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ビルダーバーグ会議

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オランダのビルダーバーグホテル。1954年に最初の会議が開かれ、その名の由来となった。

ビルダーバーグ会議(ビルダーバーグかいぎ、英語:Bilderberg Meetings, Bilderberg conference, Bilderberg Group, Bilderberg Club)は、1954年から毎年1回、世界的影響力を持つ人物や企業、機関の代表が130-150人ほど集まり、世界の重要問題や今後の主に政治経済や社会等を主なテーマに完全非公開で討議する秘密会議[1]。会議は、チャタムハウスルールの下に行われる。ビルダーバーグ・クラブビルダーバーグ・グループビルダーバーグ・ソサエティとも呼ばれる。参加者があまりにも世界的影響力のある有力者や著名人ばかりなので、「影の世界政府」「世界の行く末を決める会議」とも言われている。

概要

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世界的影響力を持つ人物や企業、機関が多い北米とヨーロッパ諸国を中心に、政治家や官僚、多国籍企業・金融機関、財団の代表やヨーロッパの王族、貴族など130-150人が出席し[2]、北米や欧州の各地で開催され、政治経済や環境問題等の多分野に渡る問題について討議する完全非公開の会議が年に一回開催される。会議は厳重な警備の下、開催地の高級ホテルを借り切って行われる。出席者リスト、議題はある程度ウェブサイトで公表され、ジャーナリストコラムニスト等も招待されるが、会議での討議内容自体は非公開であり記事になることはない[3]。事務局はオランダのライデン。 現在の議長は、アクサCEOアンリ・ドゥ・キャストール英語版 (2012年~)。外交問題評議会王立国際問題研究所と並び、世界を牛耳るための組織などといった陰謀論批判の対象となることも多い。

1991年以降は、時期として5月下旬から6月上旬の期間に会議が開催されることが多くなっている。

歴史

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ポーランドの政治活動家のジョセフ・レティンガー英語版(Joseph Retinger)[注釈 1] は、大西洋共同体の成立を構想し様々な活動をして来たが、当時アメリカでは、反共主義的な社会政治状況が極端に強まり、ジョセフ・マッカーシーに代表される極右翼勢力がマッカーシズム等の狂信的な反共主義でファシスト国家に変化しつつあると、まだ第二次大戦ファシズムの記憶が強いヨーロッパで反感が強くなり反アメリカ主義傾向が広がり始めていた。また共産圏では人権民主主義への侵害や蹂躙が横行しそれらが明らかになりつつあった。こうした状況からヨーロッパの指導者たちはアメリカや共産圏に対し冷ややかなうえ、戦地になった国土の復興や様々な思惑や都合等で各国の足並みが揃わず、構想にはアメリカ、ヨーロッパ両方の存在が不可欠にもかかわらず、こうした状況では実現には程遠い状況だった。こうした状況の懸念や重要問題にはヨーロッパと北米が協調して行動するべきとの考えから、NATOや大西洋地域の有力者等で、様々な事を発言の結果を気にせず討議出来る定期的の国際的な秘密会議の創設をユニリーバの初代会長のポール・ライケンス英語版(Paul Rykens)らと共に、オランダのベルンハルト王配[注釈 2] に提案した。提案と説明を受けたベルンハルト王配は、ヨーロッパ側ではベルギーの元首相のパウル・ファン・ゼーラント(Paul Van Zeeland)、フランス首相のアントワーヌ・ピネー、後にイギリスの財務大臣を務め、会議創設後は約30年間運営委員会のメンバーになる労働党のデニス・ヒーリー(Denis Winston Healey)等に働きかけた。北米側では、ハリー・S・トルーマン大統領やデイヴィッド・ロックフェラー等に会議創設に参加するよう要請した。要請を受けたトルーマン大統領は、CIA長官のウォルター・ベデル・スミス(Walter Bedell Smith)、後に国務長官に就任するジョン・フォスター・ダレス、次に大統領になるアイゼンハワーのアドバイザーを務めていたチャールズ・ダグラス・ジャクソン英語版(Charles Douglas Jackson)、らに会議創設のサポートを指示した。また、ロスチャイルド家アメリカロックフェラー家スウェーデンヴァレンベリ家等の経済界の有力者の参加とサポートを取り付け、ベルンハルト王配の主導によって創設された。創設に際してアメリカ側では、ジャクソン、ロックフェラー、ジャック・ハインツフォード財団等が主導した。

