ベアトリス・フォーブス
ベアトリス・フォーブス | |
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1910年頃撮影 | |
生誕 |
1883年7月19日 アメリカ合衆国 ロードアイランド州ニューポート |
死没 |
1972年1月30日 フランス、パリ |
配偶者 | 第8代グラナード伯爵バーナード・フォーブス |
子供 |
モイラ (1910-1994) アーサー (9代グラナード伯爵, 1915-1992) アイリーン (1919-1993) ジョン (1920-1982) |
親 |
父:オグデン・ミルズ 母:ルース (Ruth T. Livingston) |
親戚 |
姉妹(双子):グラディス・ミルズ 弟:オグデン・L・ミルズ |
グラナード伯爵夫人ジェーン・ベアトリス・フォーブス(Jane Beatrice Forbes, Countess of Granard, 1883年7月19日 - 1972年1月30日)(旧姓ミルズ(Mills))は、アメリカ合衆国生まれの女性で、イギリスの貴族との結婚により伯爵夫人の称号を帯びた人物である。大英帝国勲章デイム・コマンダー (DBE) を受けている[1]。
生涯
[編集]ベアトリス・ミルズは1883年7月19日にアメリカ合衆国ロードアイランド州ニューポートで生まれた[2] 。父はニューヨーク・セントラル鉄道の取締役などを務めたオグデン・ミルズである。ベアトリスには双子の姉妹であるグラディス・ミルズと、弟のオグデン・ミルズ・ジュニアがいる。
1909年1月14日にベアトリス・ミルズは第8代グラナード伯爵バーナード・フォーブスに嫁ぎ、グラナード伯爵との間に4人の子をもうけた。そのうち長女のモイラ (Moira) は初めブランテス伯爵ルイ・ド・ブランテス (Louis de Brantes, Comte de Brantes) と結婚したが離婚し、モンテレーラ伯爵テオ・ロッシ・ディ・モンテレーラ (Theo Rossi di Montelera, Conte di Montelera)と再婚した[3]。次女アイリーン (Eileen) は第5代ビュート侯爵ジョン・クライトン=ステュアートに嫁いだ[4]。
ベアトリス・ミルズは結婚によって「グラナード伯爵夫人」「レディ・グラナード」として知られるようになった。夫であるグラナード伯爵の資産は限られていたので、アイルランドのロングフォード県ニュータウンフォーブスにあったフォーブス城の修復は、彼女が資金を出して完成させた。夫妻は主にロンドンのホーキン街にあるフォーブス・ハウスやパリのヴァレンヌ通り (Rue de Varenne) にある屋敷に住んだ。
1920年に、ベアトリス・ミルズ・フォーブスは大英帝国勲章のデイム・コマンダーを受勲し、「デイム」の称号を授かっている[5][6]。
夫に先立たれたベアトリスは、23年あまりにわたって未亡人暮らしをしたあと、1972年1月30日にパリの屋敷でこの世を去った[1]。
競馬との関わり
[編集]ベアトリス・ミルズはニューヨーク州のスタアツバーグにある「リビングストン屋敷 (Livingston Mansion)」で育った[注 1]。ベアトリスの父、オグデン・ミルズはアメリカとフランスでサラブレッドを走らせており、第17代ダービー伯爵エドワード・スタンリーと盟友の間柄だった。グラディスと弟のオグデン・ジュニアは、やがてアメリカ競馬史上、卓越した成績をあげたウィートリー厩舎[注 2]を開くことになる。
ベアトリスの夫、グラナード伯爵バーナード・フォーブスは、イギリス王室の主馬頭[注 3]の職にあり、国王ジョージ5世の王室厩舎と王室牧場を司っていた。1929年1月29日にベアトリスの父オグデン・ミルズが没すると、ベアトリスはフランスにあった牧場を相続した。この年、ベアトリスは馬主の賞金ランキングの1位になった[7]。その後、馬主としての主な勝鞍には、1933年のフランスのリュパン賞とパリ大賞典(いずれもカピエロ (Cappiello))、イギリスの1000ギニー(1964年のプールパルレ)、フランスのジャック・ル・マロワ賞を2回(1937年のアンフロード (En Fraude) と1967年のカラベラ (Carabella))などがある[8]。
