ポルタヴァ
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(ポルタワから転送)
ポルタヴァ Полтава | |||||
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ポルタヴァ | |||||
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位置 | |||||
座標 : 北緯49度35分22秒 東経34度33分5秒 / 北緯49.58944度 東経34.55139度 | |||||
歴史 | |||||
建設 | 899年 | ||||
行政 | |||||
国 | ウクライナ | ||||
州 | ポルタヴァ州 | ||||
ラヨン(地区) | ポルタヴァ地区[1] | ||||
フロマーダ | ポルタヴァ・フロマーダ[1] | ||||
市 | ポルタヴァ | ||||
市長 | Andriy Matkovsky | ||||
地理 | |||||
面積 | |||||
市域 | 103 km2 | ||||
標高 | 132 m | ||||
人口 | |||||
人口 | (2021年現在) | ||||
市域 | 283,402人 | ||||
備考 | 推計[2] | ||||
その他 | |||||
等時帯 | 東ヨーロッパ時間 (UTC+2) | ||||
夏時間 | 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3) | ||||
郵便番号 | 36000—36499 | ||||
市外局番 | +380-532(2) | ||||
公式ウェブサイト : https://rada-poltava.gov.ua/ |
ポルタヴァ(ウクライナ語: Полтава;[pɔlˈtawa])は、ウクライナの中部ポルタヴァ州にある都市である[1]。ポルタヴァ州の州庁所在地。ドニプロ川の支流であるヴォールスクラ川河岸に位置する。2021年の人口推計は283,402人である[2]。
概要
[編集]1174年に『ルーシ年代記』においてルターヴァという地名が見られるが、確実な史料においてはポルターヴァという町名は1641年以後に見られる。ウクライナ・コサックの根拠地の一つであった。1648年から1775年にかけてコサック国家ポルターヴァ連隊の連隊庁所在地の役割を果たした。1709年、大北方戦争の東欧の運命を決めた、戦場となった。
著名な人物
[編集]ポルタヴァにはウクライナ近代文学の祖と言われている作家イヴァン・コトリャレーウシキーが生まれた。シモン・ペトリューラもポルタヴァの出身である。「ウクライナのサッフォー」とも呼ばれるマルーシャ・チュラーイの生誕地でもある。
その他
[編集]ポルタヴァの方言が現代ウクライナ語の原型になっているとも言われている。[要出典]
姉妹都市
[編集]- コシャリン、ポーランド
- ヴェリコ・タルノヴォ、ブルガリア
- フィルダーシュタット、ドイツ
- オストフィルデルン、ドイツ
- ルブリン、ポーランド
- ニース、フランス
- クラスノダール、ロシア
- バラーナヴィチ、ベラルーシ
- ヒムキ、ロシア
脚注
[編集]- ^ a b c “Полтава - Полтавська область”. decentralization.gov.ua. 2022年6月11日閲覧。
- ^ a b “Чисельність наявного населення України на 1 січня” (PDF) (ウクライナ語). Державна служба статистики України. p. 37 (2021年). 2022年6月11日閲覧。
参考文献
[編集]- 伊東孝之, 井内敏夫, 中井和夫編 『ポーランド・ウクライナ・バルト史』 (世界各国史; 20)-東京: 山川出版社, 1998年. ISBN 9784634415003
- 黒川祐次著 『物語ウクライナの歴史 : ヨーロッパ最後の大国』 (中公新書; 1655)-東京 : 中央公論新社, 2002年. ISBN 4121016556