第1回会議は1954年5月29日から31日にかけて、オランダヘルダーラント州レンクムオーステルベーク英語版(Oosterbeek)[注釈 3] にあるビルダーバーグホテル(the Hotel de Bilderberg)[注釈 4] で開かれた[注釈 5]。第1回会議は、3日間の予定で毎日1回3時間の会議を2回計6回開くスケジュールが予定され、会議内の公用語は英語とフランス語が指定された。この第1回会議では、会場になったビルダーバーグホテルが貸し切りにされただけでなく、周辺の他の2つのホテル、en(Fletcher Hotel-Restaurant Wolfheze)とHotel 's Koonings Jaghtも指定された。参加者は、宿泊のホテル代、食事、オランダ到着地点から指定ホテルまでと、会場ホテル以外を指定された参加者は宿泊ホテルと会場のビルダーバーグホテルまでの車での移動が提供された。その他、案内状に記載された以外の追加料金はそれぞれ参加者に請求された。朝食は滞在しているホテルで提供され、ランチとディナーは会場のビルダーバーグホテルで提供された。参加者は最終的にヨーロッパ11ヶ国から、ベルンハルト王配、レティンガーら50名、アメリカからは、ジャクソン、ロックフェラー、ハインツら11名が参加した。フォード財団からはこの第1回会議に3万ドルが資金提供された。同財団はその後も何回か会議に資金を提供した。

EUユーロはこの会議で決められた後、各国に働きかけ創設されたと言われる。また、オイルショックも1973年のこの会議で計画されたと言われる。 冷戦中に、欧州の北大西洋条約機構(NATO)加盟国と米国の橋渡しを目指したとされる[4]

2022年にワシントンD.Cで行われた会議

1970年代頃からその存在を一般に知られるようになった。

ビルダーバーグ会議の歴代議長

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ビルダーバーグ会議の参加者

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出席者のおよそ2/3が多国籍企業ないし多国籍金融機関の経営者、国際メディア、およそ1/3が各国の政治家と言われている。毎年、アメリカから30人、欧州各国から80人、国際機関(国連や国際通貨基金)などから10人とも言われている。また、著名な大企業であっても自薦では参加者を送ることが出来ないと言われている。CIAやNSAの長官、アメリカ軍統合参謀本部議長等が参加している。

ビルダーバーグ会議は、世界的影響力を持つ人物や企業、機関のエキスパートによる会議であり、そうした人物の少ない非欧米諸国からの出席者は少ない[注釈 6]。当初は、ヨーロッパと北米間の対話促進を会議の目的として開催されたが、グローバル化等を推し進めて行くに従い、多様な国やメンバーを招待するようになっていた[1]。欧米以外の地域からの参加者は、イランイラクニュージーランドイスラエルパキスタンベネズエラ等の国籍が確認されている。2011年のスイス・サンモリッツでの会議には中国から当時の外務次官傅瑩が参加した。また、2009年にアテネで開かれた会議には、ロシアウラジーミル・プーチン大統領が参加した。

有力なIT企業関係者としては、Google会長のエリックシュミットや、ピーターティールらが毎年出席している。また学術関係では、オックスフォード大学の哲学者ニックボストロムや、アムステルダム大学の理論物理学者ロベルト・ダイクラーフの参加が確認されたこともある。

日本人や日本関係の招待は、天皇皇族、政財界及び企業を含め、今まで一度も招待も確認もされていない。2009年にアテネで開かれた会議に、当時国際エネルギー機関事務局長を務めていた田中伸男が参加しているが、同機関の代表、エネルギー関係の参考人としての出席であり、日本の関係者や日本人としての参加ではない。

