マッテルスブルク
マッテルスブルク Mattersburg | |||
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位置 | |||
マッテルスブルクの位置 | |||
座標 : 北緯47度44分 東経16度23分 / 北緯47.733度 東経16.383度 | |||
行政 | |||
国 | オーストリア | ||
州 (Bundesland) | ブルゲンラント州 | ||
郡 (Bezirk) | マッテルスブルク郡 | ||
基礎自治体 (Gemeinde) | マッテルスブルク | ||
地理 | |||
面積 | |||
基礎自治体 (Gemeinde)域 | 28.2 km2 (10.9 mi2) | ||
標高 | 258 m (846 ft) | ||
人口 | |||
人口 | (2008年1月現在) | ||
基礎自治体 (Gemeinde)域 | 7,125人 | ||
人口密度 | 253人/km2(654人/mi2) | ||
その他 | |||
等時帯 | CET (UTC+1) | ||
夏時間 | CEST (UTC+2) | ||
市外局番 | 0 26 26 | ||
ナンバープレート | MA | ||
公式ウェブサイト : http://www.mattersburgonline.at/ |
マッテルスブルク(Mattersburg 発音)は、オーストリアのブルゲンラント州、マッテルスブルク郡に属する 基礎自治体(ゲマインデ) 。マタースブルクやマッタースブルクとも表記する。
地理
[編集]ハンガリー国境に近い小さな都市。数キロ南東に国境がある。近隣の都市としては、約15キロ北西のヴィーナー・ノイシュタットが挙げられる。
歴史
[編集]1202年、史料上マッテルスブルクが現れた。1354年に市場特権を与えられた。19世紀半ば、ヴィーナー・ノイシュタットと鉄道で結ばれた。19世紀後半にアウスグライヒを経てオーストリア・ハンガリー二重帝国が成立すると、マッテルスブルクはハンガリー王国側に属した。この時期、ハンガリー化政策が行われたため、街の名称もハンガリー風にされた(Nagymarton)。第一次世界大戦後、サン=ジェルマン条約とトリアノン条約によって、マッテルスブルクはオーストリアに属することが確認された。
この地域を治めていたエステルハージ家がユダヤ人に対して寛容だったこともあり、この街には大規模なユダヤ人コミュニティーが形成され、この地域における「7つのケヒッラー(ユダヤ人コミュニティー)」の1つであった。しかし、1938年にドイツがオーストリアを併合すると、この地にまでユダヤ人迫害が及び、第二次世界大戦終了時にはユダヤ人コミュニティーが壊滅へと追い込まれた。
交通
[編集]道路網としては、S4号線とS31号線がマッテルスブルクと各地を結んでいる。また、マッテルスブルク鉄道がヴィーナー・ノイシュタットとショプロンを結んでいる。
スポーツ
[編集]オーストリア・ブンデスリーガに属しているSVマッテルスブルクが本拠地としている。現在のところブルゲンランド州で唯一オーストリア・ブンデスリーガに属しているサッカークラブ。この小さな街のサッカークラブは近年に力を伸ばし、オーストリア・ブンデスリーガの上位にも食い込むようになった。年間平均観客動員数は街の人口を超えている、ブルゲンランド州でも最も人気のあるサッカークラブである。