベラルーシ・プレミアリーグで主にディフェンダーとしてプレーし、1998、2000年には2位に、2001年には3位という成績を残したチームの一員として貢献した。しかし、怪我のため2002年に25歳の若さで引退し、指導者の道を目指した。
指導歴
[編集]2004年から2007年までBATEボリソフでアシスタントコーチを務めた後、2007年にBATEボリソフの監督に就任。以降、2008、2009、2010、2011シーズンにプレミアリーグを制し4連覇を達成、2008年にはベラルーシのクラブとして初めてUEFAチャンピオンズリーグの予選を突破し、本戦で指揮を執った。2008年9月17日、グループリーグのレアル・マドリード戦において、チャンピオンズリーグ史上最年少の31歳で指揮を執っている[1]。また、2011年にはクラブを再びチャンピオンズリーグ本戦出場へと導いている。
2013年10月、ロシアのFCクバン・クラスノダールと2017年5月までの契約を結んだと発表された[2]。
2014年11月、双方の合意でクバン監督を退任。2015-16シーズンはFCウラル・スヴェルドロフスク・オブラスト監督を短期間務めた。
2016年6月6日、FCウファの監督に就任。12月12日には、レオニード・スルツキー監督の辞任を受けPFC CSKAモスクワの指揮を執ることが発表された[3]。2020-21シーズンはリーグ中位に沈む中で、2021年3月22日に解任された。
翌月6日にFCクラスノダールの指揮官として2022-23シーズンまでの契約を締結した[4]。
監督成績
[編集]- 2024年11月30日現在
クラブ | 就任 | 退任 | 記録 | ||||||
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試 | 勝 | 分 | 負 | 勝率 % | |||||
BATEボリソフ | 2007年11月13日 | 2013年10月12日 | 275 | 160 | 65 | 50 | 58.18 | ||
クバン・クラスノダール | 2013年10月13日 | 2014年11月13日 | 38 | 16 | 12 | 10 | 42.11 | ||
ウラル・スヴェルドロフスク・オブラスト | 2015年6月14日 | 2015年9月1日 | 7 | 1 | 3 | 3 | 14.29 | ||
ウファ | 2016年6月6日 | 2016年12月12日 | 19 | 9 | 4 | 6 | 47.37 | ||
CSKAモスクワ | 2016年12月12日 | 2021年3月22日 | 183 | 92 | 40 | 51 | 50.27 | ||
FCクラスノダール | 2021年4月6日 | 2022年1月5日 | 26 | 11 | 6 | 9 | 42.31 | ||
ウラル | 2022年8月15日 | 2024年5月30日 | 78 | 29 | 17 | 32 | 37.18 | ||
パリ・ニジニ・ノヴゴロド | 2024年10月9日 | 7 | 2 | 2 | 3 | 28.57 | |||
通算 | 635 | 323 | 148 | 164 | 50.87 |
タイトル
[編集]- 選手時代
- BATEボリソフ
- ベラルーシ・プレミアリーグ : 1999, 2002
- 指導者時代
- BATEボリソフ
- ベラルーシ・プレミアリーグ : 2008, 2009, 2010, 2011, 2012
- ベラルーシ・カップ : 2009-10
- ベラルーシ・スーパーカップ : 2010, 2011, 2013
脚注
[編集]- ^ Champions League 2008/09, Group H ESPN Soccernet、2012年5月24日閲覧。
- ^ “クバニが監督交代、後任はゴンチャレンコ氏”. UEFA.com (2013年10月13日). 2013年10月14日閲覧。
- ^ “指揮官スルツキが辞任のCSKAモスクワ…後任にベラルーシの知将ゴンチャレンコ”. Goal.com (2016年12月13日). 2021年5月4日閲覧。
- ^ “Бывший главный тренер ЦСКА Виктор Гончаренко возглавил "Краснодар"”. ТАСС (2021年4月6日). 2021年5月4日閲覧。
外部リンク
[編集]- ヴィクトル・ゴンチャレンコ - Soccerway.com
- ヴィクトル・ゴンチャレンコ - FootballDatabase.eu
- ヴィクトル・ゴンチャレンコ - WorldFootball.net
- ヴィクトル・ゴンチャレンコ - Transfermarkt.comによる選手データ
- ヴィクトル・ゴンチャレンコ - Transfermarkt.comによる指導者データ
- BATEボリソフ公式サイトによる紹介