王族

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オランダ

イギリス

ベルギー

スペイン

スウェーデン

デンマーク

ノルウェー

リヒテンシュタイン

ルクセンブルク

バチカン

関係者の出席が確認された企業、メディア

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※以下個人名を控える

アメリカ

  • アマゾン
  • グーグル
  • ファイザー
  • マイクロソフト
  • OpenAI
  • フェイスブック
  • ファイナンシャルタイムズ
  • ペイパル
  • パランティア
  • スターバックス
  • リンクドイン
  • ワシントンポスト
  • NBCニュース
  • ワーナー ブラザーズ

ヨーロッパ

関係者の出席が確認された政府機関

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アメリカ

ヨーロッパ

中国

関係者の出席が確認された金融機関、証券会社

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  • イングランド銀行
  • スイス国立銀行
  • ギリシャ国立銀行
  • ドイツ銀行
  • シティバンク
  • BlackRock
  • ゴールドマンサックス
  • JPモルガン・チェース

関係者の出席が確認された学術機関、非営利組織

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アメリカ

  • ハーバード大学
  • マサチューセッツ工科大学
  • プリンストン高等研究所
  • ハドソン研究所
  • クーラント数学研究所
  • スタンフォード大学 エネルギー科学工学

ヨーロッパ

  • マックス・プランク知能システム研究所
  • マックス・プランク感染生物学研究所
  • ロンドン大学
  • ピーターソン国際経済研究所
  • オックスフォード大学

中国

  • 北京大学

関係者の出席が確認された国際機関

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ビルダーバーグ会議の開催地

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ビルダーバーグ会議は基本的に年に1回開催されている。開催前日に開催地が公式Webページにて公表される。参加者には運営委員会から招待状が届き、事前に知らされる。

参加者によるビルダーバーグ会議についての発言や言及

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ビルダーバーグ会議は、前述の様に非公開の秘密会議なので参加者による会議についての発言や言及は極めて少ないが、何人かの参加者はインタビューや著書で会議について語っている。

  • デイヴィッド・ロックフェラーは自叙伝及び盛田昭夫との対談でビルダーバーグ会議について述べている[8]。また、自著で「ビルダーバーグは本当に、きわめて興味深い討論グループで、年に一度ヨーロッパと北アメリカの両方にとって重要な問題を論じ合っている―ただし、合意に達することはない。」 と述べている[9]
  • 会議の創設に関わり後に財務大臣を務めるイギリス労働党のデニス・ヒーリーは会議について「世界統一政府の樹立にまい進していたというのは言い過ぎだが、あながち見当違いというわけでもない。われわれビルダーバーグ会議では、無益な戦いや殺し合いを永遠に続けて何百万もの難民を生み出すわけにはいかないと思っていた。それなら、全世界を一つのコミュニティにすればいいのではないかと考えたこともある」[10]
  • アメリカ側で会議の創設に関り第一回の会議にも参加した、チャールズ・ダグラス・ジャクソン英語版(Charles Douglas Jackson)は、ファシズム化してきたアメリカの過熱する反共主義マッカーシズムについて、第一回の会議の席上ヨーロッパ側からの相次ぐ懸念や説明を求められ、反共主義マッカーシズムは、本来アメリカ的では無い上、アメリカにとっても立場を悪くし様々な方面での障害になっているとして次の様に発言した。 "Whether McCarthy dies by an assassin's bullet or is eliminated in the normal American way of getting rid of boils on body politics, I prophesy that by the time we hold our next meeting he will be gone from the American scene." (マッカーシーが、暗殺者の弾で死ぬにしろ、通常アメリカが不要物を取り除く方法によって処理されるにしろ、我々の次の会議が開催される時までには、彼がアメリカから消え去っていることを私は予言する)[11] 事実マッカーシーは会議の直後失脚し1957年5月2日に死去した。死因は多年に渡る飲酒が原因の急性肝炎との事だった。

