フリードリッヒ・オットー・ショット
フリードリッヒ・オットー・ショット | |
---|---|
生誕 |
1851年12月17日 プロイセン王国、ヴェストファーレン州、ヴィッテン |
死没 |
1935年8月27日 (83歳没) ドイツ国、テューリンゲン州、イェーナ |
国籍 | ドイツ |
研究機関 | フリードリヒ・シラー大学イェーナ |
出身校 | フリードリヒ・シラー大学イェーナ |
主な業績 | ホウケイ酸ガラスの発明 |
主な受賞歴 | リービッヒ・メダル (1909年) |
プロジェクト:人物伝 |
フリードリッヒ・オットー・ショット(ドイツ語: Friedrich Otto Schott、1851年12月17日 - 1935年8月27日)は、ドイツの科学者。光学ガラスを主とする応用無機材料学者で、ショット硝子工場(現ショットAG)の創設者。
生涯
[編集]プロイセン王国ヴェストファーレン州(現ノルトライン=ヴェストファーレン州)のヴィッテンに生まれ、1853年ヴェストファーレンの窓硝子工場の共同経営者であった父の薫陶を受け、1870年から1873年にかけてアーヘンで化学を、ヴュルツブルク大学で応用化学を、更にライプツィヒ大学で学び、1875年「窓ガラス製造法の欠陥」を博士論文として博士号を取得。
1877年スペインのオビエドに応用無機材料の工場を創設。1879年にエルンスト・アッベにリチウム素材の光学ガラスのサンプルを納品。1884年カール・ツァイス社の共同経営に参画し、協働会社として「ショット協働ガラス工場」(ドイツ語:Glastechnische Laboratorium Schott & Genossen )を創業する。
1886年非分散光学ガラスを開発。アポクロマートレンズをアッベの依頼により開発。1887年から1893年に亘る時代に硼酸珪素ガラスを開発。耐熱・耐化学特性を有する光学ガラスを製造。「イエナガラス」(Jenaer Glas )として、実験用ガラス製品、物理用・温度計用各種ガラス製品にその名声を不動のものとした。1909年リービッヒ・メダル受賞。
1919年、自らが持つショットの全株をカール・ツァイス財団に移し、その一員となった。
蛍石光学材料をも開発し販売。現代の科学的な応用無機材料化学の創設者である。
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、フリードリッヒ・オットー・ショットに関するカテゴリがあります。