ベアトリスの親族によるウィートリー厩舎によるアメリカでの最大の代表馬がボールドルーラーである。ボールドルーラーは北米の種牡馬チャンピオンに8度輝き、名誉の殿堂入りした。グラディスとオグデン・ジュニアはボールドルーラーを生産したほか、チャンピオン牝馬のミスティモーンを出している。ミスティーモーンにボールドルーラーを配合して生まれたのが*ボールドラッド(USA)[注 4](1962年生)で、全米2歳牡馬チャンピオンになった。1964年に生まれたボールドルーラー産駒の牡馬にも「ボールドラッド(Bold Lad (IRE)」[注 5]の名が与えられた。こちら(ボールドラッド(IRE))はベアトリス(グラナード伯爵夫人)による生産馬で、イギリスとアイルランドで走り、全英2歳牡馬チャンピオンになった[9]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 「リビングストン屋敷」は18世紀末の建築で、当時のニューヨーク州知事モーガン・ルイスの邸宅だった。19世紀の終わり頃、ベアトリス・ミルズの両親がこれを改築した。ベアトリスの母はモーガン・ルイスのひ孫である。この屋敷は現在はアメリカの歴史的建造物として保全されている。
- ^ ウィートリー厩舎の生産馬・所有馬の主なものは、ミスティモーン(全米3歳牝馬チャンピオン・最優秀繁殖牝馬)、ボールドルーラー(全米3歳牡馬チャンピオン、年度代表馬、チャンピオンスプリンター、北米種牡馬チャンピオン、名誉の殿堂入り)、*ボールドラッド(USA)(全米2歳牡馬チャンピオン、日本輸入種牡馬)、ボールドラッド(IRE)(全英2歳牡馬チャンピオン)、サクセサー(全米2歳牡馬チャンピオン)、キャッスルフォーブス(全米2歳牝馬チャンピオン)、ハイヴォルテイジ(全米2歳牝馬チャンピオン)、クイーンエンプレス(全米2歳牝馬チャンピオン)などがいる。
- ^ 馬寮も参照。
- ^ 1962年生まれの同馬は、のちに日本に輸入されており、当初「*ボールドラッド」と登録されている。後者と区別するため「*ボールドラッド(USA)」と表記される場合が多い。ここでアスタリスクは輸入された馬であることを示す。
- ^ 1962年生まれのアメリカ産馬のほうは日本に輸入されて日本で血統登録を受けているので「ボールドラッド」「ボールドラッド(USA)」となどカタカナで表記されるが、1964年生まれのアイルランド産馬のほうは日本に輸入されてはいないので、日本国内の血統書などでは「Bold Lad(IRE)」表記が行われる。
出典
[編集]- ^ a b “Lady Granard, Daughter Of Ogden Mills, Dies at 88”. New York Times. (February 3, 1972) 2013年12月18日閲覧。
- ^ Jane Beatrice Mills in the Rhode Island, Births and Christenings, 1600-1914
- ^ Darryl Lundy. “Lady Moira Mary Forbes” (英語). thepeerage.com. 2022年7月25日閲覧。
- ^ Darryl Lundy. “Lady Eileen Beatrice Forbes” (英語). thepeerage.com. 2022年7月25日閲覧。
- ^ "No. 31840". The London Gazette (Supplement) (英語). 26 March 1920. pp. 3757–3788. 2022年7月30日閲覧。
- ^ Beauclerk Dewar, Peter. OBE for Beatrice Mills", Burke's landed gentry of Great Britain together with members of the titled and non-titled contemporary establishment, (2001) ISBN 0-9711966-0-5. Retrieved on 2009-9-30.
- ^ http://pqasb.pqarchiver.com
- ^ http://select.nytimes.com
- ^ http://select.nytimes.com