フランソワ・バイル
フランソワ・バイル François Bayrou | |
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2010年撮影 | |
フランス共和国首相 | |
就任 2024年12月13日 | |
大統領 | エマニュエル・マクロン |
前任者 | ミシェル・バルニエ |
フランス司法大臣・国璽尚書 | |
任期 2017年5月17日 – 2017年6月19日 | |
首相 | エドゥアール・フィリップ |
前任者 | ジャン=ジャック・ユルボアス |
後任者 | ニコル・ベルベ |
フランス国民教育大臣 | |
任期 1993年3月29日 – 1997年6月4日 | |
首相 | エドゥアール・バラデュール アラン・ジュペ |
前任者 | ジャック・ラング |
後任者 | クロード・アレグル |
ポー市長 | |
就任 2014年4月4日 | |
前任者 | マルティーヌ・リニェール=カスー |
民主運動党首 | |
就任 2007年12月2日 | |
前任者 | (創設) |
フランス民主連合議長 | |
任期 1998年2月25日 – 2007年11月30日 | |
前任者 | フランソワ・レオタール |
後任者 | (消滅) |
欧州民主党党首 | |
就任 2004年7月13日 | |
前任者 | (創設) |
国民議会議員 ピレネー=アトランティック県第2区 | |
任期 2002年6月19日 – 2012年6月19日 | |
任期 1997年6月12日 – 1999年12月21日 | |
任期 1986年4月2日 – 1993年5月1日 | |
欧州議会議員 | |
任期 1999年7月20日 – 2002年6月20日 | |
選挙区 | フランス |
個人情報 | |
生誕 | François René Jean Lucien Bayrou 1951年5月25日(73歳) フランス、ボルデール |
政党 | 民主運動 (2007-) |
協力政党 | 民主中道 (-1976) 民主社会中道 (1976–1995) 民主軍 (1995–1998) フランス民主連合 (1978–2007) |
配偶者 | エリザベット・ペルラン(結婚 1971年) |
子供 | 5 |
出身校 | ボルドー・モンテーニュ大学 |
署名 | |
公式サイト | Official website |
フランソワ・ルネ・ジャン・リュシアン・バイル(バイルー、フランス語:François René Jean Lucien Bayrou、1951年5月25日 - )は、フランスの政治家。フランス首相 (第五共和政第28代)。フランソワ・ミッテラン、ジャック・シラク政権で国民教育大臣、司法大臣、またフランス民主連合(UDF)議長(党首)を歴任した。現在は民主運動の(MoDem)党首である。
来歴
[編集]1951年5月25日にフランス南西部に位置するピレネー=アトランティック県ポーで、政治家のカリクステ・ボイル(1909-1974)とエマ・サトゥー(1918-2009)の息子として誕生する[1][2]。母方の祖母はアイルランド人の血を引いている[3]。若い頃は吃音を患い、7年間言語療法を受けていた[4]。ボルドー・モンテーニュ大学で文学を学び、アグレガシオンの試験を受けた。1982年にピレネー・アトランティック県の総評議会議員に選出され、4年後には国民議会議員として本格的に政界進出を果たした[5]。
1993年から1997年までエドゥアール・バラデュール、アラン・ジュペの両内閣で教育相を務め、1998年から中道右派のUDF議長に就任。欧州議会議員でもあった。
2002年フランス大統領選挙に初めて立候補し194万9436票(6.84パーセント)を獲得し4位につけた。しかし、自身が率いるUDFの一部議員が現職のジャック・シラク大統領の支持に回るなど、中道右派票の取りまとめに失敗した。
続く2007年フランス大統領選挙では、保守のニコラ・サルコジ国民運動連合総裁とフランス社会党のセゴレーヌ・ロワイヤルの2人が有力であったが、バイルは穏健で安定した語り口が有権者に安心感を与え、この2人に肉迫するようになった。同年3月8日付『パリジャン』紙ではバイルを含む3人が三つ巴の様相を呈していると報道、サルコジとロワイヤルに飽き足りない中間層から支持され、前回から大幅に得票を伸ばし682万119票(18.57パーセント)を獲得し、3位につけた。中道志向を強めたバイルは、4月25日の決選投票ではサルコジ、ロワイヤルの両候補のいずれも支持をしないことを表明したが、国民運動連合との選挙協力によって当選したUDFの議員から反発され、多くの議員が国民運動連合に流れることとなった。バイルは、自身を支持する5名の議員とともに新党「民主運動」結成を発表し、党首に就任した。
