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プシェムィシル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ペレームィシュリから転送)
プシェムィシル
プシェムィシルの旗
プシェムィシルの紋章
紋章
プシェムィシルの位置(ポーランド内)
プシェムィシル
プシェムィシル
座標:北緯49度47分 東経22度46分 / 北緯49.783度 東経22.767度 / 49.783; 22.767座標: 北緯49度47分 東経22度46分 / 北緯49.783度 東経22.767度 / 49.783; 22.767
ポーランドの旗 ポーランド
ポトカルパチェ県
建設 8世紀
都市権取得 1389年
政府
 • 市長 ヴォイチェフ・バクン
面積
 • 合計 44 km2
人口
(2023年6月30日)
 • 合計 56,466[1]
等時帯 UTC+1 (CET)
 • 夏時間 UTC+2 (CEST)
郵便番号
37–700 to 37–720
市外局番 +48 16
カープレート RP
ウェブサイト www.przemysl.pl

プシェムィシル(プシェミシル;ポーランド語: Przemyśl [ˈpʂɛmɨɕl] ( 音声ファイル)ウクライナ語: Пере́мишль ペレームィシュリラテン文字表記の例: Peremyshl’ドイツ語: Premissel)は、ポーランド都市である。南東ポーランド、ウクライナ国境に近い位置にある。人口は5万8,721人(2021)、1999年からポトカルパチェ県に属す。以前はプシェムィシル県の県都であった。サン川に跨る。2022年ロシアのウクライナ侵攻の際は多くのウクライナ人が避難した。

歴史

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現在使われていない歴史的な旗? 1410年、タンネンベルクの戦いの折りに用いられたペレームィシュルの連隊の軍旗

プシェムィシルは、南部ポーランドではクラクフに次いで歴史のある都市であるが、かつてはルーシ系の国家の領土であった。

中世初期、プシェムィシルはキエフ・ルーシの領土であり、紅ルーシと呼ばれた地域の重要な都市の一つであった。ルーシ側のプシェムィシルの名称は「ペレームィシュル」だった。プシェムィシルの支配をめぐってルーシとポーランド王国はしばしば戦いを繰り返していた。11世紀から12世紀にかけては、ルーシ系の国家であるペレームィシュル公国があったが、ポーランドによって滅ぼされた[要出典]1240年にキエフ・ルーシはモンゴル来襲によって滅んだものの、ルーシの後継者となったハールィチ・ヴォルィーニ大公国がプシェムィシルを支配しつづけた[要出典]

100年後、内乱に陥った大公国がポーランドによって滅ぼされると、プシェムィシルはポーランド王国の都市となった。しかし、数世紀にわたるルーシによるプシェムィシルの支配は強い影響を残し、現地の貴族や庶民は自分をルーシ人として意識していたようである。19世紀に入ると、ルーシ人としてのアイデンティティはウクライナ人としてのアイデンティティに入れ替わった。

20世紀初頭、独立を勝ち取ったポーランドは単一国民国家の思想を国内で浸透させようとした。その結果、今までにポーランド人とウクライナ人が平和的に混合して暮らしていたプシェムィシルを初めとする広い地域では、ウクライナ人による反ポーランド運動が起こり、紛争やテロ事件が相次いだ。ポーランド人・ウクライナ人の対立は第二次世界大戦の折に苛酷さを極めた。

戦後も単一民族思想を放棄しなかったポーランドの中央政権は、「ウクライナ人問題」を解決するためにはウクライナ人コミュニティーの解体が必要であると考えた。そして、多数のウクライナ人が集中的に居住するのを阻害するため、プシェムィシルとその周辺のウクライナ人をポーランドの西部(ナチス・ドイツから新たに得た領土)各地へ強制的に分散移住させた。この強制移住は「ヴィスワ作戦」と呼ばれた。この結果、故郷とウクライナ人のコミュニティーから分離されたウクライナ人と彼らの子孫は容易にポーランド人に同化された。

2022年ロシアのウクライナ侵攻が始まると、国境に近いプシェムィシルの駅はウクライナのリヴィウ方面からやってくる避難民であふれた。駅には難民支援所が設けられ、市民のボランティア活動による支援が行われた[2]。駅は引き続き2023年も、航空機によるアクセスが絶たれた状況下にあるウクライナの玄関口として機能した。ウクライナを訪問する各国の政府首脳、例えばアメリカのバイデン大統領や日本の岸田首相も、ポーランドまで航空機で移動した後、プシェムィシル駅発の列車を利用して陸路でキーウへ向かっている[3][4]