ビルダーバーグ会議に対する批判

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  • 王制を採用しているヨーロッパの殆どの国は、王、王族の政治的な発言や行動を慣習や憲法等で禁止されているにもかかわらず、招待や出席を求められると、それにもかかわらず、ヨーロッパの殆どの王や王太子の出席、参加が確認されている。
  • 会場となるホテルの周辺を取り囲むフェンス
    非公式の私的な会議なのに、開催される国では毎年私的に集まった参加者の為に警備費用等に多額の公費を使っている等。
  • 民主主義国では、本来市民ないし選挙で選ばれた代表によって政策等を決定するにもかかわらず、市民や選挙で選ばれた訳でも無い極少数の招待を受けたものが、非公開の密室で政策どころか国の行く末まで勝手に決めている等。

ビルダーバーグ会議についての諸説

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第二次世界大戦後の大西洋関係の再構築にビルダーバーク会議は極めて重要な役割を果たしたとする見解がある[12]

会場周辺を警備する多数の警察車両

王立国際問題研究所外交問題評議会三極委員会とも関係がある。ビルダーバーグ会議出席者とこれらの組織のメンバーには重複が認められる。ビルダーバーグ会議の情報は重複するメンバーによって下部組織に伝達されると見る説がある[13]。 ビルダーバーグ会議が日本の受け入れを拒否したため、1973年に日米欧委員会(2000年より三極委員会)が設立されたと言われている[注釈 8]

リップルウッドティモシー・コリンズ)の背後にはビルダーバーグ会議が存在すると言う[14]

1991年の会議には、当時アーカンソー州知事だったビル・クリントンが招待された。クリントンは会議の1年半後の1993年1月にアメリカ大統領に就任した。1993年の会議にはイギリス労働党トニー・ブレアが招待された。ブレアは会議の4年後の1997年5月にイギリス首相に就任した[15]

メンバーの中心は、デイヴィッド・ロックフェラーキッシンジャーなどの中道派(国際協調主義)である。ネオコンと呼ばれる人々にも会議の常連が存在する。G7、NATO、EU等の首脳会議の決定に会議で話し合われたことが影響を与えるという指摘や、メンバーが外交問題評議会とかなり重複しているという指摘があると言う[16]

アレックス・ジョーンズはドキュメンタリー「Endgame: Blueprint for Global Enslavement」でビルダーバーグ会議を扱っている。

陰謀論等

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ダニエル・エスチューリン(Daniel Estulin)は以下のように主張している。

  • 「ビルダーバーグはMI6の創造物で、RIIAの指令下にある」と上流階級ではささやかれている。
  • 各年のビルダーバーグ会議の決定に従って、各国政府、財界への工作、メディアを通じた世論操作が発動される。
  • その都度、議論されるトピックは国際政治経済状況により異なるが、最終目標は、あくまでも欧米による世界統一権力の樹立である。そのための手段として、メディアおよびネットの国際的支配、国民総背番号制[注釈 9] と「人体埋め込みチップ」[17]、ネットによる大衆監視、暗号通貨システムを通じた国際通貨統合、人口抑制といったサブ・テーマが継続的に取り扱われている。
  • 9.11以降、米国・ネオコン派に対して米国・非ネオコン派および欧州派の意見対立がある。
  • 1997年の会議でビルダーバーグでは、カナダからケベック州を分離した残部をアメリカに統合する計画を検討する予定であったが、ダニエル・エスチューリン、ジェームス・P・タッカー(Jim P.Tucker,Jr[注釈 10] らの活動により、「トロント・スター」紙をはじめとするカナダのマスコミが大々的にビルダーバーグ会議について報道するに至った。それが国際世論の注目を集めたことにより、計画は頓挫した。その結果、ダニエル・エスチューリンは暗殺されかけた[18]