2012年フランス大統領選挙にも3回連続で立候補するが、第1回投票で327万5349票(9.13パーセント)の得票で5位に沈んだ。バイルの中道票をにらんで、国民運動連合のアラン・ジュペ外務大臣は「バイルが次期首相に相応しい」と秋波を送った(後にサルコジが否定した)。しかし決選投票では左派・社会党のフランソワ・オランド支持を表明した。
2014年のポー市長選挙で当選してポー市長となる。任期は6年。2020年にも再選された。
2017年5月に大統領になったエマニュエル・マクロンの最初の内閣で司法大臣・国璽尚書となった。しかし自らが党首を務める民主運動に欧州議会の公金を不正流用した疑惑が持ち上がったことで、わずか1ヶ月後の6月21日に辞任を発表した[6]。
2024年12月、少数与党という状況の中でミシェル・バルニエがわずか3カ月間という短い期間で首相を辞任し、マクロン大統領は12月13日にバイルを後継の首相に任命した[7]。23日に大統領府が新内閣の閣僚人事を承認し政権が発足[8]。
人物
[編集]趣味に馬を飼っているほか、ブルボン朝のアンリ4世に関する著作がある。
ギャラリー
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(2006年の公式画像)
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欧州議会議員の時のバイル(2006年、ストラスブールにて)
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(2009年)
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(2017年)
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(2018年)
脚注
[編集]- ^ Trevert, Émilie (2011年11月3日). “Bayrou intime” (フランス語). Le Point. オリジナルの9 February 2012時点におけるアーカイブ。 2024年12月14日閲覧。
- ^ “François Bayrou à 12 ans”. SudOuest.fr (2010年8月). 2017年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月14日閲覧。
- ^ Barratt, Nick. “Family detective” (英語). Telegraph.co.uk. オリジナルの2018年9月21日時点におけるアーカイブ。 2024年12月14日閲覧。
- ^ JDD, Le. “François Bayrou: "Je me suis mis à bégayer à 7-8 ans"” (フランス語). オリジナルの2017年8月9日時点におけるアーカイブ。 2024年12月14日閲覧。
- ^ “Francois Bayrou - or the power of self-belief” (英語). BBC News. (2012年1月25日) 2024年12月14日閲覧。
- ^ “仏法相が辞任へ、マクロン大統領の側近 国防相に続き”. AFPBB News (フランス通信社). (2017年6月21日) 2017年6月22日閲覧。
- ^ “新仏首相に中道派バイル氏、政局混迷打開の重責担う”. ロイター. (2024年12月13日) 2024年12月14日閲覧。
- ^ “仏新内閣発足、社会党系の元2首相起用 中道左派頼みに 政局不安続く 外相は留任”. 産経新聞. (2024年12月24日) 2024年12月25日閲覧。
外部リンク
[編集]- bayrou.fr - Campaign Website
- François Bayrou Blog (not linked to François Bayrou)
公職 | ||
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先代 ミシェル・バルニエ |
フランス首相 第五共和政第28代:2024年12月13日 - |
次代 (現職) |
先代 ジャン=ジャック・ユルヴォアス |
フランス司法大臣 第30代:2017年5月18日 - 2017年6月19日 |
次代 ニコル・ベルベ |
先代 ジャック・ラング |
フランス教育大臣 第22代:1993年3月30日 - 1997年6月2日 |
次代 クロード・アレグル |
党職 | ||
先代 自分自身 (フランス民主連合を再編) |
民主運動党首 2007年5月10日 - |
次代 (現職) |
先代 フランソワ・レオタール |
フランス民主連合党首 1998年9月17日 - 2007年11月30日 |
次代 自分自身 (民主運動に再編) |