プシェムィシルの駅
パノラマ

ユダヤ教徒のプシェムィシル

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オーストリア=ハンガリー帝国時代は同帝国領ガリツィアに属し、またかつては紅ルーシの首都であった。

981年キエフ大公ウラジーミル1世に占拠されたことが年代記者ネストルによって言及されているが、1437年までこの地のユダヤ教徒への言及は無く、レンベルクを除いて他の紅ロシアの都市のように断片的に登場するのみである。

1542年からの統計によれば、18家族のユダヤ人家族が住んでおり、そのうち7件の家屋所有者は「et ratione Judaismi(ユダヤ教徒の配給)」という4ポーランド・グルデンの賃料を払っており、居住者は2グルデンを払っている。

キリスト教徒によるプシェムィシルの最も古いユダヤ教徒コミュニティー1559年3月20日に、ジクムント・アウグスト王によって発行された許可である。

気候

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プシェムィシルの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 14.4
(57.9)
18.5
(65.3)
24.0
(75.2)
29.4
(84.9)
31.5
(88.7)
33.2
(91.8)
34.0
(93.2)
33.8
(92.8)
30.7
(87.3)
27.0
(80.6)
21.8
(71.2)
17.9
(64.2)
34.0
(93.2)
平均最高気温 °C°F 0.3
(32.5)
1.8
(35.2)
6.8
(44.2)
12.9
(55.2)
18.6
(65.5)
21.3
(70.3)
22.9
(73.2)
22.6
(72.7)
18.1
(64.6)
12.5
(54.5)
5.6
(42.1)
1.7
(35.1)
12.1
(53.8)
日平均気温 °C°F −2.5
(27.5)
−1.4
(29.5)
2.7
(36.9)
8.1
(46.6)
13.5
(56.3)
16.3
(61.3)
18.0
(64.4)
17.4
(63.3)
13.3
(55.9)
8.3
(46.9)
2.6
(36.7)
−0.8
(30.6)
7.9
(46.2)
平均最低気温 °C°F −5.1
(22.8)
−4.0
(24.8)
−0.7
(30.7)
3.8
(38.8)
8.5
(47.3)
11.6
(52.9)
13.3
(55.9)
12.6
(54.7)
9.4
(48.9)
4.9
(40.8)
0.1
(32.2)
−3.2
(26.2)
4.2
(39.6)
最低気温記録 °C°F −30.0
(−22)
−30.4
(−22.7)
−26.1
(−15)
−5.7
(21.7)
−2.4
(27.7)
1.4
(34.5)
5.0
(41)
2.3
(36.1)
−3.2
(26.2)
−6.9
(19.6)
−21.0
(−5.8)
−25.6
(−14.1)
−30.4
(−22.7)
降水量 mm (inch) 26.8
(1.055)
27.6
(1.087)
31.3
(1.232)
51.9
(2.043)
75.6
(2.976)
88.8
(3.496)
94.9
(3.736)
68.9
(2.713)
68.3
(2.689)
50.9
(2.004)
38.3
(1.508)
38.9
(1.531)
658.8
(25.937)
平均降水日数 (≥0.1 mm) 14.9 14.0 14.2 13.3 14.2 15.2 13.8 12.3 12.6 13.7 15.0 17.0 170.1
湿度 82.3 82.3 77.0 72.8 75.3 76.5 76.6 78.1 80.2 81.4 83.1 84.4 79.2
平均月間日照時間 49.2 64.8 107.9 143.7 210.5 214.7 233.2 220.6 138.5 96.0 51.3 36.4 1,558.6
出典:Meteomodel.pl (humidity 1961-1990)[5]

スポーツ

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姉妹都市

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プシェムィシル出身の人物

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関連項目

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脚注

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  1. ^ https://demografia.stat.gov.pl/bazademografia/Tables.aspx
  2. ^ 「地獄から天国に来た」 ウクライナ避難民、たどり着いた欧州で受けた抱擁”. 東京新聞 (2020年3月7日). 2022年3月10日閲覧。
  3. ^ 「乗り鉄」バイデン氏、列車で10時間 キーウへ隠密行”. AFP (2023年2月21日). 2023年5月14日閲覧。
  4. ^ 岸田首相キーウ訪問、1時間前に伝達…「外務省なんかいらねえ」計画公表論にいらだち”. 読売新聞 (2023年3月27日). 2023年5月14日閲覧。
  5. ^ Średnie i sumy miesięczne” (ポーランド語). Meteomodel.pl (6 April 2018). 1 August 2022閲覧。

外部リンク

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