脚注

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注釈

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  1. ^ 大戦後の欧州統合運動の提唱者であり、EU欧州統合運動(European Movement)、欧州評議会(The Council of Europe)の設立に尽力した。ジョゼフ・コンラッドの友人としても知られている。
  2. ^ ベアトリクス女王の父。1976年にロッキード事件に巻き込まれるまで、議長を務めた。
  3. ^ オーステルベークはマーケット・ガーデン作戦でも知られている。
  4. ^ ビルダーバーグ会議の名の元となった。
  5. ^ 第1回会議の直後、1954年8月30日にフランス議会はEDC条約の批准を否決し、欧州防衛共同体構想は実現しなかった。
  6. ^ David Rothkopf の著書Superclass - The Global Power Elite and the World They Are Making によると世界の60億人は6000人のエリート(The Superclass)によって統治されていると言う。世界経済フォーラムの「ダボス会議」の招待客は3000人超である。戦前のフランスでは「200家族(200家族資本)」がフランス経済を支配したと言われる。
  7. ^ 本来はアメリカ合衆国バージニア州ホットスプリングスホームステッドで開催予定であった。
  8. ^ 1972年、デイヴィッド・ロックフェラーは日本の受け入れをオランダ王室に打診したが断られたため、ズビグネフ・ブレジンスキーに日本をメンバーとする会議を創設することを提案した(「3極委員会 新たな転機」(春原剛)日本経済新聞 2008年1月21日)。西側の「大西洋同盟重視派」が反対したとも言われている(中田安彦『ジャパン・ハンドラーズ―日本を操るアメリカの政治家・官僚・知識人たち』 日本文芸社 2005年)。参考:日本国際交流センター 三極委員会(トライラテラル・コミッション)
  9. ^ 米国では1936年に社会保障番号が年金制度の加入資格を持つ市民に付けられた。欧州・アジアの諸国では、1940年代~1970年に住民登録番号や国民保険番号が住民登録制度に基づき全国民に付けられた。
  10. ^ ジェームス・P・タッカーはJim Tucker's Bilderberg Diary(『ジム・タッカーのビルダーバーグ日記』、日本語訳未刊)等の著者、ビルダーバーグ会議の取材で知られる記者、ライター。タッカーはヴィクター・ソーン(Victor Thorn)らと同じく「アメリカン・フリー・プレス」紙(American Free Press)に寄稿している。「アメリカン・フリー・プレス」はリバティ・ロビー(Liberty Lobby) の新聞「スポットライト」の後継紙。

出典

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  1. ^ a b BRIEF HISTORY”. 2017年1月8日閲覧。
  2. ^ List of Bilderberg participants
  3. ^ 産経新聞朝刊 2003年6月22日
  4. ^ 産経新聞朝刊 2003年6月22日
  5. ^ The most powerful elite will meet in Athens Grreporter.info - News from Greece
  6. ^ 2009年の会議、ウォールストリート・ジャーナルの記事 The Elite Gather in Greece for a Not-So-Secret Meeting
  7. ^ 2009年の会議、タイムズ(The Times)の記事 Shadowy Bilderberg group meet in Greece — and here’s their address
  8. ^ デイヴィッド・ロックフェラー(楡井浩一 訳) 『ロックフェラー回顧録』 新潮社 2007年、「盛田・ロックフェラー対談」 読売新聞 1991年12月3日朝刊及びデイヴィッド・ロックフェラー、盛田昭夫『21世紀に向けて』 読売新聞社 1992年 参考:世界を動かしたロックフェラー デイヴィッド・ロックフェラー『ロックフェラー回顧録』asahi.com 書評 ロックフェラー回顧録
  9. ^ (『ロックフェラー回顧録』新潮社 2007年)
  10. ^ 世界を操る影のサミット、ビルダーバーグ会議 ナショナル ジオグラフィック
  11. ^ アルデン・ハッチ 『オランダ王子 H・R・H・ベルンハルト』(1962)
  12. ^ 日米中協力―新たな三辺関係の模索
  13. ^ 園田義明『最新アメリカの政治地図』 講談社 2004年
  14. ^ 浜田和幸『ハゲタカが嗤った日―リップルウッド=新生銀行の「隠された真実」』 集英社インターナショナル 2004年
  15. ^ 『SAPIO』小学館 2004年12月08日
  16. ^ ネオコンは中道派の別働隊だった?
  17. ^ 人体埋め込みチップの一種VeriChipについての記事。体内埋め込みIC「VeriChip」、“知性の領域への侵食”は許されるのか究極のテロ対策!? 人体埋め込み医療チップ「VeriChip」でセキュリティ認証
  18. ^ Bilderberg 1996: A close call for thwarting a scheme to partition Canada

関連書籍

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  • 『ユダヤ=フリーメーソン 謎の国際機関』 新人物往来社 1991年
  • 中田安彦『ジャパン・ハンドラーズ―日本を操るアメリカの政治家・官僚・知識人たち』 日本文芸社 2005年
  • 中田安彦『世界を動かす人脈』 講談社 2008年
  • 中田安彦『アメリカを支配するパワーエリート解体新書』 PHP研究所 2009年
  • デイヴィッド・ロックフェラー(楡井浩一 訳) 『ロックフェラー回顧録』 新潮社 2007年
  • デイヴィッド・ロックフェラー、盛田昭夫『21世紀に向けて』 読売新聞社 1992年
  • 浜田和幸『ハゲタカが嗤った日―リップルウッド=新生銀行の「隠された真実」』 集英社インターナショナル 2004年
  • 園田義明『最新アメリカの政治地図』 講談社 2004年
  • ジョン・G・ ロバーツ、グレン・デイビス(森山尚美 訳)『軍隊なき占領 戦後日本を操った謎の男』 講談社 2003年
  • ベンジャミン・フルフォード『解体されるニッポン』 青春出版社 2008年
  • ベンジャミン・フルフォード『アメリカが隠し続ける金融危機の真実』 青春出版社 2008年
  • ユースタス・マリンズ(天童竺丸 訳)『世界権力構造の秘密』上巻・下巻 成甲書房 2007年
  • 田原総一朗『日本のパワー・エリート』 光文社 1980年
  • 越智道雄『秘密結社 アメリカのエリート結社と陰謀史観の相克』 ビジネス社 2005年
  • 赤間剛『神々の陰謀』I・II・III 時の経済社 1984年、1985年
  • 桐生操『秘密結社 世界を動かす「闇の権力」』 中央公論新社 2007年
  • SAPIO』「ネオコン人脈も蝟集する世界最強の秘密結社「ビルダーバーグ」の真実」 小学館 2004年12月8日
  • Gary Allen and Larry Abraham None Dare Call It Conspiracy (1971)
  • G.アレン、L.エブラハム(湯浅慎一 訳)『INSIDER―<世界統一>を謀る恐怖のシナリオ』太陽出版 1986年(None Dare Call It Conspiracyの日本語訳)
  • Carroll Quigley Tragedy & Hope: A History of the World in Our Time (G.S.G.& Associates, Incorporated ,1975)
  • Robert Gaylon Ross, Sr. Who's Who of the Elite : Members of the Bilderbergs, Council on Foreign Relations, & Trilateral Commission (RIE ,2000)
  • Jim Marrs Rule by Secrecy: The Hidden History That Connects the Trilateral Commission, the Freemasons, and the Great Pyramids (Harper Paperbacks ,2001)
  • Victor Thorn The New World Order Exposed (Sisyphus Press ,2003)
  • Jim Tucker Jim Tucker's Bilderberg Diary (American Free Press,2005)
  • Daniel Estulin The True Story of the Bilderberg Group (Trine Day,2007)
  • ダニエル・エスチューリン(山田郁夫 訳)『ビルダーバーグ倶楽部 世界を支配する陰のグローバル政府』 バジリコ 2006年(The True Story of the Bilderberg Groupの日本語訳)
  • David Rothkopf Superclass: The Global Power Elite and the World They Are Making (Farrar, Straus and Giroux ,2008)
  • Heinz Duthel The Bilderberger Group - Saviors or Destroyers? (Lulu.com ,2008)
  • H. Paul Jeffers The Bilderberg Conspiracy (Citadel ,2009)

関連項目

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外部リンク

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